窓からそよ風、二字熟語遊び

著名ちょめい名著めいちょ

(例文)著名でない人が書いた名著もあるし、名著なのに著者不明の作品もある。著名な著者の作品が必ずしも名著であるとはかぎらない。

デカルトは歴史に名を残している。「デカンショ」のあのデカルトはカントとショーペンハウエルと肩を並べる著名な哲学者だ。ところが、デカルトを知っている人は多いが、『方法序説』を知っている人は少なく、読んだ人になるとさらに少なくなる。執筆されてから時を経て今も評価されている本だが、読みもせずに名著だと思っている人がほとんど。

一画いっかく画一かくいつ

(例文)漢字では一筆で書く線を一画という。線を引いて区切った土地も一画と呼ぶが、戸建ての宅地の面積や形は画一とはかぎらない。

画数が一画の漢字は何? と問われたことがある。「一」と答えたが、もう一つあると言われてすぐに思いつかなかった。しばらくして「乙」を見つけた。一画の漢字が2つと言われていなかったら、さらに続けて頭の中を弄ろうとしたに違いない。

晴天せいてん天晴あっぱれ

(例文)晴天とは雨天や曇天と対照的な晴れた空のこと。空以外のことにはつかいづらい。他方、天晴は見事な出来映えに対してならどんなことにでも使える。

天晴はほめ言葉である。誰かが実力以上の成果を発揮したら「あっぱれ!」とほめる。出来映えが同じなら、力のある人よりも力のない人のほうがほめられる。

故事 こじ事故じこ

(例文)故事は古い時代から伝わる話やいわれで、「故事来歴」という熟語でも使われる。事故は不注意が招く人災や支障を来すことを意味するが、その故事はわからない。

事故の起源や由来を調べたことがあるが、「ことゆゑ」という昔の訓読みが出てくるばかりで、なぜそう言うようになったかは不明である。事故が「ことゆゑ」なら、故事は「ゆゑごと」と言うのか。辞書には見当たらないが、AIは「ゆえごととは先行する事柄を理由として後続する事柄が生じることを指すことば」と語釈を付けてくれた。


〈二字熟語遊び〉は二字の漢字「〇△」を「△〇」としても別の漢字が成立する、熟語遊び。大きく意味が変わらない場合もあれば、まったく異なった意味になる場合がある。その類似と差異を例文によってあぶり出して寸評しようという試み。なお、熟語なので固有名詞は除外。

旧地名ノスタルジア

過去は記憶と記録の中にある。特に当てのない街歩きの途中に出くわす旧跡の碑や案内板などの記録から歴史や由来を思う。自分の記憶とつながりやすい碑とそうでない碑がある。そうでない碑は案内板を読んでもわからないので、散歩中に巡り合った縁だと思って少し調べるようにしている。

大阪市中央区はかつて商売の中心地だったので、いろいろな物品の取引所跡が少なくない。綿も信用取引の対象になった。江戸時代、大阪の摂津、河内、和泉は、大和・三河・遠州と肩を並べる、良質な綿花の産地で知られていた。こんな旧跡の案内板に出くわすと、しばし佇んで読み、写真に収めておく。


1987年に旧東区の内淡路町うちあわじまちで起業したが、2年後の1989年(平成元年)に当時の東区と南区が合区して中央区になった。同じ年に、通り三つ北の釣鐘町つりがねちょうに移転した。内淡路町も釣鐘町も旧東区時代の町名がそのままだ。さて、下記の町名である。

越中町えっちゅうまち東雲町しののめちょう仁右衛門町にえもんちょう両替町りょうがえちょう唐物町からものちょう紀伊国町きのくにちょう左官町さかんまち半入町はんにゅうちょう豊後町ぶんごまち弁天町べんてんちょう元伊勢町もといせちょう八尾町やおちょう広小路町ひろこうじちょう山之下町やまのしたちょう横堀よこぼり黒門町くろもんちょう

見た目も響きも江戸時代に名付けられた町名で、当時の風情が伝わってくる。惜しいことにこれらの町名は中央区になって消えた。弁天町は西区にあるが、中央区の弁天町とは関係がない。横堀は東横堀川に名をとどめるが、住所として存在しない。同じく、黒門市場はあるが黒門町はない。

