知的好奇心のオーラ

一回り年上のYさんのことについては、このブログで何度か書いている(直近では「全機透脱」)。ぼくのようななまくら雑学の輩とは違い、深読みの読書家だった。還暦を過ぎてからはもっぱらシェークスピアと小林秀雄とドストエフスキーに傾倒されていた。

年に一度会えるか会えないかという関係だったが、その一度はたいてい喫茶店での読書談義だった。二時間以上話し込むことも稀ではなかった。「役に立つ本を読まず、読みたい本を好奇心のおもむくまま読むあなたに刺激を受けて以来、古典と小林です」と言われた時は正直驚いた。Y氏の知的好奇心の足元に及ぶはずもないと思っていたからである。

知のオーラではなく、知的好奇心のオーラ。そういうオーラが出ている人に対しては、手抜きせずに感応するしかない。好奇心たくましい人は、相手が気づいていない潜在の知を上手に引き出してくれる。Y氏と話をするたびに、自分が自覚していなかった自分の考えに気づいてハッとさせられたものである。

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「知的」と名の付く本をいくら読んでも、知的好奇心旺盛であることの証明にはならない。博覧強記的な知性のオーラなどは、知的好奇心が横溢するオーラの前では色褪せるのだ。最近、明けても暮れてもたわいもない昔話や世間話を持ち出す知人との付き合い方に戸惑うようになった。いや、無理して付き合う必要はないのだが、やむなく付き合うとなれば相手に合わせるしかない。

相手に合わせてもらっている人間が、今の器以上に大きくなるはずもない。やがてこちらも合わせるのが面倒だし、刺激を受けることもないので距離を置くようになる。歳相応の知的好奇心というものがあり、それが雑談の中身に関わってくる。知的好奇心が薄れると世間話しかできなくなる。やがて老化が進む。

Yさんは知をものにしようなどと思っていなかったはずだが、知的好奇心に溢れていた。こちらが息を抜けないようなオーラがあった。「難病を患っていた夫は七十九歳で旅立ちました」という書き出しの奥さまからの葉書の文面はこう続く。「亡くなる数日前にも、新しい書籍を求める等、最後まで意欲的に生きたと思います」。何という生の最期の密度であることか。

原稿用紙と漢字

「四百字詰め原稿用紙5枚以内」というような言い回しが懐かしい。昨今ほとんど目にも耳にもしなくなったが、ワープロやパソコンが普及する前は、原稿用紙のマス目に文字を埋めていた。用紙の上で加筆修正したが、そのままで提出はできず清書を求められることもあった。数枚なら大したことはないが、十数枚になるとかなりきつかった。

二十代の頃は小説や詩の創作で使ったこともあるが、万年筆が使えたので鉛筆より筆圧の負担が少なかった。やがてワープロを使うようになり、一マス一文字の束縛から解放された。字数計算をしなくてもパソコンのワードなら文字数を表示してくれる。ノスタルジーに浸りたければ原稿用紙の書式を使うこともできる。十数年前に興味本位で試してみたことがある。その時の文章が見つかった。

 原稿用紙にワープロで文字を打ち込んでいくと妙な感覚に襲われる。
 原稿用紙というのは、万年筆であれボールペンであれ鉛筆であれ、本来手書きで字を埋めるものである。すんなり書けることはめったにないから、句読点は欄外にはみ出し、二重線で消された文字の横に別の文字が挿入される。出来上がった原稿は、混沌としてまるで戦場のような雰囲気を醸し出す。
 そうなのだ、原稿用紙に手書きで文字を埋める作業は、ある意味でいくさなのである。
 ところが、今こうしてワープロで打っていると、創作過程が割愛されているような錯覚に陥る。文案を練る過程に編集作業が組み込まれ、文章はひたすら仕上げへと向かう。仕上がりの外見ばかりに気を取られ、中身がおろそかになってしまうのである。

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ところで、ひらがなやカタカナが目立つと原稿用紙は間が抜けたように見える。適度に漢字を混ぜておかないと格好がつかないのだ。ひらがなやカタカナよりも画数の多い漢字の象形的な美しさが原稿の調子を整えてくれる。小説家志望だった年配の知人は、今ではひらがな表記が当たり前の接続詞もすべて漢字で書いていた。「て」とか「しかしながら」とか「ゆえに」という具合に。

太陽の姿から「日」を、月の姿から「月」を発明した漢字は象形文字。ある種の法則を踏まえながらも造形の生成は変化に富んでいる。「|」と「―」と「、」とわずかな曲線だけで部首というコンポーネントを生み出し、おびただしい変化を編み出す。どんな文字でもその他の文字と識別可能な差異を有している。

