時を越えて話がつながる

自宅で資料を整理していたら古いノートがいくつか紛れていた。適当にページを繰り、一冊だけオフィスに持ってきた。今朝のことである。それがたまたま2002年のノート。元日に次の一文を綴っていた。

を進めよう。
たとえ苦しくても後退することはできない。逆戻りの「歩」などありえないのだ。
大きな進歩を遂げて身を持て余したかのような人類。本来「進歩」とは文字通り「歩を進める」ことだったはず。ゆっくりと一歩一歩前へ進む……これが進歩である。後ずさりしてはいけない。進むのである。とにかく前へ。

年初に書いた一文の値踏みをしただけで、転記したことに特に意味はない。その数ページ後に年賀状のことを話題にしている。今年の年賀状の当選番号をチェックした直後だった。

今年一番の年賀状は、何と言っても、友人のS.H.の世相批判である。彼の年賀状は毎年世相にいちゃもんをつける。たまにぼくと会ってもそんな談義ばかり。今年のテーマは「もらってうれしい年賀状、もらってもうれしくない年賀状」だった。これを年賀状で書く。もらってうれしくない年賀状を投函した者にとってはたまらない。(……)

昼にポストに郵便が入っていた。「寒中お見舞い申し上げます」。今年はこの葉書がことのほか多い。「昨年十一月主人が六十七歳で永眠……新年のご挨拶を失礼……」。主人とはS.H.だった。ぼくのオフィスと彼のオフィスは100メートルほどの至近。近いのでいつでも会えるとお互い思っていたが、案外会えなかった。そんなものである。数年前突然倒れ、リハビリを経てオフィスで仕事を再開していたが、それもままならず、自宅にこもっていると聞いた。直近に会ってからはもう三年近く経っている。

生前の付き合いのエピソードをまじえて、奥さま宛にお悔やみを一筆して今しがた投函してきた。気を取り直して一歩進むしかない。これも何かの因縁だろうから、明日もこの2002年のノートを少し捲ってみようと思う。

2018年の年賀状

変わらぬ事業テーマは「コンセプトとコミュニケーション」。見えざるものを言葉にし、形にするのを使命としている。

発想の源やきっかけはいつの時代になっても書物だと考える。
検索すれば誰もが情報にアクセスできるウェブと違い、書物は透徹の選択眼を求める。差異化とは少数派に属すこと。ゆえに、紙の書籍を読まねばならない。

出版界が厳しい状況に置かれて久しい。ベストセラーとされる十万部超えは年に三百冊程度、発行点数全体の〇・三八パーセントにすぎない。読書人口を一億人とすれば、ベストセラーとは千人のうちわずか一人が読む本。ある意味で希少本なのである。

ほとんどの本は売れない、読まれない。企画されたものの世に出ない原稿も数え切れず。《架空図書館》にはおびただしい蔵書が眠る。売れない、世に出ない本には題名や主題の問題があり、著者の動機も独りよがりで、読者層の想定間違いも多い。

『あるもの、ないです』
クラフト・エヴィング商會が著した『ないもの、あります』(ちくま文庫)という渋い本がある。「思う壺」や「転ばぬ先の杖」や「一本槍」など、実在しないものが並ぶ。ないものなのにまるであるような錯覚に陥りそうになる。この本にヒントを得て『あるもの、ないです』を構想した人がいる。しかし、あるものがないのは単に商品の在庫切れのことだと気付いた。今のところ原稿はまだ一枚も書かれていないらしい。

『漫(そぞ)ろ働きのすゝめ』
スローライフやスローフードがあるのだから、スローワークがあってもいい。スローウォークの「そぞろ歩き」に倣えば、スローワークはさしずめ「そぞろ働き」だ。ありえないテーマではない。ところが、大半の富裕層や気楽なフリーターはすでにそのように働いているし、少なからぬサラリーマンも日々そぞろ働きを実践している。本書はサボリを奨励することになりはしないかと懸念され、出版が見送られている。

『あなたは犬ではない』
漱石の『吾輩は猫である』の主題と二項対立関係になる小説。著者は漱石の名作が”I Am a Cat”と訳され、原題の吾輩のニュアンスが出ていないことに失望した。将来英語の出版を視野に入れ、自作を訳しやすい表現にすべきだと考え、『あなたは犬ではない』というベタな題名にした。たしかに”You Are Not a Dog”と自動翻訳は完璧である。