今日のところは地名の由来や旧町名の案内板について詳しく書かない。個人的には東雲町の語感が好きだった。市電の停留所にもその名があり、「次はしののめちょう、しののめちょう」と告げる車掌の口調を覚えている。仁右衛門町はつい最近までしらなかった。池波正太郎の『雲霧仁左衛門』の時代が思い浮かぶ。材木町が生き残っているのだから、左官町も残せばよかったのに……。

合区して中央区になった頃、大阪市の郊外に住んでいたので、どんな過程を経て旧名を消し新しい名称にしたのか、あるいは別の町名に再編したのか、決まるまでに一悶着があったのかなどについては知らない。大阪市中央区民になってまもなく20年。街歩きで知る地名や町名はノスタルジアを感じるきっかけになる。

語句の断章(57)衣替え

今日は101日。わが家には56種類のカレンダーがある。その一つ、洗面所の壁に吊ってるカレンダーは、今日が「衣替え」だと告げている。10月で他に印刷されているのが14日の「スポーツの日」と31日の「ハロウィン」。衣替えは、スポーツの日とハロウィンと堂々と肩を並べているのだ。

大阪では今週も最高気温30℃超えの日々が続くとの予報。明らかに残暑である。しかし、歳時というものは、実際の季節の変化とは無関係に型通りに暦に節目を刻む。衣替えも、まるで国民の休日を祝うかのように101日の枠に印刷されている。

衣替えの「ころも」は古めかしく響き、怠らずに執り行うべき儀式を思わせる。なにしろ更衣という字も「ころもがえ」と読ませるのだから手が込んでいる。衣替えの日を年中行事の一つとして捉えて、わざわざカレンダーに印刷するのは親切心かもしれないが、余計なお節介でもある。

年中行事の四季と現実の季節感がズレてきた今、暑さや寒さの変わり目と歳時が一致しない。春間近と秋間近の衣替えのタイミングは、風習や勤務先や学校ではなく、自分で決めるしかない。今日、タンスやクローゼットの整理整頓をするのは、少なくともわが住まう所では早過ぎる。半袖のTシャツ姿で眺める衣替えの文字が現実とシンクロしていない。

現在の衣替えは、冬から春・夏へと夏から秋・冬への年2回が一般的だが、江戸時代までは違っていた。冬から春、春から夏、夏から秋、秋から冬への変わり目の年4回だった。少々面倒だが、さぞかしお洒落で風情もあったに違いない。何よりも,今よりも四季のメリハリが利いていたのだろう。

「よく知らない」という自覚

梅田のある北区のすぐ南の中央区の住民だが、梅田のことをあまりよく知らない。行かないわけではない。むしろ、学生時代から今に到るまでちょくちょく出掛けている。迷って困り果てることはないが、必ず少し迷う。だいたいわかっているようで、実はあまりよくわかっていない。

梅田の駅前再開発計画がずいぶん長く続いていて、今もなお現在進行形である。うめきたプロジェクトという。これもぼくの梅田感覚を狂わせる一因。近頃誕生したグラングリーン大阪に人が集まり賑わう。梅田が盛り上がっているのである。そして盛り上がりに比例して物価も上がっている。


インド・ネパール・スリランカ料理はよく食べる。キャリアはかなり長く、初心者に蘊蓄したり指南したりできると思う。しかし、何事もそうだが、経験値が上がるにつれて知らないことも増えるものだ。何事も、たとえ得意な領域であっても、新しい情報がどんどん押し寄せてくる。

ここでは詳しいことは書かないが、カレーにつけて食べるパンの類にナン、ロティ、チャパティなどがある。日本のインド・ネパールの店では、本場ではあまり食べないナンが出てくる。チーズナンやガーリックナンというのもある。数年前に入った店で初めて「サダナン」という文字を見た。ナンではなく、「サ、ダ、ナ、ン」。

後で調べようなどとは思わない。すぐさま店員に聞いた。サダナンはプレーンのナンのこと。つまり、何も混ぜたりせず何も足さないシンプルなナン。メニューに「サダナンの追加は1枚無料」と書いてあるが、所望する時はナンと言えば済む。いつも食べていたナンの苗字は「サダ」だったのである。


世界史に比べると、日本の歴史に詳しくない。いろんな本を何冊も読もうとしたが、途中で挫折した。平安時代の貴族の生き様や文化と相性が悪く、たいていそのあたりで本を閉じた。縄文時代から飛鳥・奈良時代までは何度も読んでいるので、まずまずわかっている。貴族の時代をパスした後は一気に幕末・維新に飛んだので、そのあたりも少し知識はある。

