「責任者出てこい!」

おそらく関西圏出身の50歳以上でないと即座にわからないフレーズ、「責任者出てこい!」

これをギャグにしていた漫才師、人生幸朗が亡くなって37年になるという。若者が集まる飲み会で還暦前の男性が冗談まじりに「責任者出てこい!」と言ったところ、場がシーンとなったらしい。

あの芸風を漫才以外の語りで再現しようとしても、まずわかってもらえない。「何がおもしろいのか!?」と反応されたらそれまで。わかってもらおうと躍起になればなるほど場が凍る。ぼやきのネタには鮮度も欠かせない。

元祖ぼやき漫才である。人生幸朗は「まあ皆さん、聞いてください」でぼやきを始める。語りかけの口調はいたって静かだ。しかし、歌謡曲の歌詞に難癖をつけてぼやいているうちに、ボルテージが上がってくる。

伊東ゆかりが歌ってヒットした『小指の思い出』。「♪あなたが噛んだ 小指が痛い~」 小指は誰が噛んでも痛いわい! 

この後に「責任者出てこい!」となるわけだ。


並木路子の『リンゴの唄』などが流行したのは終戦の年。同時代人はもう85歳以上のはずである。幸朗がこの歌をネタにしていたのは半世紀も前なので、ターゲットは30代、40代あたりでちょうどよかった。うちの母もよく口ずさんでいたので覚えている。

並木路子の『リンゴの唄』。「♪リンゴは何にも言わないけれど リンゴの気持ちはよくわかる」 リンゴがもの言うか! リンゴがもの言うたら、果物屋のおっさん、うるそうてかなわん!」

すべてがこんな具合。そして、漫才の終わりがけに「責任者出てこい!」と怒鳴る。相方の生恵幸子が「出てきたらどないすんのん?」と聞く。幸朗は「謝ったらしまいや」と答える。おもしろいとくだらないが相半ばした、しかし異色の夫婦漫才だった。

幸朗はぼやきに先立って「浜の真砂は尽きるとも、世にぼやきの種は尽きまじ」と唱える。まったくその通りである。先日、NHKで歌手の水森かおりが『高遠さくら路』なる演歌を歌っているのを聞いた。

♪ほどいたひもなら 結べるけれど 切れたら元には戻らない

「切れたひもが元に戻ったら、ミスターマリックや!」

当たり前のようなことが、実は滑稽でシュールだったりする。不思議が日常茶飯事になれば、当然当たり前が気になってくる。ところで、ぼやきの対象を知らなければ、ぼやきに共感したり笑ったりできない。時代を反映するという点では、ぼやきは立派な時事批評である。