書体が秘めるもの

起業してから幾多の困難を克服して成功を収め、創業者が財産を遺した。二代目は首尾よく承継して守成をやり遂げた。創業にも守成にもそれぞれ別の苦労があるが、一般的に「創業は易く守成はかたし」と言われる。これが正しいなら、生業を軌道に乗せた二代目の手腕を褒めるべきである。

しかし、守成の難しさは富家ふかの三代目が証明することになる。世間によくあるのは三代目による家業の没落というシナリオだ。家を売りに出さねばもはや立ち行かない。貼り出された売り家の札を見れば唐様からようのしゃれた字で達筆。さすが祖父と父の財産で遊芸に耽っただけのことはある。こうしてあの川柳が有名になった。

売り家と唐様で書く三代目

三代目の書を褒めたわけではない。商いの道よりも遊芸にうつつを抜かして身上しんしょうを潰し、残したのはわずかに手習いの腕と教養だけという皮肉である。

唐様は和風の草書や行書とは違った楷書系の書体である。この川柳の頃はおそらく江戸時代で、当時は楷書に明朝の書体を取り入れたものらしかった。明治時代には公式の書体として唐様が定められた。将棋の駒の書体として人気のある菱湖りょうこがそれである。

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どうせ家を売りに出さねばならないのなら、唐様で粋に書くほうが少しは高く売れるかもしれない。少なくとも何も書かないで空き家のまま放置するよりも、また札書きが下手くそであるよりもうんとましである。

書体はその名の通り「文字の体つき」を表現している。身体同様に、書の体つきも個性の一つであるから、イメージやニュアンスまでも伝える。同じ「売り家」と書くにしても、草書や行書、明朝やゴシックのどれを選ぶかによって、文字通りのメッセージとは別の隠れ潜んだ意味があぶり出されるだろう。

書における力とは、(……)毛筆に加えられる力ではない。毛筆が沈む深さでも、毛筆が疾走する速度でもない。政治や社会、人間関係の重力に抗して歩む、志とその陰にひそむさまざまな人間的なひだを含み込んだ「間接話法」的な力の姿である。
(石川九楊著『書とはどういう芸術か』)

唐様の「売り家」という文字に、三代目の心のありようとファミリーヒストリーが滲んで見える。