秋分の日に自宅から安居神社まで歩いた。目的地はもうちょっと先だったが、迂回したり寄り道したりして1時間弱。神社は真田幸村終焉の地である。そのことは知っている。ふと、なぜか明智光秀を思い出す。この時代はほぼパスしているので本では読んでおらず、ドラマや歴史ドキュメンタリーで齧る程度。真田と明智、どちらが年長か歳の差はどのくらいか、言い当てる自信がない。

境内に石垣が積んであり、道場か修行場の立て札があった。これはいったい何か、気になってしかたがない。ネットで調べても何も出てこなかったが、翌日も辛抱して追いかけたら、明治時代に奈良からやって来た「中井シゲノ」という霊能者と巫女集団の話を見つけた。

関連する本も2冊あるようだが、まずはネットで少し深掘りしてみよう。よく知らないどころか、まったく何も知らないが、梅田やサダナンよりもおもしろいエピソードがありそうな気がする。

夏の忍耐、昔の3倍

昔も暑かった。大阪の賑やかな下町に育ったが、子どもの頃の夏の暑さ、その肌感覚の記憶はいくばくか残っている。暑くても、住宅街の大部分がアスファルト舗装されていなかった時代だったから、土の地面に打ち水すれば空気がひんやりした。今のように、一日中ずっと暑かったわけではなかった。

自宅に電気を使わない冷蔵庫があって、近所の製氷店でブロックの氷を買って保存していた。魚や麦茶も入れていた。氷は高価で貴重だったから、いつも備えていたわけではないが、外で遊ぶ時はカチ割りにして口に含んでいた。

夏は防犯意識よりも避暑意識が強かった。玄関も裏木戸も四六時中開けっ放して風通しの工夫をしていた。涼をとる方法はいろいろあった。風鈴、蚊取り線香、団扇、花火、朝顔、素麺、かき氷、すいか……。これらの工夫がそのまま夏の風物詩になっていた。

昔も暑かったし湿度も高かった。しかし、そんな日々はおそらくわずか1ヵ月だったような気がする。盆を過ぎる頃から朝夕の気温も下がり始め、微風の吹く時間帯が少しずつ長くなった。空と雲が、虫や植物が、そして音と梢のそよぎが、こぞって夏の終わりの始まりを告げていた。

1ヵ月程度だった暑さ――酷暑または猛暑――が、今では3倍長く続く。春は早めに夏を先取りし、秋は持ち分を削って夏に割り当てる。エアコンという装置があるから、かろうじて長期の夏に耐えているが、引きこもっていては季節感も体調も狂ってしまう。

動物行動学者の日高敏隆著『春のかぞえ方』によれば、植物も虫も生き物はみなそれぞれの方法で春の到来を知るという。三寒四温を「積算」して、ある値に達すると、植物は花を咲かせ、虫たちは土から顔を出す。動植物はおそらく同じように夏も秋もかぞえるのだろう。

人も生き物であるから、そんなふうに温度を積算して春夏秋冬の季節を体感してきたはずだ。ところが、この10数年、猛暑は長引く。四季のメリハリがあったこの国で3ヵ月も高温を積算していたら、バグが生じて夏と秋を正しく数えることができなくなる。

何日続くかわからないが、少なくとも秋分の日の昨日は過ごしやすかった。しかし、「涼しい、秋めいてきた」と小躍りしている場合ではない。盆過ぎに涼風がそよぎ、秋分の日に秋風が吹くのはかつて当たり前だったのだ。夏は毎年次第に、かつ確実に秋を侵食している。そして、早晩、長引く夏の風物詩は「冷房」だけになるかもしれない。

街路樹の取扱い

つい先日のニュース。東京都日野市の緑道でイチョウの木の枝が折れて、その下を歩いていた男性(36)を直撃。男性は死亡した。最近、街路樹の倒木や枝の落下が目立つようになってきた。イチョウの木はこの時期ギンナンの実をつける。専門家によれば一本の枝に数10キロの実がたわわにることも稀ではなく、その重みで枝が折れて落下する。

経年した街路樹の老朽化が人の通行の安全に支障をきたすことなど、計画時には想定していなかっただろう。それが死亡事故に至ったとなれば、老木から順番に街路樹の撤去または植え替えを急がねばならない。やむをえないが、理解を示したい。


