独学を見直す

名称や形態は変遷したが、30代後半から本業以外に私塾を主宰してきた。地元大阪の縁がある、緒方洪庵が創始した適塾てきじゅくの〈輪講りんこう〉という会読と討論の方法にはとりわけ触発された。ちなみに、輪講は段階別の8クラスに分かれていて、各クラスで3か月連続首席を取らないと上のクラスに上がれない仕組みになっていた。福沢諭吉は首席を取り続け、最短の2年で最上級まで駆け上がった。さすがと言うしかない。

『福翁自伝』をはじめ『適塾の研究』(百瀬明治著)や『日本の私塾』(奈良本辰也著)などを読み、かつての私塾の姿を垣間見るに及んで、現代人は学ぶということについて幕末や明治期に比べてかなり甘いと感じるようになった。わかっていることを確認したり、わかることだけを都合よく学ぶだけの人たちがどれだけ多いことか。翻って、適塾の勉強量は圧倒的だった。それでいて、難しいことをおもしろいとする塾風のお蔭で「苦の中にこそ楽あり」という精神が漲っていた。

適塾は蘭学塾だったから、学びの狙いははっきりしていた。しかし、蘭学を蘭学で終わらせず、世事一般に生かす知力も同時に備えることができた。本物の競争をおこなうという環境の中で、総合力が身についた。

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本を読んだり人の話を聴いたりするだけの学びでは閾値を超えることはできない。何を読むか何を学ぶかよりも、何を考えるかが初めになければ話にならないのである。結局、知識は思考域に落とし込んでおかないと自分のものにならないし、行動にもつながらない。

そもそも学ぶことは難しいものだ。独学ならなおさらだ。だから、「難しい」などと嘆いてはいけない。「難しい」は禁句である。容易にわかるのは、すでにある程度わかっているからだ。Xを学んでわかるのは、そのXについての知識を持ち合わせており、新しい学びと既知を照合できるからだ。

その〈照らし合わせ〉ができない時に、わからない、難しいと感じる。そこでストップすると進化はない。昔の人が、意味もわからずに漢詩を素読したり丸暗記したりしたように、わからなくても齧っておけば、かけらの一つでも取り込める。それが次なる未知と出合う時に、照合可能なヒントになってくれる。

人の〈知圏〉というのはこんなふうに広がっていく。語彙ゼロで生まれた赤ん坊が知らぬことばを徐々に習得するのと同じ構造である。誰もが通過してきた経路なのに、大人になると能率的ではないことに苛立つ。

本物の勉強は――赤ん坊がそうであったように――「無私的」なのだと思う。自ら学び考えることをろくにせずに、勉強の彼方に立身や利益を求めるかぎり、学びは安易なハウツーに偏重するばかり。決して人間性や社会性を帯びることはない。独学を習慣化し切磋琢磨して競い合うような厳しさが決定的に不足している時代を嘆く。