街の風情も芸術も日常生活もコーヒー無くしては画竜点睛を欠く。望むスローライフはなかなか実現できないが、やりくりしてコーヒーを嗜む時間を見つけると、生活も仕事も少しはゆったりモードになる。
自宅での朝の一杯とオフィスに着いてから淹れる一杯が欠かせなくなった。オフィスには常時5、6種類の豆を揃えている。自宅でコロンビアスプレモを飲んだら、オフィスではキリマンジャロやマンダリンという具合に、気まぐれに種類を変える。たまにブレンドにして飲む。試行錯誤して組み合わせるが、あいにくその組み合わせを脳も舌も覚えてくれない。だから、いつも行き当たりばったり。
人を法によって善人にはできない。不正な法が力を持たないのは二〇世紀も当時も同じである。理性を奪われれば人は獣のように野蛮になり、人間性を失う。だが、コーヒーは理性を失わせる飲み物ではなく、むしろ理性を研ぎ澄ます。「コーヒーは人間社会のために生まれ、人々のつながりをより強固にする。心が霞や霧で曇らなければ、発する言葉は真摯になり、それゆえ、たやすく忘れがたいものとなる」。ガランのコーヒーに関するこの表現は的確である。
(ウィリアム・H・ユーカーズ著『“ALL ABOUT COFFEE” コーヒーのすべて』)
上記文中の「当時」とは17世紀のこと。コーヒーはよく飲まれるようになってからも、迫害と禁令の歴史を辿り、それゆえに密売と密飲が繰り返された。宗教権力からの弾圧もひどかった。コーヒー・ルンバの歌詞では「♪ 昔アラブの偉いお坊さんが」強くモカマタリをすすめているにもかかわらず。
魔性の飲料という、一部偏見者による見方は後を絶たなかった。あの歌詞にあるように、コーヒーは「♪ しびれるような香りいっぱいのこはく色した飲み物」であり、「♪ やがて心うきうき とっても不思議このムード」にさせるのだから、たしかに要注意感が強い。情熱のアロマを漂わせる素敵な飲み物であるからこそ、危うさを秘めたのも無理はない。
上記の本によると、17、18世紀のトルコでは妻にコーヒーを与えることが義務づけられていたそうである。「うちの亭主は私にコーヒーを飲ませてくれない」という妻のクレームは、合法的な離婚の理由になった。夫は結婚の際に、「妻には決してコーヒーのない生活を送らせません」との誓いを立てなければならなかった。それは、貞節を誓うよりも重要だったらしい。
20世紀になってもコーヒーを好ましく思わない人たちがいた。身近なところでは、「コーヒーは胃壁を害する鑢だ」という高校教師がいた。コーヒーは毒性が強いと信じていたサラリーマン時代の同僚は、喫茶店には付き合ってくれたが、注文するのは決まってホットミルクだった。コーヒーを注文しない連中とカフェに入っても波長が合わないから、会話が弾まない。
コーヒーへの偏見にもコーヒー嫌いにも寛容であろうと思う。ぼくはと言えば、しびれもせず、心うきうきにもならず、また不思議なムードに包まれもせず、気分を理性的に宥めてくれる琥珀色の飲み物として味わうばかりだ。