追憶から想像へ

郷愁や追憶ノスタルジー〉。かつての場所やかつての時間への回帰。古い映画を懐かしむような響きがある。ぼくの世代なら昭和へのノスタルジー。記憶の断片に触れてはちょっぴり感傷的になり、小さく静かに胸のあたりが鼓動する。

きみの現在。きみは数十年がむしゃらに働いてきた。定年を迎え、仕事が終わった。これから好きなように余生を送るぞと威勢がいい。ところで、余生は未来のことだけど、きみには未来は見えているのだろうか。

過去のおぼろげな記憶を何度もなぞり、ノスタルジックに撫でまわす。気持ちはわかるが、そればかりでは余生がつまらない。未来よりも過去のほうが長いのだから、なぞったり撫でたりしていたら時間はいくらあっても足りなくなると思うが、どうだろう。

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いたずらに追憶に時間を費やすのではなく、今をしっかりと生きて未来に想像を馳せるほうがよほど精神が横溢するのではないか。未来の物語を紡いでみると生命の息吹を実感できるはず。余白のない追憶のアルバムを閉じて、さあ新しいページへと向かおう。

聴いていたふり

フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダンは、繰り返される日々の、ぼんやり眺めるのとは違った空を――たぶん透き通るような広くて青い空を――ある日、初めて照見した。その時のことをこう言っている。

私は毎日この空を見ていると思っていた。だが、ある日、はじめてそれを見たのだった。

照見したことに確信しているけれど、それまでの空の見方については何も言っていない。鈍感だったとか怠慢だったとか、特に言っていない。

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ぼくはと言えば、十数年同じ道をほぼ毎日歩いている。この時季、枯れ落ちて重なり合った葉を踏まずには歩けない。その日、特にゆっくり静かに歩いたわけではないのに、初めてそよ風のささやきを聴いた。それまでも聴いていたつもりなのに……。

ロダンのようにそれまで気づかなかった理由について黙っていようか。実は、それが案外つらい。「鈍感だった、怠慢だった」と述懐して片づけるほうがよほど楽だ。さあ、どうしたものだろう。しばらく考えて、折り合いをつけることにした。

ぼくは毎日この道で風のささやきを聴いていると思っていた。だが、ある日、はじめてそれを聴いたのだった。それまでは聴いていたふり・・をしていた。

様々な記憶と想像

以前、老舗のおはぎをひいきにしていた。そのことはよく覚えているのだが、どんな味だったのか、なかなか思い出せない。
数十年ぶりに口にする機会があった。おはぎはノスタルジックで美味しすぎて、勢い余って空白の時間もいっしょに頬張ってしまった。

秋が終わる前に早めに名残を惜しんでおこうと思っているうちに、冬支度が始まった。ついこの間出合ったばかりなのに、早々と別れの段取りをしてしまう。クールな秋。

人は大胆だなあ。自然の風景や都会の景色を思いのままトリミングして自分好みのフレームに収めてしまうのだから。

林間学校と臨海学校。行き先も漢字も違うのに、音だけを拾うと兄弟のように思えた子どもの頃。「リンカ・・・ン」と「リンカ・・・イ」。

イタリアのとある街の大聖堂。薄暗い中で溢れるような涙を流している信者を何人も目撃した。その体験は知らない歴史との接点になり、ぼくの考え方を少し変えた。

あの日、特に急いでいたわけではないのに、大通りで流しのタクシーに反射的に手を上げるようにエレベーターのボタンを押した(苦笑)。

時計は壊れる。壊れたら修理できる。修理できなければ棄てる。
時間は壊れないし、修理できないし、棄てることもできない。時間は生かすか無為にやり過ごすかのどちらか。

空と雲に紛れる月がある。色も形も同化して気づきにくい。月だってひっそりと目立ちたくない時があるのだろう。カメレオンな月のかくれんぼ。見つけたらきみの勝ち、見つからなかったら月の勝ち。負けのない楽しい遊び。

当たり外れ――ご飯編

「ご飯」は丁寧語で、二つの意味がある。一つは「めし・食事」の意。別に和食とはかぎらない。「ご飯を食べてから帰る」と言っても、食べるのはステーキかもしれないしラーメンと餃子かもしれない。もう一つは「米の飯」そのものを意味する。

