当たり外れ――ご飯編

「ご飯」は丁寧語で、二つの意味がある。一つは「めし・食事」の意。別に和食とはかぎらない。「ご飯を食べてから帰る」と言っても、食べるのはステーキかもしれないしラーメンと餃子かもしれない。もう一つは「米の飯」そのものを意味する。

家庭料理にはうまいもまずいもある。長年食べ親しんできたから、たとえ少々まずくても、家庭の味ゆえに受け入れる。家では「まずうま・・・・」が成り立っている。コストはかかっているが、そのつどお代を払うわけではない。「ちょっと塩気が強い」とか「味が薄い」とか「煮えすぎた」とかの軽いコメントが出て、その場はそれでおしまい。

お代をもらって食事を出すのが食事処。それを生業としているのだから一応プロである。半世紀などという長いスパンで捉えなくても、この10年に限っても店で出される食事はおおむねレベルアップしてきた。合格と不合格の微妙なライン上のものもあるが、それとて値段相応である。注文する客も価格に応じた味でいいと割り切っている。


問題はプロの店で出される「米の飯」である。ランチにしては少々値の張る1,500円の酢豚定食。酢豚は合格だが、ご飯とおかずの相性が悪い。米の質と炊き方、ご飯のよそい方がお粗末なのである。ご飯へのこだわりがなく、ただ大盛サービス、お替わり自由で片づけてしまっている。一品料理はうまいのに、ご飯でがっかりさせられるこんな店は案外多い。

数年前、親しくしている老舗米問屋の若い社長から「食事処向けに米の性質、米の選び方やおいしいご飯の炊き方など、啓発スライドを作りたい」という相談があった。こっちは米の素人だが、スライド構成とコンテンツのアイデアを貸してほしいという要望である。何度か打ち合わせとメールでやりとりしながら完成させた。続編も作った。この編集の過程で実に多くのことを知った。米と水との微妙な関係、深くて複雑なご飯の食味の話、等々。米のソムリエでもある彼は言った、「正直言って、家庭の炊飯器でできてしまうことを料理のプロたちが怠っている」と。

かつ丼、オムライス、パエリア、和定食……うるさく言うと、それぞれに合う米があり、仕上がりとしてのご飯がある。何度も試行錯誤してこそ、この料理にはこのご飯と胸を張れるようになる。焼肉を堪能した後、最後の二、三切れをご飯で仕上げる。べたついたご飯が食事を台無しにしてしまう。どんなに焼肉がうまかったとしても、ご飯の〆がお粗末だと店の格付けは落とさざるをえない。

当たり外れ――コーヒー編

喫茶店でもカフェでもいい。コーヒーを飲みに入る。入れば少なくとも半時間、時には1時間ほど長居する。手持ちぶさたにならないよう、本とノートは必ず小さなバッグに入れてある。店の看板や店内の雰囲気・インテリア、応対する店員の立ち居振る舞いは客の気分に影響するが、コーヒーそのものの香りと味がやっぱり絶対条件。

初秋の、まだ暑さが残る午後、たまに入るカフェDCに久しぶりに入った。この店では決まってエスプレッソだが、喉が異様に乾いていたので初めてアイスコーヒーを注文した。エスプレッソのうまさには及ばなかった。これならホットのブレンドにしておけばよかったと少々後悔。

とは言え、感じのいいマスターだし、少し長居できる雰囲気もあり、文章を思いつくまま綴るには落ち着く場所だ。しかも、250円なら文句は言うまい。一応合格。


その翌週、老舗の昭和感たっぷりの喫茶B屋へ。数年ぶりになるので、この店の味はうろ覚えである。店の定番の420円のブレンドを注文する。香りも立たず、一口啜れば味が薄く、お粗末だった。以前はこんな味ではなかったはず……。懐かしさが漂う希少な喫茶店ではあるが、偶然通りがかったとしても、もう二度と入らない。

