語句の断章(65) 付箋

英語の「ポストイットPost-it)」付箋ふせんと訳したのではない。また、付箋のことをポストイットという英語で言い換えたのでもない。付箋とポストイットは同じ機能を持つ同種の文具だが、付箋は一般語で、ポストイットは3Mスリーエムという会社の商標である。Post-itというロゴの右上にはのマークが印されている。


ポストイットが画期的だったのは貼っても簡単にはがせた点だ。脱着可能な糊が発明されてポストイットが1968年に発売された。もちろんそれ以前からわが国に付箋はあった。注釈や覚書を書いた紙を本に挟んでいた歴史がある。はさむだけでは紙片が落ちるから、糊で貼った。昔の古文書に付箋が貼られているのを展示会で見たことがある。

企画会議などではポストイットと呼ぶ人が少なからずいる。もちろん、付箋という、少々古めかしいことばを習慣的に使う人もいる(若い世代にもいる)。ところが、書くとなると、ポストイットが増える。理由は簡単。付箋の「箋」が書けないのだ。便箋の箋なのに、使う頻度が異常に少ない。便箋は使うくせに便箋という漢字はあまり書かない。生涯一度も書かない人もいるはず。箋の字が書けない人は「ふせん」または「フセン」と書く。

新明解国語辞典によると、付箋は「疑問の点や注意すべき点を書いて、はりつける小さな紙切れ」。そう、付箋にはすでに「紙」の意が含まれている。だから、付箋紙と言ったり書いたりするには及ばない。便箋のことをわざわざ便箋紙と言わないのと同じだ。

実は、付箋は人気のあるステーショナリーである。文具店を覗いてみると品揃えの豊富さに驚く。本を読み企画をし文章を書く仕事に従事していたので、一般の人の何十倍も付箋を消費してきたと思う。重宝して使っているうちに、差し迫った必要もなく在庫もあるのに買う癖がついた。

本家のポストイットに比べて百均の付箋は激安だ。そのせいで気軽に買うから、どんどん増える。増えたら使えばいいが、付箋というものは使っても使ってもいっこうに減らないのである。同じサイズ・色のものばかり使っていると飽きるから、在庫があるのにまた買う。文具好きの机の引き出しには付箋の束が詰まっているはずである。

抜き書き録〈テーマ:絵画〉

芸術の季節と言えば、通り相場は「芸術の秋」だが、たとえば「美術の春」があっても不思議ではない。春にどこかに出掛けて風景を眺めたり街中でたまたま展覧会の前を通り過ぎたりする時、美術の春を想う。春に目に入ってくる対象は明るい水彩画のモチーフになる。

ゴールデンウィークは近場に出掛けてよく歩いたが、どこの美術館も要予約。行き当たりばったりでは入館できない。と言うわけで、絵画に関する本で美術不足を補った。もっぱら鑑賞側の愛好家だが、久しぶりに絵筆をとってみようという気になっている。


🖌 読書画録どくしょがろく(安野光雅)

いわゆる画家が、自分を芸術家だと信ずるために、看板絵などを軽く見ることのすくなくなかったそんな時代に、場末の風俗や、安花火や、果物屋の店頭に、時代に先んじて美しさを発見し、
――つまりはの重さなんだな――
といわしめる一の檸檬を絵にしたのである。

画家である安野は梶井基次郎の小説『檸檬』を読んで、この作品を絵だと思ったと言う。小説の読後の感覚と絵画鑑賞の感覚に同等の感動を覚えたのだ。本書の表紙は安野自ら描いた京都三条と麩屋町ふやちょうの交差するところ。すぐ近くに丸善があった。当時、『檸檬』を読んでその余韻を求めてやって来た人が多かったはずと安野は思う。

🖌 『絵はだれでも描ける』(谷川晃一)

(……)上手な絵だけが絵画ではないし、上手ということがそのまま見る者を感動させるとはかぎらない。むしろ上手に描くことによって真の魂の創造的表現力が失われることもめずらしくないのである。
ここでいう「創造的」とは何か。(……)「創造美術教育」のリーダー的存在であった久保貞次郎は(……)創造的である作品の特徴を次のように分類している。
1、概念的でない。
2、確固として自信にあふれている。
3、生き生きとして躍動的。
4、新鮮、自由。
5、迫力があるか、または幸福な感情にあふれている。

