エピソードとひらめき

こんな話、いったい何の役に立つのかとつぶやきたくなる小さな話の数々。おかしみがあり、稀に意表を突かれるが、特段の価値があるように思えない。しかし記憶に残っている。そんな小さな話は、役に立つとか立たないとかの基準をすでに超えていて、イメージやストーリーが脳に刻印しやすい構造を備えている。

印象に残る、イメージが刷り込まれる、忘れようとして忘れられない、自然にストーリーが出来上がる……こういう情報を〈エピソード〉と呼ぶ。熟成させておくと、新しい何かを誘発する触媒になることがある。

分類されたいくつかのファイルがある。ラベルが貼られている。ラベルのカテゴリー名に関連しているか属性になりそうな情報を振り分ける。時々どのファイルにも収めにくい情報に出くわす。〈とりあえずファイル〉や〈その他ファイル〉に入れることになる。後日、ここに振り分けられた情報が、つかみどころのないエピソードとして、突然ひらめきに化けることがある。

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情報から信号や記号を読み取れば、何がしかの〈ひらめき〉になることがある。一つの情報は一つの信号や記号のみを潜めているわけではない。ところが、ぼくたちは限られた信号や記号を自分勝手に感知している。どんなひらめきに恵まれるかは、人それぞれの感受性や情熱に依るところが大きい。

異なった情報からの多種多様な信号や記号の組み合わせがひらめきに関係する。レヴィ=ストロースは『野性的思考』の中で次のように語っている。

知の最先端にいる学者たちは、物事を「真理」によって解読するのではなく、「いろいろな出来事の残片」を組み合わせて構造をつくる。

野性的思考――または神話的思考――とは、ぼくたちが飼い慣らされたきた科学的思考では説き明かせない事柄の意味を、今一度新たに組み合わせることにほかならない。新たな構造をひらめかせてくれる残片としてエピソードが力を貸してくれる。とりあえず振り分けたその他の小さな話の出番である。