迷ったらー麺

食事中、人はナルシストになる。自分を愛せなければ食べることなどできないのだ。「いただきます」から「ごちそうさま」までの間、ナルシズムのゾーンに入る。

食事のメニューによってナルシズム指数が変わる。久しぶりの焼肉に対してはテンションもナルシズム指数も上がるだろう。麺類などもナルシズムを刺激する。ぼく自身、「今日はあの店のラーメンを食べるぞ!」と朝から決めるようなマニアではないが、休日の外出時、ランチに迷うと麺を選ぶ傾向がある。先週などは、平日も含めて、迷った挙句のラーメンが3回になった。こうして食べるラーメンを「迷ったらー麺」と呼ぶ。


大阪でいつも上位にランクされている老舗のつけ麺。出汁につける前に、すだちを搾って麺に適量垂らし、岩塩をふりかけて味見する。ずっとその食べ方でもいいと思うことがある。つけ麺なのに「別につけなくてもいい麺」である。

蘭州牛肉麺である。辛そうに見えるがさほど辛くない。脂身のない赤身の牛肉叉焼。大根が入っている。打ち立ての手打ち麺がうまい。しかも、選べる。麺の断面が丸いのが丸麺、平たいのが平麺、そして三角のが三角麺。丸、平と賞味したので、次回は三角。

山形ラーメンの店だったが、注文したこの一品が山形という名だったか米沢という名だったか失念した。伸び感のある食べやすい麺だった。白ネギがふんだんに入っているのがいい。二振りほどかけた胡椒との相性がとてもよかった。


麺を大盛りにすると、箸で持ち上げども口に運べどもなかなか減らない。ゆっくりとよく味わえば、スープの中から麺がどんどん湧き出てくるかのよう。尽きそうにない麺を食べているうちにナルシストに変身していくのが実感できる。

麺とスープの繰り返しは、2種類のメロディが同じリズムで繰り返されて、まるでボレロのよう。ラヴェルの『ボレロ』は約15分。ぼくがラーメンを食べる時間とほぼ同じ。別に難しいからくりではない。人生の本質をボレロ的だと思うことがある。ラーメンを食べる時間以上に長く長く繰り返されるのが人生ボレロの特徴だ

インバウンド―狂騒後の競争?

大阪ミナミの台所だいどことして庶民と繁華街の飲食店に食材を供給してきた黒門市場。年末になると正月準備の客で溢れる。テレビ中継も恒例。しかし、戦前から続く食文化の担い手は凋落傾向を示し始めた。十数年前のことである。商人が玄人客や通を相手にするような伝統的商売の雰囲気が残り、現代の客層には合わなくなっていたのかもしれない。

ところが、凋落に歯止めをかける幸運に恵まれる。観光ブームである。大阪のインバウンドは2011年頃から増え始めていた。何とかせねばと、外国人観光客に目をつけた黒門が仕掛けた。店頭売りの食材をその場で客の好みに応じて調理し、イートインできる仕組みを売り出したところ、外国人――主にアジア系、特に中国人の――観光客が大挙押し寄せるようになったのである。

あっという間に観光客が日常の買物客を上回り、ここ23年で、外国人観光客と日本人の比率は91になった。何度か「視察」に行ったが、人混みで思うように歩けなかった。これまでは店頭で品定めして魚介類を買ったりしていたが、店員が相手にするのは観光客ばかり。魚屋が彼らに大トロの寿司やカニを売り、店内に誘導して食べさせる。魚貝もそうだが、神戸牛の串焼きステーキなど、日本人が手を出しづらい値段のご馳走が飛ぶように売れた。「ぼったくり」と言ってもいい価格設定だった。


2019年の黒門への観光客は毎日3万人ペースだったらしい。全国的、いや、世界的にもインバウンドでもっとも成功した事例の一つだったのは間違いない。この勢いが新型コロナで急転直下、今年の2月、観光客が消えた。7月に現場検証に行った。全長600メートル弱のアーケードを歩くのはわずかに十数名。こっちの端から一番向こうの端が筒抜けに見えた。観光客がいなくなってもかつての常連客は戻って来ない。常連客を捨てて観光客のほうを選んだツケは大きい。

先週の日曜日、数か月ぶりに再び足を運んでみた。半分以上の店でシャッターが下りている。何年か前までおせち料理とまぐろの刺身を買っていた店がひっそりと営業していた。観光客がたむろしていた人気店だ。大間のまぐろのカマが300円、寿司が一貫200円。激安である。しかし、客がいない。観光客を避けていた日本人は、今はコロナを避けてやって来ない。帰宅して日本酒のつまみにカマをつつき、にぎりに舌鼓を打ちながら考えた。

商売は時代とともに変化する。自力では生み出せそうにない変化――別の言い方をすれば、乗っかってみるほうが楽そうな外的変化――に適応することも正しい選択になることがある。しかし、インバウンド頼みの黒門市場は、商売の原点とすべき精神性をもかなぐり捨てた。次の手となる作戦を練っているとの話を聞いたが、元に戻るのは容易ではないだろう。元に戻れないのなら新たな変化を生み出すしかないが、数年間ずっと無思考に近かったはずだろうから、これもまた難しい。