家庭料理にはうまいもまずいもある。長年食べ親しんできたから、たとえ少々まずくても、家庭の味ゆえに受け入れる。家では「まずうま・・・・」が成り立っている。コストはかかっているが、そのつどお代を払うわけではない。「ちょっと塩気が強い」とか「味が薄い」とか「煮えすぎた」とかの軽いコメントが出て、その場はそれでおしまい。

お代をもらって食事を出すのが食事処。それを生業としているのだから一応プロである。半世紀などという長いスパンで捉えなくても、この10年前だけで判断すると店で出される食事はおおむねレベルアップしてきた。合格と不合格の微妙なライン上のものもあるが、それとて値段相応である。注文する客も価格に応じた味でいいと割り切っている。

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問題はプロの店で出される「米の飯」である。ランチにしては少々値の張る1,500円の酢豚定食。酢豚は合格だが、ご飯とおかずの相性が悪い。米の質と炊き方、ご飯のよそい方がお粗末なのである。ご飯へのこだわりがなく、ただ大盛サービス、お替わり自由で片づけてしまっている。一品料理はうまいのに、ご飯でがっかりさせられるこんな店は案外多い。

数年前、親しくしている老舗米問屋の若い社長から「食事処向けに米の性質、米の選び方やおいしいご飯の炊き方など、啓発スライドを作りたい」という相談があった。こっちは米の素人だが、スライド構成とコンテンツのアイデアを貸してほしいという要望である。何度か打ち合わせとメールでやりとりしながら完成させた。続編も作った。この編集の過程で実に多くのことを知った。米と水との微妙な関係、深くて複雑なご飯の食味の話、等々。米のソムリエでもある彼は言った、「正直言って、家庭の炊飯器でできてしまうことを料理のプロたちが怠っている」と。

かつ丼、オムライス、パエリア、和定食……うるさく言うと、それぞれに合う米があり、仕上がりとしてのご飯がある。何度も試行錯誤してこそ、この料理にはこのご飯と胸を張れるようになる。焼肉を堪能した後、最後の二、三切れをご飯で仕上げる。べたついたご飯が食事を台無しにしてしまう。どんなに焼肉がうまかったとしても、店の格付けは落とさざるをえない。

当たり外れ――コーヒー編

喫茶店でもカフェでもいい。コーヒーを飲みに入る。入れば少なくとも半時間、時には1時間ほど長居する。手持ちぶさたにならないよう、本とノートは必ず小さなバッグに入れてある。店の看板や店内の雰囲気・インテリア、応対する店員の立ち居振る舞いは客の気分に影響するが、コーヒーそのものの香りと味がやっぱり絶対条件。

初秋の、まだ暑さが残る午後、たまに入るカフェDCに久しぶりに入った。この店では決まってエスプレッソだが、喉が異様に乾いていたので初めてアイスコーヒーを注文した。エスプレッソのうまさには及ばなかった。これならホットのブレンドにしておけばよかったと少々後悔。

とは言え、感じのいいマスターだし、少し長居できる雰囲気もあり、文章を思いつくまま綴るには落ち着く場所だ。しかも、250円なら文句は言うまい。一応合格。


その翌週、老舗の昭和感たっぷりの喫茶B屋へ。数年ぶりになるので、この店の味はうろ覚えである。店の定番の420円のブレンドを注文する。香りも立たず、一口啜れば味が薄く、お粗末だった。以前はこんな味ではなかったはず……。懐かしさが漂う希少な喫茶店ではあるが、偶然通りがかったとしても、もう二度と入らない。

ここはマスターが一人でやっている店。注文したブレンドをカウンター越しに出し終えたら、端っこの空いているカウンター席に座ってスポーツ新聞を読み始めた。競馬欄に食いついている。