漢字はつねに人を試す。人の認識力を問う。その意味や生い立ちのような専門的な話ではなく、純粋に文字の形を判じる教養を求めてくるのである。ともあれ、原稿用紙のマス目には漢字が収まりやすい。つい漢字が増えてしまう。原稿用紙に向かった文豪たちの原稿が漢字まみれになったのも不思議ではない。

時を越えて話がつながる

自宅で資料を整理していたら古いノートがいくつか紛れていた。適当にページを繰り、一冊だけオフィスに持ってきた。今朝のことである。それがたまたま2002年のノート。元日に次の一文を綴っていた。

を進めよう。
たとえ苦しくても後退することはできない。逆戻りの「歩」などありえないのだ。
大きな進歩を遂げて身を持て余したかのような人類。本来「進歩」とは文字通り「歩を進める」ことだったはず。ゆっくりと一歩一歩前へ進む……これが進歩である。後ずさりしてはいけない。進むのである。とにかく前へ。

年初に書いた一文の値踏みをしただけで、転記したことに特に意味はない。その数ページ後に年賀状のことを話題にしている。今年の年賀状の当選番号をチェックした直後だった。

今年一番の年賀状は、何と言っても、友人のS.H.の世相批判である。彼の年賀状は毎年世相にいちゃもんをつける。たまにぼくと会ってもそんな談義ばかり。今年のテーマは「もらってうれしい年賀状、もらってもうれしくない年賀状」だった。これを年賀状で書く。もらってうれしくない年賀状を投函した者にとってはたまらない。(……)

昼にポストに郵便が入っていた。「寒中お見舞い申し上げます」。今年はこの葉書がことのほか多い。「昨年十一月主人が六十七歳で永眠……新年のご挨拶を失礼……」。主人とはS.H.だった。ぼくのオフィスと彼のオフィスは100メートルほどの至近。近いのでいつでも会えるとお互い思っていたが、案外会えなかった。そんなものである。数年前突然倒れ、リハビリを経てオフィスで仕事を再開していたが、それもままならず、自宅にこもっていると聞いた。直近に会ってからはもう三年近く経っている。

生前の付き合いのエピソードをまじえて、奥さま宛にお悔やみを一筆して今しがた投函してきた。気を取り直して一歩進むしかない。これも何かの因縁だろうから、明日もこの2002年のノートを少し捲ってみようと思う。

ヒントの仕入れ先

人は人から多くを学ぶ。他人の知識や経験を学ぶ。学びにはプラスもマイナスもあるが、マイナスだからと言って拒否することはなく、マイナスも逆説のヒントになってくれる。

人は人以外に、本からも学ぶ。生身の人間ではないが、本もある意味で人である。さらに、人は自分自身の過去からも学ぶし、自然からも学ぶ。学ぶという言い方がありきたりなら、ヒントを得るとかインスピレーションを受けると言い換えてもいい。

人は人からヒントや刺激を授けられて日々生きている。自分のことを考えてみればわかるが、既得の知識や経験が歳を取るにつれて支配的になる。やがて偏った考え方が身について型になる。このことは他人にも言えることだ。

波長が合うという理由だけで交流相手を決めてしまうと、考え方の偏った者どうしのグルーピングが生まれる。ヒントや刺激を受けるはずのお互いの関係がルーズになり、八方ふさがり状態の集団と化す。しかも、そのことになかなか気づかない。

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人的交流にともなうマンネリズムは避けられない。そこで本の出番である。本を人に見立てて付き合うのである。一対一でもいいし、一対複数でもいい。前者が熟読であり、後者が併読。人と同様にいずれの読み方にも長短があるが、マンネリズムに陥りそうになれば本を閉じてしまえばいい。文句を言われることはない。

自然からの学びが少ないことを反省している。自然についての本からはヒントを多々仕入れるが、自然と直接触れる機会がいちじるしく少ない。「自然が書いた偉大な書物を学ぶことからすべてが生まれる。人間が造ったものは、すでに自然の書物の中に書かれている」というアントニ・ガウディの至言を肝に銘じている。

先に書いたように、ぼくたちは自分の過去(ひいては何がしかの記録)からも学ぶのだが、ヒントと言った瞬間、仕入先を外に置いている。思い通りにならない外部だから、ヒントを得たりインスピレーションを湧かせることに急ぎすぎてはいけない。何事も熟すのを待つ忍耐が必要なのである。