たまたまわが家のそばを通る熊野街道の始点に近い街路でも、樹木の撤去が予定されている。対象となる街路樹は約15本。「お知らせ」と書いた紙が養生テープで幹に貼られている。

このは、水道工事すいどうこうじにおいて、掘削くっさく支障ししょうとなるため、撤去てっきょ予定よていしています。
理解りかい・ご協力きょうりょくくださいますよう、よろしくおねがいいたします。
撤去作業てっきょさぎょうは、10月上旬以降がつじょうじゅんいこう予定よていです。

表現がしっくりこないが、それ以上に違和感を覚えるのはすべての漢字にルビを振っている点。誰のためのルビ? 掘削と撤去の漢字を読めない人が、掘削と撤去の意味を理解できるはずがない。行政ならではの「やれることはやっています」という形式的な配慮だ。徹底するのなら「お知らせ」にもとルビを振るべきだった。

さて、「この木は(……)掘削の支障となるため」が引っ掛かる。街路樹と水道工事の局は違うが、同じ自治体。ずっと以前に木は当該自治体が植えた。自ら植えた木をぬけぬけと・・・・・「支障となる」と言えるものだ。街路と木々の経緯や水道工事の内容を語らずに、支障とは非情である。

街路とは街の中を通る道である。適当に作るのではなく、長い目で計画的に・・・・作っている。したがって、街路の街路樹も計画的に構想されて植栽されている。植えた時は、市街の美観、環境の整備と保全が目的と説明したくせに、水道工事の邪魔だと判断したら「掘削の支障」の一言で済ませる。撤去を予定と言うが、これは「決定」の意である。隣の自治会のエリアだから出しゃばらないが、役員が知り合いなので、今度会ったら話題にしてみたいと思う。

見たり読んだり思ったり

📌 大手書店に特設コーナーができて、これでもかとばかりに文庫版『百年の孤独』が並べられている。若い頃に単行本で読み、30代でガルシア・マルケスの他の作品も読んだ。そうだ、もう一度『百年の孤独』を読もうと思った時は見当たらなかった。ダンボールに入れたまま不要品と間違えて捨ててしまっていた。数年前に古書店で単行本を見つけて読んだ。そして、いま最新刊の文庫本も手元にある。
何度読んでもあらすじも登場人物も覚えない。残っているのは風土と空気の匂い、突拍子もない物語と出来事のシーンばかり。今回は文明の5つの利器、磁石、望遠鏡とレンズ、天文学、錬金術、写真術が印象に残る。とても理系的だ。

📌 自民党総裁選の各候補者の決意表明。理屈量の多いことばが耳に入ってこないし、感情量の多いことばは滑稽である。これはことばのせいなのか。もしかして決意なんていうものが、そもそも他人ひとに言うものではないのかもしれない。

📌 「グッドラック!」は、別れ際や離れ際の祈り。その後、実際にどうなるかについては言った本人は関心を示さないし責任も取らない。言われた方も何とも思っていない。

📌 毎日が暑い。暑さが積算されてきて、とんでもない総和になっている。睡眠不足はないが、暑さ疲れで仕事中に眠くなる。歩いていても、食事をしていても、本を読んでいても眠くなる。眠くならないのは眠っている時だけだ。

📌 春に颯爽と出掛けて、その土地の情趣を味わった。夏になると、そこは不毛の場のように思える。行ってみようとも思わない。

📌 『百年の孤独』のせいかもしれないが、本棚からウンベルト・エーコの『バウドリーノ』上下巻を取り出した。『百年の孤独』のページ数を超える大作。いくつかある共通点のうち、特徴的なのが「しつこさ」だ。『バウドリーノ』のしつこさは章立てに顕著である。

 1  バウドリーノは書きはじめる
 8  バウドリーノは地上楽園を想像する
13 バウドリーノは新しい町の誕生を目の当たりにする
16 バウドリーノはゾシモスにだまされる
20 バウドリーノはゾシモスに再会する
25 バウドリーノはフリードリヒが二度死ぬのを見る
32 バウドリーノは一角獣を連れた貴婦人に会う
37 バウドリーノはビザンツの宝物を増やす
40 バウドリーノはもういない

