ここはどこ?

「ここはどこ?」と言えば、「わたしは誰?」が続く。どうやら判断も判別もできないらしい。

これまで「わたしは誰?」と自問したことはないし、他人に尋ねた記憶もない。プチ哲学っぽく「人間とは何か?」と問い、ちょっと考えてみたことはあるが、「わたしは誰?」はない。自問していないから、当然自答もしていない。

人は5W1Hを問う。いつ、誰が、どこで、何を、なぜ、どのように。こういう事実情報を問い、知ることはベーシックなのだが、ついさぼってしまう。手抜きして調べない。知っておくべき5W1H。実は、よく忘れる事柄でもある。


別に知らなくてもいいこと、瑣末なことを「トリビア」という。雑学や豆知識を威張れるのがメリットだ。稀にトリビアを知ってイメージが広がることもある。胡散臭いように思われるが、一応トリビアは事実を扱う。たとえば、ローマのトレビの泉のトレビは「三つの+通り」が由来。つまり三叉路を意味する。これは事実なのだが、事実だからと言ってすごいというわけではない。他のトリビア同様に、「へぇ」と「ふーん」という反応に分かれること間違いなし。

「ガセビア」というのもある。決定的な違いは、トリビアが発見されるのに対して、ガセビアは創作されるという点。つまり、事実のトリビア、嘘のガセビア。しかし、トリビアとガセビアはいずれも特に有用性のある知識ではなく、また怪しさの点でもよく似ている。事実と嘘は見分けにくい。「ここはどこ?」と尋ねる者に、教えられる情報の真偽が分かるはずがないのである。