上手でなくても絵の好きな児童が描く創造的な絵はおおむね上記の5つの特徴を満たしている。他人に認められるモチーフや技を過剰に意識し始めると条件からズレてくる。モチーフについては次の一冊が参考になる。

🖌 『千住博の美術の授業  絵を描く悦び』(千住博)

画家の場合、モチーフとの出合いは一生を左右します。だから私は、モチーフは自分で得たものではなくて、「与えられたもの」だと思うのです。従って、少し描いて飽きた、とか、一枚描いたらもう繰り返し描かない、などというのではなく、何枚でも何枚でも描くのです。

イタリアのボローニャに旅した折り、市庁舎内でジョルジョ・モランディの常設作品展をじっくりと見た。モランディは主に卓上静物というテーマに生涯取り組み、同じような作品を次から次へと生み出した。しかも晩年はボローニャから外には出ずアトリエに閉じこもって創作を続けた。どれも似たり寄ったりで、あまり好みの筆遣いではなかったが、記念に101セットの絵はがきを買った。買った当時よりも今のほうが気に入っている。モチーフに憑りつかれてこそ生まれる画風の個性なのだろうか。

ことばとモノの光景

🔃

行きつけの店の担々麺には半端ない量の肉味噌が入っている。麵を食べた後に、肉味噌の肉と鷹の爪とスープが鉢の底に残る。ミンチ肉を残すのはもったいない。だが、食べ切ろうとしてレンゲを使えばスープも鷹の爪も一緒にすくってしまう。
ある日、穴あきレンゲがテーブルに備えられていた。そうそう、これがいい……と思ったが、穴あきレンゲでもミンチ肉と鷹の爪は同居する。結局、レンゲに残った肉を口に運ぶには
箸で鷹の爪を取り除くことになる。スープがない分、穴なしレンゲよりも多少は食べやすいが、肉と鷹の爪を分別できるレンゲは開発されるだろうか。

🔃

「安っ!」と言うと、料理の値打ちが下がるので、「真心のこもりし御膳春盛り」などと五七五でつぶやくようにしている。
「夢を信じた若き頃 今を信じて生きる日々」などと
七五調でつぶやくと、深刻な話もリズムを得て軽やかになる。

🔃

「雲と空」と「空と雲」。どっちでも同じだろうと思ったが、書いてみたら違って見える。
雲と言うと、言外に空を感じる。だから「雲と空」と言わなくても「雲」とだけ言えばいい時がある。
他方、空と言うだけでは、雲のことは思い浮かばない。だから雲のことも言いたいのなら「空と雲」と言わねばならない。

🔃

大きな虹が出た。みんなが見上げた。鈍感な人も視野の狭い人もみんな見上げたはず。大きな虹は人々を分け隔てなく包容する。
虹が出ていなくても、時々空を見上げてみるものだ。空を見上げるのを忘れたら、目を閉じて空を想う。それを「空想」と言う。

🔃

風景や花を見る。見て何かを語る。対象と距離をおいて感じようとするから語れるのか、それとも、対象に分け入って交わろうとするから語れるのか。
ものの見方や語りは、やれ前者だ、いや後者だと、主張は二分されるが、白黒がつく話ではない。どちらもあるかもしれないし、どちらでもないかもしれない。

🔃

春の陽射しとそぞろ歩き

日光を浴び過ぎると皮膚に良くないという人がいる一方で、日光をほどよく浴びるとセロトニンが分泌されるという専門家もいる。どういうメカニズムかを調べて歩くのは野暮なので、セロトニンは何となくいいものだと思うことにして散歩に出掛ける。

北西というおおよその方向を目指す。自宅から北上する途中で二人連れや小グループの外国人に次から次へと出合う。このあたりの外国人観光客は大雑把に言うと西洋人である。彼らは観光地以外のオフィス街にも頻繁にやって来る。職場近くのお好み焼き店では日本人がぼく一人ということも稀ではない。

土佐堀川と堂島川に挟まれた全長3キロメートルの中之島公園もほどよく賑わっていて、ゲームに興じたり弁当を食べたりしているのはいい光景だ。ゴールデンウイークに渋滞の中をわざわざ遠方まで行かなくても、近場にいくらでもいい場所がある。イライラして移動するよりも、芝生に寝転んでセロトニンとやらをいただくほうが心身にやさしい。