『続・花火』
出版界にもパクリや便乗商法がある。本書はミリオンセラーの『火花』にあやかり、しかも「続」をかぶせた。ベストセラーのにわか読者が勝手に続編だと勘違いしそうだ。夏の風物詩をテーマに小説を書くには一工夫必要だが、日本各地の花火大会の写真集なら編めなくもない。万が一売れたら、『続・花火』の後に『花火』が出ることになる。

『私は一着しか服を持たない』
パリの暮らしの知恵から生まれた『フランス人は10着しか服を持たない』という本が話題になったが、10着は多いほうだから「10着しか」という表現はおかしいとケチがついた。そこで、本書は思い切りよく「一着」とした。着た切り雀の話ではない。新しい洗濯表示がわかりにくいため、一着にすれば混乱はないという提言である。結局、服の話ではなく、洗濯の話になってしまった。

『ダジャレ四字熟語集』
生命保険会社が毎年創作四字熟語を募集している。パロディやダジャレは元の熟語を知っているからこそ笑える。所詮、たわいもない言葉遊びであるが、漢字だけに、発音の一致だけでなく見た目も重要。以心伝心は「異心電信」、経済社会が「軽財斜壊」という具合。だが、一作だけ応募するのとは違って、そう簡単に本一冊分創作できるはずもなく、現在「サ行」で苦闘中。

『やっぱり「やっぱり」ではない』
あまり知られていないが、『偽書百選』なる本が文藝春秋から出ている。著者は垣芝折多(おそらく仮名)。所収されている偽書に『もはや「もはや」ではない』がある。この題名がテンプレートとして優れているという。『今度こそ「今度こそ」ではない』、『きっと「きっと」ではない』、『つまり「つまり」ではない』など、まったく苦労せずに題名ができてしまう。

『架空人名大辞典』
『世界文学にみる架空地名大事典』(講談社)からヒントを得た本である。架空だと思って人名をせっせと収録したのだが、ほとんどが実名として存在していることを初稿段階で指摘され、企画が頓挫している。

『モノガタリスギテ』
飽和の時代をテーマにした「モノが足り過ぎて」という物語。全文カタカナ表記が奇抜だが、「カタカナ・漢字照合表」を別冊付録にして読みづらさを緩和した。しかし、それなら最初から漢字仮名混じりでよかったのではないか。出版取次が嫌う本である。

AIに負けない生き方』
人間の仕事が人工知能に脅かされている。勝てないまでも、負けないためのハウツーを網羅したのが本書。第1章「アルゴリズムvsアドリブ」、第2章「ディープラーニングvs軽めの学習」など、人間らしい対抗策を説く。決め手はあとがきだ。「本書通りに実践しても負ける時があります。しかし諦めてはいけません。いざとなればAI搭載機器の電源を切ればいいのです」。

ふと夏目漱石

夏目漱石の函入りの復刻版は書棚の一番下に立ててある。視線を床の方に落としたついでにふと目に入った。久々である。自分で買ったのだから当然覚えている。『道草』『明暗』『心』の三冊セット。
おなじみの三部作は、前期が『三四郎』『それから』『門』、後期が『彼岸過迄』『行人』『こころ』である(復刻版では「心」、その後「こゝろ」と表記され、今は「こころ」のようである)。代表作の『吾輩は猫である』は三部作には入らない。

少年時代に漱石はかなり読んだか読まされたかしたが、半世紀も経つと書名と物語が連動しない。書名は知っている、物語も覚えている、しかし完全一致させるのは容易でない。幼い頃に早熟気味に読んだものは忘れ、直近に読んだものは覚えている。読書とはそういうものだ。

さらに言えば、昔手に取った本のうち、読了したものはあまり覚えておらず、むしろ挫折した本の嫌な記憶だけが残っている。モーパッサンの『女の一生』はうろ覚えだが、スタンダールの『赤と黒』を読んでいて、これから先読むのはやめようと決意した瞬間と話の箇所は覚えている。

☆     ☆     ☆

さて、漱石である。このブログを始めてから10年と4か月。1,337回書いてきた。検索窓で「夏目漱石」をチェックしたところ一件しかヒットしない。つまり、ぼくが夏目漱石と書いたのは一度きりなのだ。小説のことを書いたのではない。英語教師として二つの類義語の違いを少々ユーモラスに語った場面だ。次のように書いた。