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オフィスに近いカフェLの売りは自家焙煎のエスプレッソ。ある日は焙煎7日、別の日には焙煎15日とかの表示があり、同じ豆だが焙煎の違うエスプレッソを飲み比べできる。本場イタリアと互角の上等の味である。以前は週に二度通っていたこともある。いつぞやアイスエスプレッソを注文した。新顔のバリスタがぼくに尋ねる。「アメリカーノですか? 水で薄めますが、よろしいですか?」 こんなことを聞かれたことはない。質問を無視して「エスプレッソのアイス」と念を押した。

出てきた注文の一品は、エスプレッソ用の焙煎の香りはするものの、想像以上の薄味だった。メニューにアイスエスプレッソがなく、アイスの注文が入ると水で薄めるのがこの店の流儀なのに違いない。水増ししたらエスプレッソの強さと濃さは半減する。

アイスエスプレッソはあらかじめグラスに氷を一杯入れておき、そこに熱々のエスプレッソのダブルを注ぐのが正解。オフィスのマシンを使って作る時はそのように淹れる。そうしないと、ホットで飲むうまさがアイスで生きてこない。ぼくの淹れるアイスエスプレッソのほうが格段に上である。

コーヒーの当たり外れに喫茶店の当たり外れ。よくあることだが、ホットでもアイスでも同じ確率で外れに遭遇する。当たり外れは自己責任であるから、文句は言えないし言わない。ただ二度と行かないという選択肢があるのみ。

〈まなざし〉へのまなざし

「見たけれど、さほど気に留めなかった」。よくあることだ。つまり、まなざしを注がなかったということ。この〈まなざし〉、ごくふつうに使われることばだが、哲学の思考用語になると、意味が一変する。

言うまでもなく、まなざしは見ることから始まる。しかし、肉眼で何かを見てぼんやりと視線を泳がせることではない。見ることを超越して、向けられた方向にある対象を認識したり理解したりしてこそのまなざしなのである。

まなざしを向けた対象を認識する。そして理解する。認識して理解した内容を(必要に応じて)言語に置き換える。置き換えは自分のものの見方に則って自分の〈参照の枠組み〉の中でおこなわれる。あくまでも主観的なのだが、見る以上に踏み込んで対象を把握しようとしているから、何となく見るのとは違う。

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視覚から始まったまなざしが視覚以外の感覚へと広がり、やがて身体的な意味を持ち始める。全身がまなざしに参加する。まなざしは自分からの対象への五感的かつ身体的関与である。そのように関与しているのは自分だけではない。他者もそうしている。つまり、自分のまなざしもまた、他者のまなざしのもとに捉えられている。

中村雄二郎は『知の旅への誘い』の「方向――意味を生むもの」の中で次のように書いている。

〈方向〉が〈意味〉をあらわしていること、しかもその両者を〈感覚〉や〈知覚〉が結びつけている(……)。

まなざしを向ける方向に意味がある。意味を汲むのは感覚と知覚であり、さらには身体的な運動ゆえである。ある集団があって、仮に沈黙の集団だとしよう。ことばが交わされない状況であっても――いや、沈黙だからこそ――まなざしが「ものを言う」。無数のまなざしが集団内で放射し合っている。まなざしがまなざしを向けられる――これが、社会の構造的特徴なのである。

立地という個人的な都合

自宅からオフィスまでは徒歩で10分ちょっと。自転車なら5分もかからない。気分に応じて歩いたり自転車に乗ったりしている。自宅の蔵書をほぼオフィスの図書室に移しているので、休日に本を読もうと思えばオフィスに行く。通勤時間往復3時間という知人からすれば至極便利なのだが、さらに近い場所に引っ越そうと考えている。

立地。単独でそのまま使われることはめったにない。たいてい「立地」とか「立地がいい・・」という具合に使われる。絶対的な立地条件などない。立地には個人的な都合が反映される。よく通う目的地に近い所に住んでいれば便利で、そこから遠い人には不便。遠近感も人それぞれ。立地の良し悪しに万人共通の条件はありえない。

四十代前後の働き盛り稼ぎ盛りの頃に「東京にもう一つオフィスを持てば」と助言されたことがある。「あなたの仕事は東京のほうが多いから」という理由。月のうち何日か東京にいれば何かと便利で仕事も増えるかもしれないが、その便利と活動機会を享受できる東京は大阪からは遠い。助言者であるその東京都民は東京の立地が大阪よりも優れているという前提に立っていた。

