10月間近の趣

寒空さむぞらのもと、堀の水面みなもにただ影を落として沈黙する城の石垣。ぼくはと言えば、語りえぬものを饒舌に語ろうとしてまだ懲りない。

こんな文を綴ってから春夏が過ぎた。何があろうとも――温暖化だの猛暑だのと騒いでも――季節だけは着実に移ろう。月に一度、北大江公園の北側、旧高倉筋と呼ばれる細道の石畳の階段を上り下りする。この一ヵ月でずいぶん趣が変わった。空気が変わった。またぶり返すかもしれないが、ひとまず一つの分節をしたためた気がする。

階段の特徴はその二重構造にある。たいていの場合、上がったら下りねばならず、下りたら上がらねばならない。無限連鎖するように見えるエッシャーの絵にしても、上がったら下り、下りれば上がるという構造が基本になっている。まったく個人的な所見だが、エッシャーは春夏向きではない。どちらかと言えば、これからが鑑賞シーズンである。


表通りには人が忙しそうに歩き、街角は喧騒に包まれている。だが、ほんの少し歩を進めると静寂の裏通りに入り込める……そんな街を選んで暮らしてきた。この歳になって、さすがに自然溢れる場所に飛び込んで新しい居とすることはできない。不足気味の自然は写真と動画で補う。生の身体は都市で動かす。

自然に囲まれたり自然に向き合ったりすると、従うしかすべがない。感動するにはするのだが、次第に感情が一定してきて、たとえば風景を描写しようとしてもいつも同じ形容詞しか出てこない。その点、都会は表現の冒険をさせてくれる。あれこれといちゃもんをつけて反逆的個性を自覚できる。時には乾いた感想が、時には昂揚した表現が、また別の時には幻想や空想が、自由自在に湧き上がる。

朝、全方向をくまなく見渡すように空を仰いでみた。白雲の小さなかけらもなかった。つまり、晴れて澄みわたるような青天。10月間近。カフェテラスでのホットコーヒーが味わい深い季節になった。これからの一ヵ月が旬である。