体感についての雑感

こっちはさほど暑さを感じていないのに、挨拶かわりの「暑いですね」が耳に入ると体感温度が上がる。余計なことを言わないでほしい。温度計が示す数字とは異なる体感温度がことばやイメージによって上下する。

星を見る目から涼しくなってくる

センスのいいシュールリアリズムな句。小四男児の作品であることに驚く(『小学生の俳句歳時記』)。

窓際の温度計を見て大きくため息をつく。肌はどう反応するのか。窓を開けてみた。尋常ならぬ熱風が瞬時に入ってきた。急いで窓を閉める。家族連れがつらそうにアスファルトの舗道を歩いている。他人事ではない。まもなく出掛けなければならないのだ。

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灼熱の外気から逃れて地下街に潜れば一瞬ほっとするが、ほとんど通行人がいない。人気ひとけがないと通路は長く見える。まるで無限通路のよう。潜った手前、地上に出なければならない。不幸なことにエスカレーターもエレベーターもない。心理的な無限階段が立ちはだかるが、回避するすべはない。

変幻自在に形を変えて流れて行く雲。空の青も刻々と移ろう。空と雲が提供してくれる題材はおびただしい。しかし、夏場のメンタリティは鈍感である。一篇の詩を編むのが億劫。それどころが、ことばにする軽やかさが欠けている。小四男児の感性がうらやましい。

身体を少し反らせて空を見る。低い雲あり、高い雲あり。陽射し強く、熱を帯びた風が暑さを増幅する。リアルな視覚を封じ込めて、緑の涼を精一杯イメージしてみる。ふとことばが紡がれたような気がしたが、雲のように散り、風のように止んで消えた。忘れられたことば? いや、気づきも覚えもしていないことを忘れることはできない。