ここはマスターが一人でやっている店。注文したブレンドをカウンター越しに出し終えたら、端っこの空いているカウンター席に座ってスポーツ新聞を読み始めた。競馬欄に食いついている。


オフィスに近いカフェLの売りは自家焙煎のエスプレッソ。ある日は焙煎7日、別の日には焙煎15日とかの表示があり、同じ豆だが焙煎の違うエスプレッソを飲み比べできる。本場イタリアと互角の上等の味である。以前は週に二度通っていたこともある。いつぞやアイスエスプレッソを注文した。新顔のバリスタがぼくに尋ねる。「アメリカーノですか? 水で薄めますが、よろしいですか?」 こんなことを聞かれたことはない。質問を無視して「エスプレッソのアイス」と念を押した。

出てきた注文の一品は、エスプレッソ用の焙煎の香りはするものの、想像以上の薄味だった。メニューにアイスエスプレッソがなく、アイスの注文が入ると水で薄めるのがこの店の流儀なのに違いない。水増ししたらエスプレッソの強さと濃さは半減する。

アイスエスプレッソはあらかじめグラスに氷を一杯入れておき、そこに熱々のエスプレッソのダブルを注ぐのが正解。オフィスのマシンを使って作る時はそのように淹れる。そうしないと、ホットで飲むうまさがアイスで生きてこない。ぼくの淹れるアイスエスプレッソのほうが格段に上である。

コーヒーの当たり外れに喫茶店の当たり外れ。よくあることだが、ホットでもアイスでも同じ確率で外れに遭遇する。当たり外れは自己責任であるから、文句は言えないし言おうとも思わない。ただ二度と行かないという選択肢があるのみ。

〈まなざし〉へのまなざし

「見たけれど、さほど気に留めなかった」。よくあることだ。つまり、まなざしを注がなかったということ。この〈まなざし〉、ごくふつうに使われることばだが、哲学の思考用語になると、意味が一変する。

言うまでもなく、まなざしは見ることから始まる。しかし、肉眼で何かを見てぼんやりと視線を泳がせることではない。見ることを超越して、向けられた方向にある対象を認識したり理解したりしてこそのまなざしなのである。

まなざしを向けた対象を認識する。そして理解する。認識して理解した内容を(必要に応じて)言語に置き換える。置き換えは自分のものの見方に則って自分の〈参照の枠組み〉の中でおこなわれる。あくまでも主観的なのだが、見る以上に踏み込んで対象を把握しようとしているから、何となく見るのとは違う。


視覚から始まったまなざしが視覚以外の感覚へと広がり、やがて身体的な意味を持ち始める。全身がまなざしに参加する。まなざしは自分からの対象への五感的かつ身体的関与である。そのように関与しているのは自分だけではない。他者もそうしている。つまり、自分のまなざしもまた、他者のまなざしのもとに捉えられている。

中村雄二郎は『知の旅への誘い』の「方向――意味を生むもの」の中で次のように書いている。

〈方向〉が〈意味〉をあらわしていること、しかもその両者を〈感覚〉や〈知覚〉が結びつけている(……)。

まなざしを向ける方向に意味がある。意味を汲むのは感覚と知覚であり、さらには身体的な運動ゆえである。ある集団があって、仮に沈黙の集団だとしよう。ことばが交わされない状況であっても――いや、沈黙だからこそ――まなざしが「ものを言う」。無数のまなざしが集団内で放射し合っている。「まなざしがまなざしを向けられる」のが、社会の構造的特徴なのである。

立地という個人的な都合

自宅からオフィスまでは徒歩で10分ちょっと。自転車なら5分もかからない。気分に応じて歩いたり自転車に乗ったりしている。自宅の蔵書をほぼオフィスの図書室に移しているので、休日に本を読もうと思えばオフィスに行く。通勤時間往復3時間という知人からすれば至極便利なのだが、さらに近い場所に引っ越そうと考えている。

