和菓子を人為淘汰した人たち

近くの小さなモールの地階にたまに行く。肉・野菜・惣菜などが売られているが、エントランス近くにはパン屋、洋菓子店、和菓子屋が並ぶ。人の賑わいもほぼこの順。

パン屋と和菓子屋を見て、二年前の道徳教科書の話を思い出した。パン屋という題材が和菓子に変えられた検定意見の一件である。「にちようびのさんぽみち」という文章の一節。

よいにおいがしてくるパンやさん。
「あっ、けんたさん。」
「あれ、たけおさん。」
パンやさんは、おなじ一ねんせいのおともだちのいえでした。おいしそうなパンをかって、おみやげです。

これが具合が悪い、いや、不適切だと意見したのである。学習指導要領の「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」に照らして不適切だと言うのである。不適切なのは、パンのよい匂いなのか、友達の家がパン屋を営んでいることか、それとも、パンをお土産に買ったことか。よくわからないが、伝統と文化を尊重していない、国や郷土を愛する態度が足りないと判断された。

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次のように修正された。いや、修正ではない。一から書き下ろされた。

あまいににおいのするおかしやさん。
「うわあ、いろんないろやかたちのおかしがあるね。きれいだな。」
「これは、にほんのおかしで、わがしというんだよ。あきになると、かきやくりのわがしをつくっているよ。」
おみせのおにいさんがおしえてくれました。おいしそうなくりのおまんじゅうをかって、だいまんぞく。

当時様々な批判があったが、道徳という概念のことはどうでもいい。人気や売上高もさておき、実際に店の前を通りかかれば、二つの店が並んで日常光景を描き出している。店を覗けば、和菓子はそこでは作られておらず販売員がいるだけ、パンは焼きたてが売られている。

パンとパン屋、和菓子と和菓子屋に何の非もない。二律背反的対立などさせてはいけない。和菓子がこの国の伝統と文化的存在であるのなら、パンも明治初頭から数えて150年だから堂々たる伝統と文化的存在である。国や郷土を愛しながら、朝にパンを頬張り、おやつの時間に和菓子をつまむことができる。もちろん、洋菓子であっても何の不都合もない。

日曜日のぼくの散歩道の日常的光景として、ふさわしいのはパン屋である。しかし、和菓子屋が目立つ街もあるだろうから、特にこだわらない。つまり、パン屋と和菓子屋のどちらを教科書の題材として人為淘汰するかという話ではない。日曜日の散歩道に両店を発見して匂いを嗅ぐ体験こそが現実的な道徳らしい考え方なのである。