理論上の可能性と現実に起こりうる蓋然性の違い(……)。授業中に“possible”“probable”の違いを説明した夏目漱石のエピソードがある。「吾輩がここで逆立ちをすることは可能(possible)である。しかし、そんなことをするはずもない(not probable)」。

では、ブログ以外に思い出す漱石がらみのエピソードにどんなものがあるか。脳内検索してみた。そうそう、知人友人宛に出した引越ハガキの文面がおもしろかった。「手伝うなら昼から、メシだけ食うなら夜から」というような内容で、独特のユーモアなのだが、受け取ったら昼に行かざるをえない仕掛けがしてある。

もう一つ。私塾の『愉快コンセプト』の講座だったと思うが、漱石パロディを紹介したことがある。テキストが残っていた。漱石の『草枕』の冒頭とそのパロディを並べて笑ってもらったのを覚えている。

山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画ができる。(夏目漱石 『草枕』)

耳をほじくりながら、こう考えた。
理を説けばかどが立つ。情にほだされれば流される。意地になられてはおしまいだ。とかくに女は扱いにくい。
扱いにくさが困じはてると、気安い女へ移りたくなる。どの女も扱いにくいとわかった時、あきらめが生じ、子ができる。(郡司外史 『膝枕』)

ぼくの記憶の内にある漱石は、小説家ではなくユーモリストのようであり、またユーモリストに格好の材料を提供した人である。

昭和の見聞

昭和の六十有余年を風呂敷一包みにくるんで、「はい、昭和とは何々でございます」と片付けられる一言は思いつかない。カオスとエネルギーに満ち満ちた百面相の昭和だ、結局、「昭和とは……昭和でございます」と言うことになるだろう。

昭和30年代の中頃までは、戦後と呼ぶにふさわしい風情や風俗がまだ残っていた。そこには戦前も投影されていた。昭和20年代の生まれだが、戦後まもなくの頃の記憶があるはずもなく、昭和の記憶と言えば、30年以降に限られる。しかし、目撃も体験もしていないが、いろいろと耳にしてきたからバーチャル体験だけは積んでいる。

大正時代についても同じ。聞いたり読んだりしただけなのに、イメージだけが勝手に培われている。そして、昭和30年代は、後に続く40年代との隔たりが大きく、むしろ戦前や大正時代の延長のような気がするのである。

☆     ☆     ☆

山積みされた古書均一コーナーに武井武雄の画文集『戦後気侭画帳きままがちょう』を見つけた。「昭和二十年より二十四年まで」と副題にあり、その数年間の典型的な風情や風俗の絵が何百も描かれ、それぞれに文が添えられている。聞き覚えのある話は多々、30年代に入っても続いたはずの見覚えのある光景も少なくない。珈琲の話、煙草の話、駅や電車の話……。とりわけ風呂屋の話がおもしろく、懐かしく思い出した。

風呂屋の盗難は謂わば日常茶飯事になっているが この女性 下着まで持っていかれて 裸で道中もならず うちへも帰れない。番台のおかみ 止むなく男物の浴衣を貸して帰す。さて これを一見した亭主 甚だおだやかでない。すったもんだの内ゲバの揚句 翌日二人で風呂屋へ行ったら 万事解決、これにて一件落着したとさ めでたしめでたし

一糸纏わず背中をこっちに向けて恥じらう女性の絵。足元には空っぽの籠。そう、昔は鍵のかかるロッカーなどなく、脱いだものを籠に入れた。風呂から上がったら下着が盗まれていたという話は、母や近所のおばさんたちからよく聞かされた。覗きは今と同じく男の仕業だったが、下着泥棒は男ではなかった。女が自分用に盗んだのである。

ハンコ売りのおじさん

忘れた頃にやって来るおじさんがいた。大阪の北摂から来ている(と自分で言っていた)。来るのは年に一、二度。おじさんは「ハンコ屋です」と言って入って来るのだが、実はハンコ屋ではなくハンコ売りである。おじさんがハンコを彫っているのではない。パンフレットを見せて注文を取るだけである。

いったん会社を創業したらツゲや水牛や象牙の社印や銀行印を作り直すことはまずない。ぼくの会社の印鑑も31年前の創業時のまま。個人にしても、成人はほとんど実印をすでに所有している。認印を除けば、よほどのことがないかぎり実印は一生ものだ。