立地。単独でそのまま使われることはめったにない。たいてい「立地」とか「立地がいい・・」という具合に使われる。絶対的な立地条件などない。立地には個人的な都合が反映される。よく通う目的地に近い所に住んでいれば便利で、そこから遠い人には不便。遠近感も人それぞれ。立地の良し悪しに万人共通の条件はありえない。

四十代前後の働き盛り稼ぎ盛りの頃に「東京にもう一つオフィスを持てば」と助言されたことがある。「あなたの仕事は東京のほうが多いから」という理由。月のうち何日か東京にいれば何かと便利で仕事も増えるかもしれないが、その便利と活動機会を享受できる東京は大阪からは遠い。助言者であるその東京都民は東京の立地が大阪よりも優れているという前提に立っていた。


この話を奈良県民の知人に言ったら、「いや、新幹線や空港のないうちに比べればずっと便利」と大阪を羨んだ。奈良に住んでいたこともあるのでわかるが、羨むほどの差があるとは思えない。五十歩百歩である。

大阪の中心街で住み働いているが、自宅を出て伊丹空港から飛んで東京都心まで4時間かかる。新幹線を使ってもほとんど同じ。この4時間をどう見るかで立地の好悪が決まる。4時間というのは労働時間的には半日である。東京以外にも数時間以上かかる各地へ出張してきたが、ほぼ前泊だった。仕事とは言え、前泊しなければならない点で出張先は好立地ではない(自分にとって)。

大阪の玄関口の梅田まで自宅から3駅。所要時間わずか10分。「便利ですねぇ」と言われるが、映画を見る以外にあまり用はないので、そうは思わない。車に乗らないから、メトロの3路線の駅が徒歩5分以内にあるのは都合がいい。大規模書店が歩いて10分以内の場所に2店舗あるが、これは面倒くさい。10かかるのは5分に比べて立地が良くない。贅沢だと思われるかもしれないが、個人の都合だけが立地の決定要因なのである。したがって、話は大きく飛ぶが、「世界のどこが一番立地が良いか?」という問いにほとんど意味はない。


翻訳文化考

自由、恋愛、哲学、情報、概念などの二字熟語は、明治維新後に英独語から翻訳された和製漢語と言われている。つまり、江戸時代まではこうした術語は日本語にはなかったのである。

おそらく複数の候補から原語の意味やニュアンスにふさわしいことばを苦心して編み出したに違いない。しかし、いわゆるやまと言葉に置き換えるという選択をせずに、漢語で造語したのはなぜだったのか? たとえば、“concept”は概念ではなく、「おもひ」でもよかったはずである。

その昔、枡に米や小豆などを入れ、枡から盛り上がった部分を棒でならして平らにして量っていた。あの棒は「斗掻とかき」と呼ばれていた。その斗掻きが中国語では「概」。概は「おおむね」とも読む。斗掻きで均して量っても粒の数が正確であるはずがない。その概を使って概念を造語した。「おおよその想い」という見立てであったが、概念という翻訳語は原語のconceptよりも硬くて難しく響く。


加藤周一は『日本文学史序説 』で次のように語っている。

日本人が日本の歴史や社会を考えるのに、参照の集団として西洋社会を用いる習慣を生んだ。(……)西洋文化に対する強い好奇心と共におこったのは、従来の日本における西洋理解の浅さに対する反省である。反省の内容は、翻訳された概念と原語の概念とのくい違い、輸入された思想的体系と人間とのつながりの弱さ、思想を生みだした西洋社会そのものについての経験の貧しさなどを含んでいた。

おびただしい西洋語が、西洋を手本とした明治時代以降の改革手段として編み出された。翻訳はその必然の手始めの方法であった。西洋語の概念がイコールの存在として和製漢語に置き換えられた。そして、フィロソフィーと哲学が、インダストリーと産業が同じであると信じ切ったのである。

わが国は今も翻訳大国である。しかも、個々に対応する彼我の単語がまったく同じであると錯覚して今日に到っているきらいがある。この単語ベースでの照合を基本としてきたことと外国語習得の苦手意識は決して無関係ではないと思われる。