語句の断章(56)「他人」

今さら念を押すまでもなく、他人は「たにん」と読むのが基本。しかし、例外があって、「ひと」とルビが振られていることが稀にある。他人を「たにん」と読ませる時と「ひと」と読ませる時では、意味とニュアンスの違いが出る。

Aを固有の人名だとする。「A他人たにんです」と言えば、Aは自分以外の人である。自分以外の人は、親族・親類とそれ以外の人に大別される。他人たにんは親族・親類以外の人とされる。おそらくAは友人や知人ではない。友人や知人なら、他人たにんなどとは言わない。他人たにんAと自分には道で見知らぬ者どうしが通り掛かる以上の関係はなく、この先どうなるかはわからないが、今のところ利害を共にしたりお互いを必要としたりする仲ではない。

他人を「ひと」と読ませたい時、「A他人ひとです」とは決して言わない。自分に直接関係のない事を「他人事ひとごと」と言うが、Aという人名と他人ひとをセットにしてしまうと、Aを適当に扱っていたり素知らぬ顔をしたりしている感じが色濃く出る。他人ひとと言う場合は、自分との分別を強く意識している。そこには「自他」という――現実の人間関係とは別の――存在関係がうかがえる。他人ひととは、自分とは異なる「他者」という存在なのである。

哲学に「他者問題」というのがある。自分には他者の心がわかるのか、仮にわかるとすれば、どのようにわかるのか……そんなテーマを考察する。今、友人一緒に食べているステーキを自分はおいしいと思っているが、他者である友人は自分と同じおいしさを感じているのかどうか。他者の頭痛、他者が見ている色、他者が言う「わかった!」という理解の程度を、自分はわかることができるのか。

他人たにん他人ひとの違いを出すために、他人ひと他人事ひとごとではなく、他者としてとらえてみたい。その瞬間、哲学の思索が始まって頭を痛めることになるが、やむをえない。赤の他人たにんを他者に見立てて論じようとすれば責任が伴うのである。

店主の決断、言い訳を少々添えて

ランチに何を食べるか、午前11時過ぎ頃から迷い悩み始める。ほぼ毎日のことだ。オフィスに備蓄してあるカレーや丼のレトルトにするか、弁当を買ってくるか、外食するか……。外食が一番悩み多いが、いったん店が決まればメニューもほぼ決まるので、それ以上は迷わないし悩まない。

買い置きしてあるカレーや缶詰類に値上がり感はない。弁当を買う店は限られていて、直近の数年間は500円から600円の範囲で収まっている。問題はランチ処である。ここ12年でどれだけ値上がりしたか近似値でチェックしてみた。

担々麺 800円→950
冷やし担々麺 900円⇢1,050
ビフカツ/トンカツ 1,000円⇢1,300
京御膳 1,100円⇢1,300
中華定食 900円⇢1,200

もちろん値段据え置きの店もある。鯛めし屋の定食は開店以来ずっと1,100円、寿司屋の盛り合わせは相変わらず良心的な650円、鉄板焼きのソース焼きそば定食も目玉焼きをトッピングして850円で奉仕している。据え置き組は5店に1店くらいだと思われる。


大きな薪窯を設えた、ピザが売りのイタリア料理店。先日店の前を通りかかった。しばらくぶりである。「ランチの価格・営業日変更のお知らせ」の貼紙が出ている。この店のランチは長らくお得な800円だったが、2年前に1,000円に値上げされた。それでも十分にリーズナブルな値付けだ。メインのピザの他にハムの入ったサラダ、窯焼きのパン、ドリンクがセットになっているのだから。しかし……

ついに我慢の限界が近づいたようだ。セットをやめ、値段そのままで単品の提供にするか、それともセットを付けたままで1,300円に値上げするか……この二択を夫婦で話し合い、セットを維持して価格をアップすることにした……そんな事情と経緯が詳しく書かれている。客としてはもっと利用して売上に貢献したいが、物価高で苦戦している行きつけの店はここだけではない。困っている店にまんべんなく足繁く通うには限界がある。

昨日は、数ヵ月ぶりに和定食の店に入った。すべての定食にご飯、味噌汁、小鉢2品、漬物がつく。メニュー表の値段に変わりはないが、新しく作り替えられたらしいメニュー表の最上段に食材高騰の影響について注釈があった。この店は、値段を上げずに、値段そのままで小鉢を一つ減らす決断をした。この程度なら大勢に影響はない。