おじさんはハンコの話にさほど熱心ではなく、むしろ自分が描く絵を見せたがった。誰の目にも素人絵だとわかる代物。色紙に描いた水墨画や達磨図を鞄に入れていて、十数枚取り出して見せる。色紙の裏には2000-とか1500-とかの数字が鉛筆で書かれていて、おじさんは素人なのに売る気満々なのである。

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何度も会話を交わしているので、おじさんはぼくが趣味で絵を描くことも消しゴム篆刻をしていることも当然知っている。作品を見せてくれと言うから、オフィスにいくつか置いていた。見せればえらく感動するのだが、他人の作品に関心があるはずもない。話をすぐに自作に戻す。

ある日、まったくぼくの趣味に合わない色紙をあげると言い出した。いや、もらうわけにはいかないと返せば、では預けておくと言い換える。要するに、ハンコが売れないご時世に自分の作品を売り込みたいのである。人情に辛い人間ではないから、やむなく色紙を受け取り、裏の数字を見ずに「お小遣い程度で申し訳ないが……」と言って千円を差し出した。おじさん、千円札を躊躇せずに受け取った。

おじさんが最後に来てから十数年になるだろうか。当時七十代半ばだったはずだから、ご存命なら九十前後ということになる。おじさんが残した達磨図はとうの昔に手元から消えている。ぼくがマウスを使って十数秒で一筆書きするのと同じようなレベルであった。どう処分したか覚えていない。

懐かしい味

子どもの頃によく食べたおやつがある。その名もバナナカステラ。ぼくの周囲ではバナナパンとも呼んでいた記憶がある。懐かしい菓子であり、そして、昔ほど目につくわけではないが、今も売られている。「おかしなバナナ」と命名された商品を見つけた。菓子だから「おかしなバナナ」。

バナナカステラの他に、味つけパン、塩パン、蒸しパンなども末裔が生き長らえて昭和の食の風物詩を今も紡ぐ。生地に染み込んでいるのはノスタルジーの味である。

バナナカステラには自己同一性があるなどと言えば、大袈裟に過ぎるだろうか。時代が移り変わり人の味覚が変わっても、バナナカステラかくあるべしという主体性を失っていない点では、そう言えるような気がする。では、その正体はいったい何であったのか、そして今も何であり続けているのか。

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たいせつな点だが、バナナカステラは果物のバナナがカステラになったものではない。バナナ味のエッセンスで味つけしたカステラであり、本物のバナナとは関係がない。ぼくにとっては菓子パンの一つだったが、パンよりもカステラが言い得て妙なのは、水分がかなり少ないからである。

カステラには“BANANA”という文字が浮き彫りになっている。エンボス加工である。「おかしなバナナ」のパッケージは「白あん入り」と謳っている。いかにも、白あん(または白あんモドキ)が中に入っている。商品によっては、白あんは文字の“ANAN”のあたりだけで、冒頭の“B”と末尾の“A”になかったりする。端の一口を齧ってもカステラだけということがある。

うまいかと聞かれれば微妙だ。昔と違って、食感のいい美味な菓子は今はいくらでもある。バナナカステラのポジションは「マズウマ」かもしれない。まずいようでうまい。これは絵の「ヘタウマ」と同じで褒めことばだ。カステラの部分は乾いているので唾液がいっぺんに取られてしまう。そこに白あんが絡んで、ほんの少しだけしっとりする。お茶にも合う。

菓子パンの定番であるアンパン、イチゴジャムパン、クリームパン、メロンパンと比較すると、マイナーな存在と言わざるをえない。しかし、子どもにとっては目新しかった。おそらくバナナそのものが貴重な時代ならではの存在だったのだろう。時折り思い出しては一本賞味してみようと思う。一本食べると、もう一本に手が伸びてしまうのは今も昔も変わらない。

あの時、観戦者も飛んだ

帰宅して夕食時から午後11時頃は、仕事のある平日で一番ほっとする時間帯。話や文字から解放されたら、音楽を聴くかテレビを見るか、ぼんやり考え事をする。テレビはBGMみたいな存在で、テレビを点けたまま音声だけ聞き、食後のコーヒーをすすったりする。

ここ10日間はかなりスタイルが変わった。変えたのは平昌の冬季五輪。自ら体験した競技は何一つないが、札幌の冬季五輪から今日に到るまで、熱心に観戦してきた。特にスピードスケートとスキージャンプは欠かさず見てきたし、最近ではカーリングの高度な技とスリリングな展開に強い興味を覚える。自宅にはカーリングのミニチュア遊具も備えてあるくらいだ。