ホモ・エレクトゥス

昨日も今日もそれぞれ約5キロメートル二足歩行した。週末には一日10キロメートル近く歩く。ホモ・エレクトゥスならではの行動である。明日もホモ・サピエンス的な仕事のためにホモ・エレクトゥスを生きることになる。

原人はある日突然二足歩行したわけではないだろう。昨日まで四つん這いだったが、今日突然立ち上がる赤ん坊は稀にいるが、かつての原人が突然一斉に二足で歩き始めたとは想像しづらい。おそらく時間をかけて遺伝子と行動習慣によって二足歩行を実現し子々孫々にリレーしてきたはずである。原人とぼくたちが直接繋がっているかどうかは知らない。ともあれ、人類は歩くことを選択して、それを第二の天性にした。

歩けば車や列車では体感できないものに触れることができる。車や列車もゆっくり走らせば歩行に近い視野が得られる。しかし、つねに視覚の内にとどまる。足底が地面に接地してはじめて体感できることがあり、それが見えるものと一体になる。歩かないとわからないことがいろいろあるのだ。

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オフィスや書斎に閉じこもっても、おいそれとアイデアは出てこない。むしろ街中や公園の木立の中や川岸沿いに散策するほうがかなりひらめきやすい。散歩好きだった偉人たちは口を揃えてそう言ったり実践したりしていた。カントしかり、西田幾太郎しかり、アインシュタインしかり。

とは言え、散歩をアイデアのための手段にしてしまっては精神が卑しくなる。散歩前に散歩の目的があってはならない。散歩後に散歩のおまけが勝手に生まれる。おまけとしてアイデアが生まれることもあるし、印象的な写真が手元に残ることもあるし、雑念が取り払われてすっきりすることもある。金品を拾うというおまけの体験が一度もないのは、確率の低さを物語っている。つまり、そこらじゅうに落ちてはいないのだ。

散歩しない人生は機会損失である。せっかく二足歩行ができるのであるから、それを一つの特権と見なしたい。齢を重ねていけばそれもままならない時が来るだろうが、歩けるうちは歩くに限る。二足方向と道すがらのファンタジーを放棄する理由が見当たらない。ところで、自宅から300メートルの所にあるコンビニに車で行く知人がいるが、ぼくは彼をホモ・エレクトゥスとして認知していない。

日々の数字

数字を見ずに一日は過ぎない。日時、お金、テレビのチャンネル……。数字は主役になって喜怒哀楽を演出する。数字は脇役にもなる。脇役ながら気になる存在として日々の暮しを取り巻く。

“1234”
出張時に宿泊したホテルの部屋番号である。察しの通り、12階の34号室。たまたま数字が順に並んだが、これは、たとえば142814階の28号室)が割り当てられる確率と同じである。フロントで“1111”の鍵を手渡されて歓喜する向きもあるが、11階の11号室というだけのこと。
ちょうどよい数字、きりのよい数字、何がしかの法則が感じられる数字につい目が止まる。数字のありふれた日常性の中に、少しでも「ハレ」を見い出したい心理が働くのか。

“¥1,000”
年末に来客を迎えることになった。ワインと焼酎はふんだんに常備してある。ビールは2缶もあればいい。飲まない人が一人いる。ノンアルコールも飲まないかもしれないが、一応1缶。わけもなく、ついでに日本酒も1缶。
レジで勘定したら消費税込みでちょうど千円。一品だけ買って税込み千円などしょっちゅうあるが、値段ばらばらの品を複数買い、しかも消費税を足しての千円は珍しい。だからどうなんだというだけの話だが……。

“50%OFF”
こちらのインドレストランはディナーセットが50%OFFである。今週限定のキャンペーンでもなければ、オープン何周年記念かの特別感謝セールでもない。例外なく、年中毎日が50%OFF。つまり、これが現実の通常価格で、定価がまぼろしなのだ。
蕎麦を注文すると、その場で100円引きになるクーポン券をすべての客にテーブルで渡す店もある。価格800円を700円と表示しない理由がわからない。クーポンを渡す手間も省ける。

“2時間120円”
JRの入場券である。ゲストを関空まで見送るつもりだったが、「わざわざ申し訳ない、天王寺駅で見送ってくれるだけで十分にありがたい」と言われ、申し出に甘えてそうすることにした。

早く着いたので入場券を先に買い、待ち合わせのモールで一緒にランチ。そして駅へ。改札機が入場券を受け付けない。入場券は改札を通る時点から2時間有効だと思っていた。券売機での発券時刻から時間が刻まれるとは……知らなかった。