ソシュール学者の丸山圭三郎の著書にわかりやすい話が載っていた。フランス語の“arbre”(アーブ)は日本語の「木」よりも意味が限定的で、「生えている樹木」のこと。しかし、“bois”(ブ)になると、日本語の「森」以上に意味が広く、林や木材や薪をも包括する。単語が状況や文脈によって意味を変えるのである。

このことから、まずモノが絶対的に存在した後にことばが目録のように一対一で当てはめられたのではないことがわかる。むしろ、ことばが意味を持ったがゆえに、モノがその意味を帯びて変化したと考えるべきだろう。言語間で示されるモノや概念には必ずこのような誤差が生じている。翻訳語の解釈や理解で心に留めておくべき点である。

落葉と木漏れ日びより

河畔に公園に街路に秋が巡ってきた。春夏秋冬にはそれぞれ均等に三ヵ月が割り当てられていると思っていた頃があった。幼かった。自然界の季節が暦に忠実にしたがうはずがない。

近年、秋が短くなったと実感する。二十四節気のうち、かつて秋が受け持っていた立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降などの分節の違いは言うまでもなく、もっと大雑把に初秋や中秋や晩秋と言ってみても、移り変わりの機微には触れがたく、風景の色相の変化も慌ただしい。秋は遅れ気味にやって来て足早に立ち去るようになった。

上田敏訳詩集『海潮音』にヴェルレーヌの詩、「落葉」がある。

秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。

鐘の音に
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。

声に出して読めば哀愁の趣にしんみりとさせられる。秋のどこに感じ入るか。気に入った情景を好きなように切り取って眺め、文字の音にすればいい。庭が自然の切り取りであるように、散策する人は散策路の光景を好きなように切り取って感覚の庭に移植すればいい。この詩では詩人は落葉の秋に感応した。


けちのつけようのない青天、落葉に一瞥だけくれて樹々を見上げる。木漏れ日の漏れ具合がちょうどいい。自分の影、枝葉を早々と落葉にしてしまった樹々の影を楽しむ。『日曜日の随想』という、これまた木漏れ日びよりにぴったりの本を繰ってみる。偶然にしては出来すぎの、仕組まれたようなシチュエーションが生まれる。

空気も光もよどむことなく流れている。せわしなくしていると流れは見えない。流れが見える貴重な刻一刻。自分が安らぎの時間と場所に身を置いているからこそ、移ろいの妙が感じられる。

先の詩の後に上田敏が注釈を記している。

仏蘭西フランスの詩は、ユウゴオに絵画の色を帯び、ルコント・ドゥ・リイルに彫塑の形をそなへ、ヴェルレエヌに至りて音楽の声を伝へ、而して又更に陰影の匂なつかしきを捉へむとす。

秋は色であり、形であり、声だと言う。絵画、彫刻、音楽。なるほど、芸術の秋である。

よく考えよと言うけれど……

良い出来だと評価するには少し足りない。そこで「もうちょっと考えよう」とか「よく考えよう」などと励ます。そう言いながら、その「考える」ということへの思慮はかなり曖昧で、考えるとは一体どういうことなのかという点についてはまったく踏み込めていない。励まされた相手も条件反射的に「はい」とは応えるが、考えることの行き詰まりを打開できるとはかぎらない。

『考えるヒント2』に「考えるという事」という一文があり、その中で小林秀雄は次のように書いている。

「考えるとは、物に対する単に知的な働きではなく、物と親身に交わる事だ。物を外から知るのではなく、物を身に感じて生きる、そういう経験をいう。」

深いことばなのだが、実務や研修で企画に取り組んでいる若者に、この一節をそのまま伝えても目からウロコのヒントになるとは思えない。


「何を考えるか」の「何」を対象と呼ぶなら、対象は第一に「モノ」である。企画の対象としてはイベントであったり商品であったりする。ここでは何がしかの経験がベースになる。人生や世界などの形而上学的な対象になると、経験のみならず、経験を超越して考えなければならない。見えるモノと見えにくいモノがある。前者では現実を見、後者ではイメージを浮かべる。