五輪のみならず、サッカーでも野球でもそうだが、録画はつまらない。結果を知らないで見る録画はまだしも、結果を知ってからの録画は話にならない。現場観戦が一番いいだろうが、それが叶わないならせめてライブだ。時差のない今大会はライブ観戦できるから興味は倍増する。と言うわけで、毎夜観戦を楽しんでいる。冬の競技はミスが起こりやすい。ある意味で減点スポーツ的な意味合いがある。だから、ハラハラする場面が多い。

☆     ☆     ☆

印象に残る冬季大会は1994年リレハンメルだ。スキージャンプ団体は、原田選手の失速に日本じゅうが悲鳴をあげた。観衆も一緒に自分の腹筋に力を入れて1メートルでも先へと足腰を浮かせたが、結果は銀メダルに終わった。

さらに印象的なのがその4年後の長野大会。ラージヒル団体戦の当日、ぼくは講師として大手企業の合宿研修の最中だった。神戸六甲の立派な研修センターでロビーには大型テレビがある。最終ジャンパーの跳躍だけでもライブ観戦したいとの思いから、卑しくもその時間帯を自習させることはできないかと画策していた。

結果的には卑しくならずに済んだ。と言うのも、企業の研修担当課長が「受講生は、研修していても気が入らないでしょう。ぜひ30分ほど休憩してみんなで観戦しませんか?」と申し出てきたのだ。ここで相好を崩すわけにはいかない。ポーカーフェースで「う~ん、やむをえませんね」とぼく。

4年前の雪辱を果たす原田選手のウルトラジャンプ! あの時、観戦者も一緒に飛んだ。全員拍手と感激の嵐、金メダルに酔った。気がつけば、ロビーは他のコースの研修生も含めて観衆で溢れていた。やっぱりライブだ。研修室に戻っても受講生のテンションの余燼はくすぶり続け、研修モードに切り替わらない。その後の研修の調子が失速していったのを覚えている。

2017年の年賀状

当社は本年十二月に創業三十周年を迎える(予定)。
縁と機会に恵まれて今ここに至れたのは感慨深い。他人様から期待されるものがあり、その期待に応える相応の努力を重ねる日々であったと振り返る。
企画と言えば、表現や編集など、どちらかと言えば、手の技が主役だと思われがちだが、わたしたちの使命は考え伝えることであり、新しい発想からの切り口を提供することに尽きる。
その一端を示す仕事の習慣と方法を『いろはカルタ発想辞典』として編集し昨年の年賀状で紹介したところ、一部の読者から反響があり、「ぜひ続編を」という励ましをいただいた。
今年は「いろは」に替えて「一二三」と数にちなむ諺や故事成語などの用語を発展的に解釈してみた。発想上の戒めやヒントを導こうと試みた次第である。

一言以て之を蔽う
〔いちげんもってこれをおおう〕
様々な物事が集まって全体が意味を持つ。言いたいことは山ほどあるのに、本質をわずか一言で表わすには勇気がいる。しかし、多種情報の一元化にコンセプトの一言化は欠かせないのである。

二兎を追う者は
〔にとをおうものは〕 「一兎をも得ず」と続く。同時に二つの物事を狙うと一つの目的さえ叶えられないという戒め。足の速い兎を欲張って二羽追い掛けるから失敗の憂き目に遭う。逃げも隠れもしない二つの関心事なら両得はありうる。二足のわらじも恐れずに履いてみるべきだろう。

読書三到
〔どくしょさんとう〕 本を読む時に心得るべき三か条。声に出して読む口到(こうとう)、すなわち音読。目を見開く「眼到(がんとう)」。心を集中する「心到(しんとう)」。文のリズムを体得し視野角を広げて心を集中する。三到は三昧の境地に通じる。

四面楚歌
〔しめんそか〕 回りが意見の違う者ばかりということはよくある。だからと言って、孤立無援だなどと落胆するには及ばない。逆縁は転じて順縁になるのが常。楚の国の項羽も、自分を取り囲む漢の軍から楚の歌が聞えてきたことにひとまず安堵するべきであった。そこから先を読むから被害妄想に陥ったのである。

五里霧中
〔ごりむちゅう〕 深い霧の中ではつい方角を見失ってしまう。しかし、霧もなく見晴らしがよくても、何が何だか分からないのが今置かれている状況である。先もよく見えない。これが考えるというプロセスにほかならない。そもそも思考はカオスである。混沌ゆえにダイナミズムが生まれるのだ。

