編まれたものを読む

文学の類はだいたい文庫で読んできた。小学生の頃から三十半ばまではよく読んだ。それ以降は文学、とりわけ小説はあまり読んでいない。文学全集を買った時期もあったし、一部残っているが、数百ページにわたって二段で組まれた長編小説を読む持久力は今はない。

先日、書店でリーフレットを手にした。2020年岩波文庫フェアの『名著・名作再発見! 小さな一冊を楽しもう』がそれ。紹介されているのは60冊。数えてみたら、完読したのは約20冊、他になまくら読みが数冊。いわゆる推薦図書の類は威張れるほど読んでいないことがわかった。

仕事の合間に読むには編集ものがいい。エッセイや評論なら小論集、小説なら短編集、思想書ならこまめに章分けされているものに限る。この種の本の最後には「本書は……寄稿文を厳選し……テーマ別に再編集して刊行した」というような一文が添えられている。そう書かれている通り、目次を見れば、よく分類して編まれており、一編に割かれているのはたかだか10ページである。


今年の1月に『小林秀雄全作品』の寄贈を受けた。全28巻と別巻4冊。他に単行本や小林秀雄について書かれた本があり、しめて60冊くらいある。

それにもかかわらず、先週、『批評家失格』という文庫本を買った。小林秀雄の22歳から30歳までの初期評論集。ここに収録されたすべての評論やエッセイは全集で読めるが、どこかの一巻にまとめられているわけではない。著者亡き後に編集されたこの文庫本は「方々ほうぼうから」小さな作品を集めて編んである。まとめ読みするには便利な一冊だ。念のために書くが、小林秀雄の作品集だが、小林秀雄が編んだのではない。編んだのは池田雅延という、小林秀雄を担当していた元新潮社の編集者である。

編者は小林秀雄の批評の基本が「ほめること」にあったという。ほめれば、自分を知って自分の生き方が模索できるという。「ところが、ほめるのではなくけなすときは、手垢に塗れたカードを切って相手を脅すか見栄を張るか、いずれにしても昨日までと変らぬ自分が力むだけである」(解説より)。小林秀雄はドストエフスキーをほめ、モーツァルトをほめ、ゴッホをほめ、本居宣長をほめた、そして自分自身と出会い続けたというのである。

ともあれ、全集などそう易々と読めないし、仮に読むとしても、編まれた一冊の文庫本のようには読めない。この種の「ガイドブック」がないと、全集とは格闘するような付き合いしかできないのだろう。