「お忙しそうですね」

この4月から今に至るまで、ここ数年で最も忙しい日々を送っている。灼熱の真夏まで続くはず。同齢の友人知人の大半が仕事を離れて暇を持て余しているのとは対照的だ。どっちがいいかは自分が決めるしかない。

嬉々として取り組める仕事と退屈きわまりない仕事があるが、総じて仕事というものは、難易度に関係なく、面倒を引き受けることではないか。他人の面倒を軽減する面倒見の良さが仕事の本質にほかならない。

スコットランドに「ハードワークで人は死なない。退屈が死を招く」という諺がある。近年、ハードワークが長時間労働と同義になってしまった感があるが、本来は密度と集中度のことだろう。したい仕事をやりきる能力があり、それが他人や社会へのミッションだと自覚するかぎり、ハードワークを拒む理由はない。面倒ではあるが、仕事を委託されているのであるから、ありがたいことである。

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世間には、働きたくないのに、縁故のおかげで働いている者がいる。能力もあり人一倍働きたいと思っているのに、職に就けない人もいる。働き方改革? その前に働くことの意味や仕事観について自ら考えてみてはどうか。さほど働いていない連中が真っ先に改革の対象になっているのは滑稽である。

「お忙しそうですね」と挨拶されても、「ええ、お陰さまで」などと無意味なことは言わない。イタリア人のように「ええ、不幸にして」とも言わない。「貧乏暇なしですから」と心にもない社交辞令など論外。「ええ、ハードワークしています。退屈よりはよほどましですから」と返す。忙という漢字は「心を亡くす」という構成になっているが、決してそんなことはない。むしろ、仕事をしていたら心は日々新たになる。心を亡くした人間に仕事が舞い込むはずがない。

仕事と生活は写像関係にあると思っている。時間観念、段取り、計画性、マメさ、好奇心、コミュニケーション、約束、電話のしかた……公私をまたいでよく似た考え方ややり方をしているものだ。今さら「ワークライフバランス」と教えられるには及ばない。クオリティ・オブ・ライフへの想いもクオリティ・オブ・ワークへの意識も本質的には同じなのである。