双六
〔すごろく〕 思い通りに事が運ばない双六は仕事の比喩である。紀元前ローマの詩人テレンティウスは言った。「人生は双六遊びのようだ。願う目が出ない。だが、偶然出た目を己の力によって生かせばいいのだ」。偶然をチャンスと見れば、「偶察」して望外の功を得るかもしれない。遊びの精神はセレンディピティを育む。

無くて七癖
〔なくてななくせ〕 癖がきっかり七つあるという意味ではない。別に一つでもいい。癖というものは芯まで染みついているから、改めるのが難しい。しかし、すべての癖が悪癖とは限らない。経験を積んだ技能も癖と言えば癖なのだ。ことばで説明できないすぐれた癖、それを「暗黙知」と呼ぶ。

腹八分
〔はらはちぶ〕 少し控えめに食べれば医者いらずなのだが、この八分の見極めが悩ましい。今は七分なのか、それともすでに九分過ぎなのか、的確に判断しづらい。ところで、脳の空きスペースは無尽蔵であるから「満脳」になることはない。くだらない情報以外の知はいくら貪っても問題ない。

九回裏
〔きゅうかいうら〕 勝負決したと思われる九回裏ツーアウト、走者なし。スコアは3対0。ここからヒットと四球でつながって満塁。打席には四番バッターが立つ。アナウンサーは十中八九こう言う、「さあ、わからなくなりました」。九回裏とは後がない終盤だが、諦めるなという場面でもある。

十で神童
〔とおでしんどう〕 二十歳過ぎて只の人になるための過程。晴れの成人の日に凡人になることを誰も望まないから、十で神童や十五で才子になってたまるかと抗う。わが国で十代の天才が生まれにくいのはこのせいである。

十二進法
〔じゅうにしんほう〕 十二よりも十のほうが「ちょうどいい感がある」などと考えてはいけない。十二は古来生活上の重要な分節単位であった。時計も一年も十二を基数としている。両手の指が十本だから、数える時に二つ余ってしっくりこないが、今さら一日を二十時間、一年を十か月に変更できない。一ダースの卵も二個減ることになってしまう。

十五 十六 十七
〔じゅうご じゅうろく じゅうしち〕 ♪ 十五、十六、十七と私の人生暗かった……。大いに遊んだり将来のことを考えたりする最良の高校時代に受験勉強を強いられれば、人生は暗くもなるだろう。夢は夜ひらくなどと若くして退廃してはいけない。

十八番
〔じゅうはちばん(おはこ)〕 昨年、十八歳に選挙権が与えられた。本来この歳あたりで得意な技芸の一つも身につけておくべきだが、二十歳過ぎて何をしたいのかも分からず、勤め先だけを決めたがる若者ばかり。中高年にもいる。「十八番は?」と聞かれてカラオケしか思い浮かばないとは実にお寒い話ではないか。

【あとがき】 十八番をトリとした。十一、十三、十四を欠番にしたことに他意はなく、単にスペース不足のため。欠番があることへの批判はお控え願いたい。

深まる秋の記憶

明日から3日間の連休。予定は特にない。秋深まる気配に心身を晒すような休暇にしてみようと思わなかったわけではない。しかし、「行楽シーズン到来」という世間一般の常套句が脳裏をかすめた瞬間、尻込みしてしまった。

今住む街の周辺にも、手招きせずとも秋は向こうからやって来る。眺めるのは同じ光景だが、初秋から晩秋へと模様は変わる。他の季節に比べて、秋の風情のグラデーションは豊かだ。たとえその場が都会であっても。と言う次第で、近場を散策すれば十分ではないかと、半分前向きに、だが半分面倒臭がりながら、結局、例年と同じ過ごし方に落ち着きそうである。

オフィスから歩いてすぐの場所に天満橋が架かり、その下を大川が西へと流れている。天満橋の下流にある次の橋が天神橋。二つの橋の距離はわずか350メートル。橋を渡った対岸には、ちょっとした遊歩道があり、川に沿って歩くと樹木の色合いが秋ならではの装いを演出している。もうかなり色づいているだろうと想像するばかりで、夏が過ぎてからはまだ歩いていない。