黄モッコウバラ

ラ園はまだバラ園らしくない。「♪五月のバラ」という歌を思い出す。そう、バラの出番はおおむね五月だ。今は美術館の裏手の川沿いに咲く黄モッコウバラの生長が著しい。

東洋陶磁美術館前

緑が鮮やかだ。緑のグラデーションは目にやさしく、目薬要らず。緑ばかりが続くよりも所々に建物や構造物が点在する光景が気に入っている。

淀屋橋から東方面を望む

中之島公園の最東端から歩き始めて、川に沿って歩きバラ園と公会堂を過ぎると大阪市役所横に至る。いつも淀屋橋の欄干から今歩いてきた方角を振り返る。

「御堂筋パークレット」(別名、淀屋橋いちょうテラス)

淀屋橋から御堂筋を南下する。歩道と車道の間のスペースを生かして、23年前からウッドデッキやベンチやカウンターが設置されるようになった。カフェで休憩するのもいいが、この時期から来月中旬までならアイスコーヒーをテイクアウトしてパークレットでくつろげる。若かった頃の昔の御堂筋はそぞろ歩きする大人のイメージだったが、自分が大人になった今、車線も少なくなって、大通りだった御堂筋は垢抜けした通りになった。

「音」を紡ぐように二字熟語遊び

風は見えないが、樹々の葉が揺れ動く時に風を感じる。葉が揺れてれて木の梢から時々音が生まれる。見えないが、音は方々から聞こえてくる。音は物が振動して波になって奏でられる。また、音は文字としても紡がれる。音はおもしろい

音楽 おんがく 楽音 がくおん
(例)「何千人という学生を指導してきたが、音楽楽音の違いを的確に言えた者は一人もいない。音楽は芸術であり、楽音は楽器の音なのだ」」

少々苦し紛れの例文だと認める。解説は辞典の助けを借りることにしよう。
音楽とは「心の高揚・自然の風物などを音に託し、その強弱・長短・高低や音色の組み合わせによって聴者の感動を求める芸術」。聴き手が感動してこその音楽なのだ。他方、楽音とは「人間の耳に快感を与え一定の高さのものとして認識される、弦楽器・管楽器などの音」。これも快感を与えないといけないのだ。

大音 だいおん 音大 おんだい
(例)「もっと大音を響かせるようにして名乗りたまえ。君の声は音大卒とは思えないほど小さく弱々しいぞ」

辞典に大音という見出しはない(大音声や大音量ならある)。以前、何かの本で「大音を出す」という表現を見た。昔は「大音上げて名乗る」などの言い回しがあったという。
音大でボイストレーニングをすれば大音を響かせるようになれるだろうか。ところで、わが国には約80の音大があるそうだ。美大が30校だから、音楽という芸術の人気ぶりがわかる。

音波 おんぱ 波音 なみおと
(例)「ロマンを感じさせる文学的な波音は、実のところ、水中を伝わる音として知覚される、物理的な音波という波動にほかならない」

ものが振動すると音波が生じる。音波は空気中や水中を伝わる。水中を伝わる音波が波音だ。波は音を連れて、押し寄せては砕け、そして引いていく。上田敏の訳詩集の題になっている『海潮音』もまた波音。洒落た響きがある。

音声 おんせい 声音 せいおん
(例)「口と喉と胸を使って言語を形作るのが音声なら、声音はいったい何ですか?」「うーん、声音とは……こえ・・のことだよ」

音声は音がことばとして発せられて声になる。それなら声音も同じではないかと思い、辞書を調べてみたら「個々に、またその時々によって変わる声」と書いてあった。結論:音声も声音もこえ・・である。


〈二字熟語遊び〉は、漢字「AB」を「BA」と字順逆転しても、意味のある別の熟語ができる熟語遊び。例文によって二つの熟語の類似と差異を炙り出して寸評しようという試み。大きく意味が変わらない場合もあれば、まったく異なった意味になることもある。熟語なので固有名詞は除外する。

カタカナ語の記憶再生

カタカナ語に対する風当たりが強い時代があった。読みづらいし意味不明だとこき下ろされた。日本人なら日本語で書けとも言われたが、日本語に訳してもわからないものはわからない。それなら、原語の発音に近いカタカナで表記して別途意味を覚えるほうが手っ取り早い。カタカナが少々目障りなのは我慢するとして。