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この話を奈良県民の知人に言ったら、「いや、新幹線や空港のないうちに比べればずっと便利」と大阪を羨んだ。奈良に住んでいたこともあるのでわかるが、羨むほどの差があるとは思えない。五十歩百歩である。

大阪の中心街で住み働いているが、自宅を出て伊丹空港から飛んで東京都心まで4時間かかる。新幹線を使ってもほとんど同じ。この4時間をどう見るかで立地の好悪が決まる。4時間というのは労働時間的には半日である。東京以外にも数時間以上かかる各地へ出張してきたが、ほぼ前泊だった。仕事とは言え、前泊しなければならない点で出張先は好立地ではない(自分にとって)。

大阪の玄関口の梅田まで自宅から3駅。所要時間わずか10分。「便利ですねぇ」と言われるが、映画を見る以外にあまり用はないので、そうは思わない。車に乗らないから、メトロの3路線の駅が徒歩5分以内にあるのは都合がいい。大規模書店が歩いて10分以内の場所に2店舗あるが、これは面倒くさい。10かかるのは5分に比べて立地が良くない。贅沢だと思われるかもしれないが、個人の都合だけが立地の決定要因なのである。したがって、話は大きく飛ぶが、「世界のどこが一番立地が良いか?」という問いにほとんど意味はない。


翻訳文化考

自由、恋愛、哲学、情報、概念などの二字熟語は、明治維新後に英独語から翻訳された和製漢語と言われている。つまり、江戸時代まではこうした術語は日本語にはなかったのである。

おそらく複数の候補から原語の意味やニュアンスにふさわしいことばを苦心して編み出したに違いない。しかし、いわゆるやまと言葉に置き換えるという選択をせずに、漢語で造語したのはなぜだったのか? たとえば、“concept”は概念ではなく、「おもひ」でもよかったはずである。

その昔、枡に米や小豆などを入れ、枡から盛り上がった部分を棒でならして平らにして量っていた。あの棒は「斗掻とかき」と呼ばれていた。その斗掻きが中国語の「概」。概は「おおむね」とも読む。斗掻きで均して量っても粒の数が正確であるはずがない。その概を使って概念を造語した。「おおよその想い」という見立てであったが、概念という翻訳語は原語のconceptよりも硬くて難しく響く。

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加藤周一は『日本文学史序説 』で次のように語っている。

日本人が日本の歴史や社会を考えるのに、参照の集団として西洋社会を用いる習慣を生んだ。(……)西洋文化に対する強い好奇心と共におこったのは、従来の日本における西洋理解の浅さに対する反省である。反省の内容は、翻訳された概念と原語の概念とのくい違い、輸入された思想的体系と人間とのつながりの弱さ、思想を生みだした西洋社会そのものについての経験の貧しさなどを含んでいた。

おびただしい西洋語が、西洋を手本とした明治時代以降の改革手段として編み出された。翻訳はその必然の手始めの方法であった。西洋語の概念がイコールの存在として和製漢語に置き換えられた。そして、フィロソフィーと哲学が、インダストリーと産業が同じであると信じ切ったのである。

わが国は今も翻訳大国である。しかも、個々に対応する彼我の単語がまったく同じであると錯覚して今日に到っているきらいがある。この単語ベースでの照合を基本としてきたことと外国語習得の苦手意識は決して無関係ではないと思われる。

ソシュール学者の丸山圭三郎の著書にわかりやすい話が載っていた。フランス語の“arbre”(アーブ)は日本語の「木」よりも意味が限定的で、「生えている樹木」のこと。しかし、“bois”(ブ)になると、日本語の「森」以上に意味が広く、林や木材や薪をも包括する。単語が状況や文脈によって意味を変えるのである。

このことから、まずモノが絶対的に存在した後にことばが目録のように一対一で当てはめられたのではないことがわかる。むしろ、ことばが意味を持ったがゆえに、モノがその意味を帯びて変化したと考えるべきだろう。言語間で示されるモノや概念には必ずこのような誤差が生じている。翻訳語の解釈や理解で心に留めておくべき点である。