孤独の予行演習

孤独に縛られて身動きが取れないと言う。孤独に苛まれるのが堪えがたく、孤独から脱け出そうとする。しかし、孤独から逃げて人に交わっても、別の縛りが生まれ、身動きが取れなくなることもある。

孤独を回避するために、友人知人との約束で予定表を埋める。そんな男から久しぶりに電話があった。「来週の木曜日、ぽつんと時間が空いたので、食事でもいかが?」と言う。「きみ、空いたら空いたでありがたいじゃないか。たった一人のプライムタイムを存分に味わえばいい」と返した。

人と会わないと孤独感が募るなどというのはでたらめだ。生きているかぎり、人は人と出会うし、人と仕事もしなければならない。かと言って、人間は、生まれてから捕獲されるか死ぬまで動き続けるマグロとは違う。一人にもなるし、立ち止まることもある。立ち止まって一人になる――これを孤独と呼ぶのなら、孤独があるからこそ人との交流にも意味を見い出せる。

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誰かとのアポで予定表を埋め尽くすきみ。人と会わないと孤独に陥るきみ。あれこれと口実を作っては、仕事も家庭もそこそこにして、大したわけもなく人に会っては飲み食いして、たわいもない雑談に興じている。きみ、忘年会や新年会などに何十回も顔を出して何かが変わったかい? 

交際の幅に合わせて身の丈を伸び縮みさせてみてもキリがないのだよ。きみのように常日頃頻繁に人に会っている人間がある日突然来なくなったら、みんな心配してくれるだろう。心配されたら孤独感が和らぐとでも言うのかい?

きみも四捨五入したら還暦だ。そろそろシニア美学を身につけないと。気づかれないように徐々に存在感を薄めて、やがて消えてしまうのが理想だ。人間はどうせいつかは一人になる。一人は「独り」に通じる。いや、独りにならずとも、大勢の中にあって無性に孤独感を覚えるのがシニアというものだ。早晩きみにもやってくる。その時のために、敢えて孤独の時間をつくる予行演習が必要なのだよ。

ブログの自分史

このブログ《オカノノート》について少し書いてみる。最初の記事を書いたのは200865日。すでに10年半が過ぎた。「よく続いていますねぇ」と褒めていただくのはありがたいが、時折り「性懲りもなく」というニュアンスを嗅ぎ取ることがある。

多趣味であり飽き性である。飽き性とはいえ、ぷっつりやめることはめったにない。マンネリズムから脱け出せたと判断したら、目先を変えて再開することがある。このブログと、そのキャリアをしのぐ40有余年の手書きノートだけがよく続いている。

最初のブログから今日で1,370回目になる。昨年に限れば116回。月10本ペースだ。昨年も雑多なテーマで雑文を綴ることができた。お付き合いしていただいている少数の読者には感謝するばかり。日々の仕事でテキストを書いたり諸々の文章を書いたりしているが、ほとんどが非公開。社会に開かれた私的メディアとして、このブログはぼくにとっては貴重な存在になっている。

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「習慣は第二の天性」という古代ギリシア・ローマの格言がある。天性に恵まれない者にとっては大いに励みになり慰めになる。凡人は下手に曲解せずに、文字通り真に受けておけばいい。「継続は力なり」にはやるぞという意識が込められているが、習慣は継続よりもさらに進化している。もはや意識という肩肘を張らなくてもよくなった状態なのだ。

コラムを毎日書かねばならない記者は明けても暮れても話題を探す。朝日の天声人語だったか毎日の余録だったか忘れたが、話題に困ったら記者は動物園に電話を入れたそうである。困った時の上野頼み。ネタがない時は動物というわけだ。動物の話はおおむね共感してもらいやすい。

日頃ノートにあれこれ書いているので、ブログで何を書こうかと苦労することはあまりない。しかし、テーマ選びに関して確かな一つの傾向がある。それは、仕事で忙しくなると「食」の話が増えること。忙しくても日に三度食事をしているのだから、マンネリズムさえ恐れなければ、食材や料理のことはさほど頭を悩ませなくても書けるものだ。

今日は多忙感がやや強い日。そこで、先日英国パブで注文したムール貝の思い出を軽く書こうとキーボードを叩き始めた。頭に新聞記者と動物のことを置き、次いで、ブログと食のことを続けようと目論んだのだが、ふとブログを始めてから10年ということに気づき、気づいたらこんな記事になっていたという次第。パリのマルシェで500円で洗面器山盛りのムール貝を買って食べた話はいずれまた書くことにする。