文化庁のサイトにカタカナ語の認知率/理解率を調査したデータが載っている。使用頻度上位10語は下記の通り。

■ストレス  ■リサイクル  ■ボランティア  ■レクリエーション  ■テーマ  ■サンプル  ■リフレッシュ  ■インターネット  ■ピーク  ■スタッフ

日本語として市民権を得たものばかり。ほとんどの成人は認知して意味を理解し、かつ自ら使えるはず。ところが、全120語中の頻度下位の10語になると一気に難度が上がる。

■モラルハザード  ■リテラシー  ■タスクフォース  ■バックオフィス  ■エンパワーメント  ■メセナ  ■ガバナンス  ■エンフォースメント  ■インキュベーション  ■コンソーシアム

英語ができて時事に少々精通していればある程度は認知できそうだが、日常生活では出番が限られた用語ばかり。しかし、ビジネスや高等教育の現場では時々出てくる。

記憶しづらいのは固有名詞だ。固有名詞はある種の記号なのでコトバとイメージを一致させる必要がある。興味のない人名、地名、店名などのカタカナ語は覚えづらい。他方、固有名詞の記憶が得意なオタクたちは、お気に入りの外国のスポーツ選手、俳優・歌手、街の名などは何十何百という単位で覚え、ものの見事に再生してしまう。


一度では覚えられそうにないワインや料理、植物、店名などを愛用の手帳にメモするようにしている。そのおかげでシッサスエレンダニカという観葉植物を覚えた。しかし、これは例外で、何度読み返しても忘れ、時間が経つとまったく再生できなくなるのがほとんど。

手帳のページを繰ったら、コスパのいい白ワインの名前が出てきた。

カンティーナ・ディ・モンテフォルテ/クリヴス・ソアーヴェ・クラシコ 

調べれば「カンティーナ・ディ・モンテフォルテ」はイタリアのヴェローナに本部を置くワインの団体だとわかる。そこが手掛けた白ワインが「クリヴス・ソアーヴェ・クラシコ」。くっつけると長くて覚えにくくなる。名前を知らずともワインは飲めるから支障はない。なのに、なぜ名前を覚えるのか。人差し指で「これ」と言うだけではつまらないからだ。

別のページ。2年前に初入店したモンゴル料理の店の料理名が記してある。店の名前は覚えている。3文字なのに「グジェ(羊の胃袋)」は忘れていた。他に「チャンスンマハ(塩茹での羊肉)」と「ツォイビン(羊肉と麺の炒め物)」。カタカナを見たら思い出すが、自分では再生できない。

海外滞在中に自分が撮った街の写真を見れば街の名前が言える。店の名前も割と記憶できるほうだが、バルセロナで入った老舗バルの名前は何度確認しても忘れてしまう。最初“El Xampanyet”の綴りを見た時にXエックスつながりでXeroxゼロックスの綴りと音を連想して「エル・ザン・・パニェット」と読んだ。それが今も尾を引いている。正しくは「エル・シャン・・・パニェット」(スペイン語ではなく、カタルーニャ語の発音)。

カタカナ語は面倒だが、カタカナの名と写真を結び付けると覚えやすい。また、何度も見、何度も発音し、関連する表現をセットとして覚えると忘れにくい。以上、カタカナ語の月並みな覚え方のコツをまとめたが、これは語学全般に当てはまるコツと同じである。

「道なり」と「アンチ道なり」

シニアの生き方として、一つに「道なり」があり、もう一つに「アンチ道なり」がある。

道なりはよく使うことばだが、オフィスに所蔵している78種類の辞典のうち、見出し語として載せているのは広辞苑と旺文社の国語辞典のみ。愛用の新明解は収録していない。広辞苑は次のように記載している。

みち・なり【道形】 道のまま、それに沿うこと。「――に行けば駅に出る」

シニアの生き方で言えば、歩んできた道の流れに逆らわず、過去と同様に今日も明日も道のそのままの形に進むこと(そうすれば幸福駅(?)に辿り着く)。1日の大半をこれまで通りにルーチンをこなすことに費やしていれば、余計なことを考えることもなく、その範囲ではやるべきことをこなせて物忘れも何とか防げる。

はっきり言って、そんな生き方はマンネリズムであり惰性的生き方であるが、今さら「惰性に流されるな!」と叱咤されても、シニアには逆効果になることが多い。物体が今までの法則通りに運動を維持しようとするように、シニアの惰性も慣性法則の一つであり、道なりに沿って進むのが自然だ。