落葉と木漏れ日びより

河畔に公園に街路に秋が巡ってきた。春夏秋冬にはそれぞれ均等に三ヵ月が割り当てられていると思っていた頃があった。幼かった。自然界の季節が暦に忠実にしたがうはずがない。

近年、秋が短くなったと実感する。二十四節気のうち、かつて秋が受け持っていた立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降などの分節の違いは言うまでもなく、もっと大雑把に初秋や中秋や晩秋と言ってみても、移り変わりの機微には触れがたく、風景の色相の変化も慌ただしい。秋は遅れ気味にやって来て足早に立ち去るようになった。

上田敏訳詩集『海潮音』にヴェルレーヌの詩、「落葉」がある。

秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。

鐘の音に
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。

声に出して読めば哀愁の趣にしんみりとさせられる。秋のどこに感じ入るか。気に入った情景を好きなように切り取って眺め、文字の音にすればいい。庭が自然の切り取りであるように、散策する人は散策路の光景を好きなように切り取って感覚の庭に移植すればいい。この詩では詩人は落葉の秋に感応した。

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けちのつけようのない青天、落葉に一瞥だけくれて樹々を見上げる。木漏れ日の漏れ具合がちょうどいい。自分の影、枝葉を早々と落葉にしてしまった樹々の影を楽しむ。『日曜日の随想』という、これまた木漏れ日びよりにぴったりの本を繰ってみる。偶然にしては出来すぎの、仕組まれたようなシチュエーションが生まれる。

空気も光もよどむことなく流れている。忙しなくしていると流れは見えない。流れが見える貴重な刻一刻。自分が安らぎの時間と場所に身を置いているからこそ、移ろいの妙が感じられる。

先の詩の後に上田敏が注釈を記している。

仏蘭西フランスの詩は、ユウゴオに絵画の色を帯び、ルコント・ドゥ・リイルに彫塑の形をそなへ、ヴェルレエヌに至りて音楽の声を伝へ、而して又更に陰影の匂なつかしきを捉へむとす。

秋は色であり、形であり、声だと言う。絵画、彫刻、音楽。なるほど、芸術の秋ではある。

よく考えよと言うけれど……

良い出来だと評価するには少し足りない。そこで「もうちょっと考えよう」とか「よく考えよう」などと励ます。そう言いながら、その「考える」ということへの思慮はかなり曖昧で、考えるとは一体どういうことなのかという点についてはまったく踏み込めていない。励まされた相手も条件反射的に「はい」とは応えるが、考えることの行き詰まりを打開できるとはかぎらない。

『考えるヒント2』に「考えるという事」という一文があり、その中で小林秀雄は次のように書いている。

「考えるとは、物に対する単に知的な働きではなく、物と親身に交わる事だ。物を外から知るのではなく、物を身に感じて生きる、そういう経験をいう。」

深いことばなのだが、実務や研修で企画に取り組んでいる若者に、この一節をそのまま伝えても目からウロコのヒントになるとは思えない。

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「何を考えるか」の「何」を対象と呼ぶなら、対象は第一に「モノ」である。企画の対象としてはイベントであったり商品であったりする。ここでは何がしかの経験がベースになる。人生や世界などの形而上学的な対象になると、経験のみならず、経験を超越して考えなければならない。見えるモノと見えにくいモノがある。前者では現実を見、後者ではイメージを浮かべる。

モノを対象としていると、必然ことばも対象になる。経験を生かしながらモノと親身に交わっているうちに、ことばとも交わり、ことばを肉化して意味を探り自分の分身としてことばを駆使する。やがて、モノと自分、ことばと自分の距離がなくなっていく。これが考えるということなのだが、本人はそのことに気づかない。

考える対象はモノとことばである。しかも、距離を埋めて親身に付き合わねばならない。モノとことばの意味、関係、つながりなどを、知識として認識するのではなく、経験的行為として巡らせる。そうしているうちに対象と自分が一体になり、新しい意味、新しい関係、新しいつながりにハッと気づく。これがよく考えるということなのだが、場数を踏む以外の即効的方法が他にあるのだろうか。