古代の健啖家たち

恒例の古本の初買い。置き場のことを考えれば慎まねばならないのだが、7冊買ってしまった。飲み食いが活発になる年末年始にぴったりの一冊は『シーザーの晩餐 西洋古代飲食綺譚』。実に凄まじい本である。

シーザーにまつわるエピソードなどわずかだが、巧妙に題名を選んだものだ。「古代の晩餐」よりはよほど読む気がそそられる。ともあれ、この本は古代ローマ人の食習慣と古代ギリシア人の食生活をかなり深く掘り下げている。

これまでにこの種の本を何冊か読んでいるが、一般庶民の食生活よりも富裕層の健啖ぶりに紙数が割かれる。そのほうが読者は度肝を抜かれる。ローマ人が饗宴で食べていたものを一覧すると、美食とゲテモノが交錯しているのがわかる。珍奇なる食と言うべきか。

ローマ人は今の日本人と同じく、タレのかかった鰻の蒲焼やマグロを食べていた。牡蠣も養殖して生食していたこともわかっている。肉類や昆虫はほぼ何でも食べていた。クジャク、カタツムリ、ヤマネ、ガチョウのフォアグラ、イヌ、ネズミ、セミ、イナゴ、アオムシ、イノシシ、シカ、ウサギ、タヌキ、ゾウ、ライオン、ラクダ……列挙したらきりがない。

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牛肉よりは豚肉を好んだ。一度に一頭しか産まない牛よりは豚のほうが安く手に入ったからだ。醤油もちゃんとあった。しょっつるのような、「ガルム」と呼ばれる魚醤がそれ。調味料のレベルは料理のレベルに等しい。当時手に入るかぎりの食材と調味料で美味珍味を追求したのだが、食性の広さは現代の比ではなかったように思われる。

宴会と言えば、「卵に始まりリンゴに終わる」というのが常識だった。卵料理だけで20くらいあり、鶏卵のみならず、クジャクの卵も使った。卵の次にはレタス、オリーブ、ざくろ、桃を銀の皿に盛り付け、そこにヤマネの丸焼きを乗せる。蜂蜜とカラシがまぶしてあったそうだ。次いで、蟹、大海老、ザリガニの肉団子等々。以上が第1のコース、つまり饗宴の序章なのだから開いた口がふさがらない。ふさがらない口へと料理が次から次へと運ばれる。

ところで、ヤマネはリスやネズミのような小動物だ。これを人工的に繁殖させていたのだから、ローマ人の健啖には欠かせない珍味だった。素焼きの壺の中で数匹を飼う。運動不足の状態にしてクルミやドングリをしこたま与えて肥らせた。ヤマネという響きだけでも異様だが、今でもその食習慣が引き継がれている地域があるらしい。

ローマ人が食べた珍味で経験した食材が二つある。一つはザリガニ。広島産の養殖ザリガニをフランス料理で経験した。もう一つはフィレンツェのレストランで注文したコロッケ。肉には豚の乳房のミンチが使われていた。言われなければ素材が何かはわからない。おそらく、ローマ人も同じだったろう。彼らは食材の「名前」を食べていたのである。そして、たぶん、現代のぼくらも名前によって味覚を確かめている。

全機透脱

公私にいろいろ変化があった平成最後の一年。もうひと踏ん張りするには精神のリフレッシュが不可欠と思い、新年の初硯には、今さらながらの感がある「虚心坦懐」のつもりだった。但し、筆ではなく、昨年に続いて消しゴム篆刻。昨年途中まで彫っておいた。

元旦に届いた年賀状の一枚を見て予定変更した。その一枚は亡き人から。1220日に訃報を聞いたのだが、おそらくその一週間か半月前にすでに投函されていたのだろう。例年宛名は手書きでいただいていたが、今年は筆ソフトである。もう書けなかったのに違いない。

いつも数百字で文を綴られる。今年もそうだった。文末にはこう書いてある。

老境になり、龍安寺の蹲踞つくばいに彫られた「吾唯足知ワレタダタルヲシル」の禅語に救われている。身の丈に合った規範でのりを越えず、分相応のつづまやかな暮らしにこそ至上の満足があると。

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十年近く前、とある寺に刻まれていた四字を見つけた。内蔵助良雄の座右の銘だった。「全機透脱ぜんきとうだつ」がそれ。調べ不足だったのか、そんな四字熟語は辞書で見当たらず、全機のほうを調べていたら『正法眼蔵』に辿り着いた。全機と透脱を別々に自分流で解釈したのを覚えている。

いま一枚の年賀状に生と死を見ている。昨日、全機透脱を「すべてのものの働きは、生も死をも越え、縛られることなく自由」と読み替え、書き初めすることにした。