いや、惰性はよくないと思うのなら、1日のルーチン日課の大枠を維持したままで、新たな日課――初めての趣味や生活の創意工夫――に励んでみる。これまで経験したことのない新鮮味を覚えたり感動の瞬間を味わえたりできるかもしれない。何よりも脳の老化を遅らせることができる。

但し、背伸びのし過ぎは禁物。まずは道なりを徹底することが肝要だ。習慣的にやっていることを続けるだけで集中力を維持することができる。そして日々、少し残念に思う惰性的に過ごす時間の範囲内でアンチ道なりを試みる。アンチ道なりはこれまでの生き方の一部方向修正である。

ところで、道なりを徹底するには、何が自分にとっての道なりかをわきまえておく必要がある。道なりとは上図で「これまでの――から――へと無理なく・・・・進むこと」であり、アンチ道なりとは三叉路で「――から――へと急転回・・・すること」である。惰性的な行動を改めて能動的な生き方にシフトするにしても、道なりを全否定しているわけではない。一部のアヴァンギャルドなシニアがアンチ道なりで成功していても、憧れるべからず、安易に真似ようとするべからず。基本はとどまらないこと、そして道なりに進むことである。

抜き書き録〈テーマ:短編小説〉

小説の抜き書きをすることはめったにないが、今回は短編小説の「つかみ」と「結び」に注目してみた。長編とは違って、短編ではつかみで緩むことは許されないし、だらだらと物語を結ぶわけにもいかない。『教科書名短編――人間の情景』(中公文庫)所収の作品からつかみと結びをいくつか取り上げる。

📖 つづみくらべ」   山本周五郎

 庭さきに暖かい小春日の光があふれていた。おおかたは枯れたまがきの菊のなかにもう小さくしか咲けなくなった花が一輪だけ、茶色に縮れた枯葉のあいだから、あざやかに白いはなびらをつつましくのぞかせていた。

庭や花に不案内な者でも――そして、たとえ文字から想起するイメージが鮮明でなくても――姿と色が情景として浮かび上がるような気がする。庭の全体や他の花は見えてこない。しかし、文字が紡いだところだけははっきりと見える。次の文が続いて音も聞こえてくる。

 お留伊るい小鼓こつづみを打っていた。

この一文が、作品の中身のほとんどをジャンプして、下記の結びの3行につながっている。

 「いィやあ――
こう・・として、鼓は、よく澄んだ、荘厳でさえある音色を部屋いっぱいに反響させた。……お留伊は「男舞」の曲を打ちはじめた。

こう・・として澄む」とは、耳を澄ますの意。中学の国語教科書にしてはハイレベルだ。指導する教師も大変に違いない。

📖 前野良沢まえのりょうたく   吉村 昭

 入口の戸をたたく音がしている。
書見台と対していた前野良沢まえのりょうたくは、医書からをはなした。淡いで文字を追っていたかれの目は充血している。

戸をたたく音と部屋とが対比される。ほぼ闇のような空間の沈黙が破られ、人物のただならぬ集中が途切れる。抽象語がない。いきなりの抽象語はつかみに向かない。

📖 「高瀬舟たかせぶね」    森 鴎外

 次第にふけて行くおぼに、沈黙の人二人を載せた高瀬舟は、黒い水のおもてをすべって行った。

森鴎外には叙述的な書き出しが多い印象があるが、それだけにここぞという時の叙情が光る。この短編の結びで音は聞こえないが、動きとともに色の変化が見える。水面に朧月の色が少し滲みているはず。


錚々たる作家の手になる12の短編から、選んだのはわずかにつかみが2つ、結びが2つ。表現候補がおびただしいだけに、物語の劈頭へきとう掉尾ちょうびは悩ましい。

Undo、取り消す、元に戻す

正月の2日の書き初めを長らく習わしとしてきたが、今年は書かなかった。いや、書けなかった。したためる言葉も決め、硯も墨も半紙も用意して実際に筆を取って書いてみた。しかし、仕上がらなかった。何度書いても一文字だけうまく書けず、半紙をクシャクシャと丸めては捨てるを繰り返すばかり。諦めた。