モノを対象としていると、必然ことばも対象になる。経験を生かしながらモノと親身に交わっているうちに、ことばとも交わり、ことばを肉化して意味を探り自分の分身としてことばを駆使する。やがて、モノと自分、ことばと自分の距離がなくなっていく。これが考えるということなのだが、本人はそのことに気づかない。

考える対象はモノとことばである。しかも、距離を埋めて親身に付き合わねばならない。モノとことばの意味、関係、つながりなどを、知識として認識するのではなく、経験的行為として巡らせる。そうしているうちに対象と自分が一体になり、新しい意味、新しい関係、新しいつながりにハッと気づく。これがよく考えるということなのだが、場数を踏む以外の即効的方法が他にあるのだろうか。

概念のコラージュ 2/2

『概念のコラージュ』と題して18のキーワードを選んだ。主観的なラインアップであることは言うまでもない。昨日に続いて残りの9つの術語を考察してみる。


【珈琲】
自分の生活シーンから消えても気づかず、また困るわけでもないものがある一方で、消えてしまうことが想像できないものがある。たとえば珈琲がそれ。珈琲が消えてしまうと、生き方や考え方を大幅に変えなければならなくなる。

【仕事】
公的な仕事などと言うが、仕事は個々の役割・分担においてはつねに「私事しごと」である。仕事は、欲しい時には出てこず、もう十分だと思う時に入ってくる。波がある。しかし、仕事が安定するとマンネリズムを覚える。身勝手な話だが、ゆえに私事。

【世界】
部屋に閉じこもっても、外国を旅しても、書物で知識を得ても、世界は見えそうで見えず、ありそうでなさそうな、きわめて個人的な都合によって切り取られる概念である。世界は必ずしも大きいとは限らず、きわめて小さな世界も構築できる。

【知性】
知性的であろうとなかろうと、人間の差はさほど大きくないと思われる。知性は案外目立たない。しかし、「反知性」という流れに向き合う時、さほど目立たなかった知性の差がはっきりと現れてくる。

【遊び】
人類は慰みの遊び、戯れの遊びを十分にやり尽くしてきて、なおも満足していない。しかし、生き方をスムーズかつ緩やかにする余裕のある遊びの境地に到る人は少ない。
機械なら人間にできない〈遊び〉を難なくやってのける。

【響き】
「打てば響く」という反応的行動は欠くべからざるコモンセンスである。響かないのは責任を――とりわけコミュニケーション上の責任を――果たしていないということになる。声にも出さず動作も伴わない響きなどあるはずがない。

【言語】
幸か不幸か、人間だけが唯一言語的な動物である。言語を通さずには何も認識できない。それを捨てて悟るのか、いや、だからこそ言語的に生きるのかを、人それぞれにはっきりと決めるべきなのだ。それが人生観の根幹になる。

【暮らし】
どんなにだらだらと仕事をしていても、どんなに活き活きとハレの時間を楽しんでいても、きわめて日常的な暮らしから逃れることはできない。仕事に飽きても、暮らしに飽きることはできない。暮らしは陳腐化しない。

【笑い】
元気になったり励まされたりする笑いがあるが、さほどおもしろくもない話に愛想笑いをすることはない。笑いのハードルは泣きのハードルよりも高い。ここぞと言う時の笑いのために、常日頃から大声で高笑いするのは控えるのがいい。

概念のコラージュ 1/2


絵が描かれた板に願い事を書くのが絵馬。首尾よく願いが叶ったら感謝の気持ちを込めてその絵馬を奉納する。

願いとはある種のテーマであり主題である。概念であり紋章的な標語であり、欲張りな関心の方向性を示す。アンテナを立てておけば、テーマについてあれこれと思いが巡り、それが刺激になって雑文の一つも書くようになる。


