本――読書媒体以上のもの

電子書籍の是非について大学生にディベートをしてもらったことがある。当然、紙の書籍と比較する論点が出てくる。実生活では「紙の書籍vs電子書籍」の論議にほとんど意味はない。二者択一ではなく、上手に使い分ければ済むからである。

先日、大手書店の元店員さんが独立してオープンした小さな本屋に立ち寄った。新刊と古本のセレクトショップ。正直言って、ぼくの蔵書の3分の1にも満たない品揃えである。だが、読者層を絞って十分に吟味して並べているので、一冊の密度がかなり高い。パリの街角で覗いた書店も負けず劣らず狭かった。売られている冊数は少ないが、貴重なスペースを使って凝ったディスプレイを演出していたのが印象的だった。

棚から棚へと移動し、気になる本を手に取る。小さな本屋だからすべての本の背表紙に目配りできる。こうした小さな本屋が大手書店と趣を変え、若い店主らがそれぞれの書物観を具現化している。十分な利益が出そうもないことは明らかだが、本には経営者を儲け主義に走らせない何かがある。夢破れないようにと、応援のつもりでささやかな貢献をしている。

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本は売るだけのものではなく、また、買って読むだけのものでもない。装幀され、印刷され、製本された本。店主に選ばれて書棚に並べられ、読者を待ち受ける本。本は読書媒体以上の価値を内包する存在である。

書かれたコンテンツは言うまでもないが、コンテンツの魅力を支えるのは文章だけではない。書体とそのサイズ、挿絵や写真や飾り罫、紙の手触り、そして、何よりも、第一に目を引く題名が印された表紙と背表紙が、いや、それ以上のありとあらゆる要素が、一冊の本を設えている。

新本にインクの香りを感じ、古本にほのかにかびっぽい匂いを嗅ぐ。自宅に所蔵している本とは違う、古本特有のあの匂いに、前の所有者か愛読者の生活世界を垣間見ることもある。どんな人か知るすべもないが、ページをめくるたびにその人の見えない指紋をぼくの指がなぞっている。

電子書籍については、以上のように語ることはできない。経験と知識を持ち合わせていないからだが、それにもまして、エピソードになるような手触りや読み方がありそうな気がしないのである。