何枚も書き損じているうちに、昔に比べて書き損じのダメージが小さいことに気づいた。以前は半紙を何枚も墨で汚してしまう後ろめたさを感じたものだ。墨文字が消しゴムで消せたらと望んだこともある。今は、満足するまで何度もやり直せばいいという感覚になっている。もしかすると、パソコンのワードやパワーポイントの手軽なUndoアンドゥ(元に戻す)やRedoリドゥ(やり直す)機能に慣れたせいではないか。親戚の家ですき焼きをご馳走されることになり、伯父が何もかも仕切った。砂糖を入れても甘くならない。「まだ足りないか……」とつぶやきながら、伯父はさらに足す。甘くなるどころか塩辛くなっていることに気づいたのが三度目の味見。入れていたのは砂糖ではなく、塩だった。一からやり直すことはできるが、今調理中の鍋の具の味は元に戻らない。

コーヒーをテーブルの上でこぼしたら、コーヒーはカップに戻らない。テーブルの上を拭いて、もう一度コーヒーを淹れてカップに注ぐことになる。ところが、パソコンの世界では打ち込んだ文字や作った図形を、ボタン一つで「なかったこと」にできる。操作を簡単に取り消して一つ前の状態に戻し、その状態からやり直しができる。書き初めで言えば、墨が消えて半紙が白紙に戻るのである。何度でもやり直せる。

バーチャル世界でのマジックのような取り消しとやり直しが、リアル世界でもまるで何事もなかったかのようにボタン一つ、指令一つで行われるようになった。その最たるアンドゥとリドゥが米大統領の関税の上げ下げだ。本来なら由々しき25パーセントが一晩で上げられ、そして次の日に下げられる。有機的現実が無機的に変えられる様子は、まるでパソコン上での操作を見ているような感じである。

漁港の街を歩く

隣県の和歌山に出掛けた。7年ぶりになるが、その時は仕事だった。今回は和歌山市の漁港の風景を眺めようと思い立った次第。

ところで、海際の入江に続く急峻な丘に集落ができ、世界一美しい海岸の街と称されて世界遺産になったのが南イタリアのアマルフィ。2002年にナポリとカプリを訪れる機会があった。残念ながら、長距離バスはソレントから内陸を走ってプーリア州に向かったため、ソレントの先の海に面した街、ポジターノとアマルフィを眺めるチャンスに恵まれなかった。

アマルフィ(イタリア/カンパーニャ州)

和歌山市のホームページで「日本のアマルフィ」と形容されていた漁港を知る。雑賀崎がそれ。「さいかざき」と読む。メトロ→JR快速で和歌山駅へ、そこから巡回バスに乗り換えて雑賀崎まで、自宅からの所要2時間半。街歩きの歩数は約15,000歩と大したことはないが、復路は1時間か2時間に1本のバスに合わせるのに少々苦労した。

雑賀崎の地形は写真で見るアマルフィに似ている。住居が肩を寄せ合うような密度の高い集落、急な坂、狭い路地と階段、高台からの桟橋と港の眺望。雑賀崎にはアマルフィのような優雅さはないが、漁村の日常生活と素朴な風情が感じられた。

よく知られた山部赤人やまべのあかひと万葉秀歌がある。

若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさして鶴鳴き渡る
(わかのうらに しほみちくれば かたをなみ あしへをさして たづなきわたる)

雑賀崎はその和歌浦わかのうら景勝地の一角を占める。雑賀崎を詠んだ、藤原卿ふじわらのまえつきみの一首も万葉集にある。

紀伊の国の雑賀の浦に出で見れば海人の燈火波の間ゆ見ゆ
(きのくにの さひかのうらに いでみれば あまのともしび なみのまゆみゆ)

昼間なのであいにく漁師の燈火も小さな漁船も波間ごしに見えなかった。高台の沖見の里まで坂を上って眺望し、海辺からの住居群の景観を撮り収めた。

細い坂道を上り切れば集落と海の眺望が開けた。
ブラタモリだったら岩肌を見てウンチクが語られたはず。
小1時間かけて隣町の和歌浦のバス停を目指す。

食事処を探したが、魚料理のメニューが見当たらない。漁港で獲れたての魚が買えると書いてあったが、朝に出た船が戻ってくるのはおおむね午後3時。そんなには待てない。魚料理を楽しみにしていたのに、エーゲ海料理の店で豚肉のスペアリブを食べることとなった。