【考える】
物事を知るだけでは役に立たない。誰もがクイズ大会に出場するわけではないのだから。知識を身につけてわかることと考えてわかることの間には埋めようのない隔たりがある。

【観察】
観察は客観的か? いや、偏見のない観察などありえない。観察は観察者の主観でまみれている。なぜなら、観察は固有の体験だからである。主観だからと言って、困ることはない。むしろ、客観だと見なすから問題が生じる。

【風景】
目の前に広がる光景や景色は、しばらく眺めているうちに風景と化す。風景は人間の想像の産物である。自然は人の存在と無関係に存在するが、風景は人の認識によってはじめて姿を現わす。

【にっぽん
日本史なら「にほん」。日本郵便は「にっぽん」であり、郵便切手にはすべて“NIPPON”と印刷されている。「頑張れ、にほん!」では頼りない。「にっぽん」でなければ励ましにならず、元気も出ない。

【都市】
都市は現実であり幻想である。人は都市に生きながら、都市が内包する幻想に振り回される。万華鏡のように都市をくるくると回せば変化する。構築とカオス、希望と絶望、活気と倦怠……形と色が変わる。

【物語】
人の生き方、諸々の事柄を語ることによって様々な物語が生まれた。虚構も脚色もいらない。ただ人について、人を取り巻くものについて、手を加えずに語るだけで物語になってくれる。

【食卓】
食卓はもはやテーブルを意味しない。テーブルならテーブルと言えば済む。食卓は食事や食文化のことにほかならない。食卓を囲むとは誰かと一緒にありがたく食事をいただくことだ。ただテーブルに着くだけではない。

【本棚】
読んだ本を並べても、読まない本を蔵書として保管しても、本棚は本棚。一列一段でも五列五段でも本棚は本棚。背表紙をこちらに向けて本棚に並べたくなる本がある。本は本棚にあって本らしくなる。

【生きる】
どこまで行っても生きるとは現実であり現在進行形である。この絶対的な現実と〈いま・ここ〉を認識しているかぎり、「生きる」以外の他の概念がそれぞれ固有の意味を醸し始める。

無力を受け入れる時

慢性の腰痛にもめげず、年齢相応以上に重い荷物を持ち運びできる。フィットネス用のスーパーハードの筋トレゴムを何十回も強く左右に引っ張ることができる。まだまだ力がある、もっと力をつけることができると実感している。

なのに、ポテトチップスの袋の裏側の綴じ目を両手の親指と人差し指でつまんで引っ張ってもなかなか袋が開いてくれないのはなぜ? 腕力には自信があって少々の無理もきくのに、手先の非力を痛感する場面によく遭遇する。瓶の金属の蓋をしっかり締めることができたのに、なぜ開ける段になるとスムーズに事を運べないのか?

ほどなく袋は開き、蓋も取り外せる。しかし、ほんの数秒か十数秒の間、尋常でないほどイライラしている。取り掛かっていることが些事であればあるほど苛立ちはつのるが、自分の無力を認めようとしない。情けないのだが、何とかしようとする。対象が些事だから、諦めるわけにはいかないのである。


諦めていれば苛立つこともない。医師に身を任せ、指示されるままに胃カメラを呑み、空気といっしょに逆流してくる胃液や唾液をだらだら垂らしながら、屈辱的に耐える。脱力しようとして力が入る。闘うことなく、十数分をやり過ごす。根性や気力ではどうにもならない。無力感すらなく耐えようとする。苛立ちもないのは、すでになるようにしかならないと諦めているからである。

胃カメラよりもさらに大事だいじになると、すでに己の無力を受け入れている。諦観という、あの心持ちだ。当事者でない自分が社会の不条理や自然の非情な猛威を傍観する時、もはや苛立ってはいない。仮に当事者でもなく傍観者でなくても、自分は大事の中に投げ出され、同時代の人間としてそこにいる無力な存在であることを自覚する。決して闘わないし、闘えないのである。