☆     ☆     ☆

こんなことを思いめぐらしているうちに、記憶の扉が開いて過去に誘われた。場所はパリのヴァンセンヌの森。広大な森の端っこに一瞬佇んだに過ぎないが、撮り収めた数枚の写真の光景が、タブレットのアルバムを検索する前に忽然と現れたのである。

ヴァンセンヌの森(Bois de Vincennes)。それは201111月だった。今の時期よりももう少し秋深まった頃。緯度の高いパリのこと、日本の感覚ではすでに冬だった。それが証拠に写真に映るぼくの衣装はしっかりと乾いた寒さに備えている。約10日間借りたアパルトマンはパリ4区のマレ地区、メトロの最寄り駅はサン・セバスチャン・フロワサール。あのバスティーユやヴォージュ広場やピカソ美術館も徒歩圏内という好立地だった。

その日は青い空が広がる絶好の日和。窓外の景色を堪能しない手はないから、メトロではなく迷わずにバスを選んだ。広い道路の閑散としたエリアにバスが停車する。そこから、自分なりには森に入って歩いたつもりだが、後で地図で確認したら入口あたりをほんの少し逍遥した程度だった。ともあれ、静謐の空気が充満していた。色があるのにモノトーンに見せる風景が印象深い。朝靄のあの光の記憶は今もなお鮮明である。

心身が浄化されて帰りのバスに乗り込んだ。バスに乗る直前に歩いた通りの名称がジャンヌ・ダルクと来れば、忘れようとしても忘れるはずがない。秋は記憶の扉が開きやすい季節なのだろう。「記憶は精神の番人である」というシェークスピアのことばが思い浮かんだ。

秋の日和、雨、風

実況で小文を書き始めていたが、用事ができて途中でやめた。一昨日のことである。一昨日感じた雨の秋らしさを、晴れのち曇りで夕暮れた今、こうして書いている。

少年の頃まで、街はアスファルトで埋め尽くされていなかった。車が走っているのは珍しかった。歳時に四季それぞれの特徴があり、風物詩は現在とは大きく違っていた。夏の終わりとか秋の始まりなどといちいち言わなくてもよかった。夏から秋への移ろいは肌で感じ、風習に教えられたものである。

ぼくにとって、たとえば「秋日和」をことばで説くのは野暮である。説明しようとしても「秋」という文字を使うことになる。「秋らしい好日」と言うのが精一杯ならば、秋日和で事足りる。

一昨日、雨が降っていた。土砂降りではなく、しとしとと静かに細い雨がそぼ降って、ちょうどよい加減のお湿りなった。もし夜半まで降り続けば、それを長雨と呼ぶのだろう。長雨は秋の特徴だ。秋日和も秋雨も、それ以外のことばを尽くして説明してもらうには及ばない。

ところが、この頃はそうもいかなくなった。表現に春、夏、秋、冬が含まれていても、ことばとイメージ、あるいはことばと体験的な現象が必ずしも一致しなくなった。秋日和や秋雨と言っても、若い世代にはどうやらピンと来ない人もいるようなのである。

☆     ☆     ☆

『ことばの歳時記』(金田一春彦著)によると、昔は秋雨などということばはなかったらしい。江戸中期に春雨に対して生まれたことばのようである。春雨が先輩格というわけだが、濡れて情緒があるのは若葉だけではない。紅葉や落葉も雨で濡れる。それを秋雨と名付ければ風情に円熟の味が加わる。秋雨を造語した知恵者に感謝しなければならない。

秋の気配を感じさせるのは雨だけではない。風も秋の予兆や到来を知らせてくれる。秋風をぼくは「あきかぜ」と訓読みするが、漢詩の読み下しでは「しゅうふう」と読む。『漢語日暦ひごよみ』(興膳宏著)では「しゅうふう」となっている。同書に漢の武帝の「秋風の辞」の一節が紹介されている。

秋風しゅうふう起こって白雲飛び、草木黄ばみ落ちてかりは南に帰る。

船に乗って空を見上げれば白雲の流れが見える。秋の風の仕業である。雲を眺めて季節の移ろい、時の流れを認める。船上の酒宴に我を忘れて思う存分興じればいいのに、秋という季節は今のちょっと先、場合によってはずっと先へと心を向かわせる……そして、秋風に頬を撫でられながらセンチメンタルになる……というような心理になる人が少なくないが、実にもったいない。こんないい季節に哀愁に苛まれるのは、多分に刷り込みだとぼくは思っている。