珍しく、今日の昼下がりの窓ガラスの陽射しは格別だ。「窓あけて窓いっぱいの春」という種田山頭火の句を思い出す。この句、開けた窓から春らんまんの景色と空気が感じられる。新しい季節の予感と希望が込められている。
春はまだしも、ここ数年の秋には少々がっかりする。正しく言うなら、来ない秋に失望する。「窓あけてもどこにも秋は来ていない」と茶化したくもなる。
2025年新語・流行語大賞候補作の中に「二季」を見つけた。3ヵ月前にこのブログで「いずれ日本はどこで暮らしても、夏と冬の二季にして高温と低温の二刀流になる」と書いた。季節の移ろいが著しい昨今だが、特に夏と冬をつなぐ秋の喪失感が強い。
近年、7月から9月中旬頃まではエアコンを入れるのが常になっていたが、ここ数年は夏の余韻のような暑さが収まらず、10月中旬まで冷房が必要になった。まだエアコンがなくても9月が過ごせた頃は、窓を開けて風を取り込んで朝夕を過ごせた。9月下旬から10月上旬になると、少し薄ら寒さも感じたものだ。そんな日には窓越しに暖かい光を部屋に取り込んだ。
今年は10月になっても窓を開けて風を取り込んだり窓際で日向ぼっこしたりというタイミングがほとんどなかった。冷房が要らなくなったと思ったらいきなり冬間近になったからだ。ああ、今年の秋も一瞬かと残念がっていたら、冒頭に書いたように今日の昼下がりは珍しく懐かしい秋の日和。窓を開放して秋を招いている。
秋が来たら秋を感じる。当たり前だ。これからの時代、たとえ秋が不在でも、不在ゆえに秋らしさを覚える人間側の感受性が必要になるのだろう。