ここまで書いてランチに出掛けた。冒頭のほうで紹介した担々麺の店である。そろそろシーズン最後の冷やし担々麺を注文した。値段は3ヵ月前と変わっていなかった。


常連が会計時にスタッフとことばを交わすのが聞こえた。

「来月から値上げって、ほんと?」
「ええ、そうなんです。でも担々麺はそのまま。醤油ラーメンとチャーシュー麺は上げさせてもらいます」
「いくら? 100円くらい?」
「いえいえ、50円です」

この程度なら深刻な値上げ事象ではない。企業努力と呼んであげたい。

抜き書き録〈テーマ:野菜〉

「キノコは菌類で、ジャガイモはイモ類、野菜に含めるのは変だ」と言う人がいるし、そういう説もある。「メロンもイチゴも果物」という分類にも異論が出る。穀物・肉・魚・野菜と大雑把に分けるなら、キノコやイモやスイカやイチゴは生鮮野菜のグループに入る。

7月と8月、暑さに負けないようにしっかり夏野菜を食べた。野菜に関する本も読んでみた。

📖 『身近な野菜のなるほど観察録』(稲垣栄洋著)

主題は「野菜だって生きている」。「野菜が植物であり、生命ある存在であることは誰もが知っていること」と著者は言う。本書では次の43種類の野菜が紹介されている。

キャベツ、レタス、タマネギ、エンドウ、ソラマメ、アスパラガス、タケノコ、ゴボウ、カボチャ、シソ、エダマメ、ナス、トウモロコシ、トマト、ピーマン、トウガラシ、メロン、スイカ、キュウリ、ニガウリ、オクラ、ショウガ、ミョウガ、ネギ、ニラ、ラッキョウ、ニンニク、ラッカセイ、シイタケ、サトイモ、ジャガイモ、サツマイモ、ヤマノイモ、レンコン、イチゴ、カリフラワー/ブロッコリー、ダイコン、カブ、パセリ、ワサビ、ニンジン、ホウレンソウ、ハクサイ

野菜を広義で捉えているので、メロンもスイカもイチゴも、また、シイタケもイモ類も収まっている。このリストから「マイベスト10」が選べるかどうか試してみた。悩みに悩んで選んだが、18種類が残り、それ以上絞れない。ベスト10ではなく、「よく常食している10種」にしてみたら、何とか選べた。キャベツ、タマネギ、トマト、ピーマン、トウガラシ、ニンニク、ネギ、シイタケ、ブロッコリー、ニンジン。汎用性と出番ではタマネギが一番かもしれない。その項には次のように書いてある。

タマネギ|玉葱たまねぎ ユリ科
涙なしには語れない

📖 『食ことわざ百科』(永山久夫著)

野菜だけでなく、食材全般について書かれている。米や餅、大豆、魚、茶についての記述が豊富だ。

「野菜」の本来の意味は、「野」と「草」と「る」からなっているのをみてもわかるように、「野」の「草」を「摘む」ことである。(……)日本の「おかず」は、古くから”野のもの”の比重が、たいへんに大きかった。

わが「岡野」の姓は、丘に登って木の実やキノコを採り、野に出ては野菜を摘んだことに由来するに違いない。野菜のことわざでおもしろいのが一つあった。

ねぎは人影でもきらう

「ネギは日当たりのよい畑でないと生育しない。ネギは、少しの日かげもきらう」らしい。このことわざが正しいなら、ベランダの日陰で育てられるネギは気の毒だ。

📖 『イタリアに学ぶ医食同源』(横山淳一著)

イタリアに行き始めた頃は、麦と肉が中心で野菜控えめな偏食民という印象をイタリア人に抱いた。何度も訪れているうちに、そうではないことに気づいた。どんな料理にもよくトマトを使い、ミネストローネにはいろんな野菜をたっぷり入れる。肉料理ではハーブの出番が多く、ポテトやホウレンソウもよく付け合わせる。決してパスタとピザだけではない。もちろん、ワインを忘れてはいけない。

伝統的な郷土料理には、その風土で育ったワインがよき伴侶になる。したがって、トラットリアはもちろん、リストランテにもソムリエは原則としていない。気の利いたカメリエーレ(給仕人)がいれば必要もない。

地産地消を徹底している。ワインは、かつては水の代わりであり、今ではジュースである。食中酒としてのワインは野菜の一種として見立てることができる。