市場には歴史に育まれてきたルールが必ずある。「見えざる手」などは抽象概念で、そんなものは誰の目にも見えなかった。しかし、なぜあの時、なりふり構わずインバウンド相手の商売に走ったのか。そんなことはこれまで微塵も考えたことがなかったはずのに……。目先の実利を追いかけさせようと、やっぱり見えざる手が動いていたのだろうか。

最近耳にしたこと、思ったこと

苦労や災難を喋り慣れた芸のようにワンパターンで嘆く。時には理路整然とぼやく。嘆きやぼやきが自慢話ように聞こえる。こういうのを「不幸自慢」と言うが、新型コロナ以降、そんな飲食店のオーナーや店長が次から次へとテレビに写る。インタビューに対してマスコミもそういう反応を欲しがっているのだろう。

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物事のありようでものがわかるのではなく、物事の言いようでものがわかる(ような気がする)。たとえば、SARS-CoV-2の姿かたちはわからないが、新型コロナウイルスと言われると何となくわかったような気になる。

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「好きでなければ、また、世のためと考えなければ、小さな本屋などやってられませんよ。だから応援しているんです。」 ぼくもそう思う。このことは、本が他の文化に対して劣勢にならないようにと微力を注ぐことにつながる。

しかし、一昨日は、探している本が小さな書店Aになく、わざわざ赴いた別の小さな書店Bにもなく、やむなく帰り道の紀伊國屋書店で手に入れたという次第。こんなふうに、何回かに一回は在庫がありそうという理由で大型書店に足を運ばざるをえない。

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「先生にお願いしておいたのですが、今朝の検査は麻酔の段取りになっていますよね?」 看護師さんにこう確認する、一目後期高齢者とわかる男性。胃カメラの検査だ。「ちょっと聞いていないのですけど……」という返事に、まるでバーゲンでお目当てのものが売り切れた時のような落胆ぶりを見せた。

「麻酔は眠っているあいだに終わりますからね」「そうそう、鼻からカメラを入れるほうが楽ですよ」……そんな話を聞いたことがあるが、ぼくの場合、検査にあたってはこれまで一切注文をつけず、主治医の言われるままだ。麻酔の経験はない。鼻? イメージとしては経口のほうがノーマルに思える。

趣味は胃カメラと言いそうな高齢者がいるが、趣味は風景写真でお願いしたい。ぼくは、胃カメラの他に、CTのモデルも依頼される。昨今経営が大変な病院であるから、祝儀のつもりで主治医の依頼を快く引き受けることにしている。

ある紙媒体の終わり

講談社の読書人の雑誌『本』が長い歴史にピリオドを打った。裏表紙に定価110円とあるが、大型書店に行けばパンフレットのコーナーに平積みしてあって、無料で持ち帰ることができた。

毎号十数編のエッセイや連載コラムや書評が収められ、書店帰りに喫茶店でよく読んだ。PR誌だから講談社の新刊を紹介している。本の宣伝は過剰で嫌味になることはめったになく、この種の小冊子は情報源として重宝している。12月号をいつものように、ろくに表紙も見ずにめくった。歌人の斉藤斎藤さいとうさいとうの現代短歌が三首。その一首目。

本はもう終わります、ってさわやかに何をいまさら小林さんは

歌の中の「本」を、いわゆる世間一般の本だと思い、電子書籍に対する紙の本の敗北宣言と読んだ。ちなみに、小林さんとは講談社の人と書いてある。

ああこっちの「本」ですか。本の終わりを少しわたしのせいだと思う

この二首目で察した。表紙のマストヘッドを確認したら「最終号」とあった。


よく手に取る本のPR誌には、他に岩波の『図書』や新潮社の『波』がある。いずれにも興味深いテーマのよい文章があって、別途有料で買った本のほうが見劣りすることがある。ともあれ、このような一つの紙媒体の休刊がすべての紙の本の終焉を予感させるわけではない。しかし、少なくともPRという手法に関するかぎり、多様に展開できるネットメディアの機動力に敵わなくなったと言わざるをえない。「書物保守派」のぼくとしては残念であり切ない。

同誌の最後のページには編集者がこう書いている。

読書人の雑誌『本』は、本号(202012月号)をもって休刊します。
(・・・)
『本』という枠組みはなくなりますが、出版社として今後も新たな手段とその可能性を探りながら、本の魅力、本を読む楽しみをお伝えしてまいります。
45年の長きにわたるご愛読、ありがとうございました。

発刊当初から、断続的ではあるが、たいへんお世話になった。歌人は次のように三首目を歌っている。

晩年の尾崎紀世彦めずらしく譜面通りに「また逢う日まで」

出版業界の常として、「休刊」というのは「再開の可能性のある休み」ではなく、発行の停止を意味する。したがって、『本』とまた逢う日はない。

コーヒータイムの少考

「論考」というと、いかにも難しいことを考えていそうな雰囲気がある。この論考のような「~考」という二字熟語はいろいろあるが、じっくりと時間をかけて考えるさまを表すのは「熟考」と「長考」くらいのものである。これらに対して、気楽な感じがするのが「一考」であり「雑考」である。

一考の類語に「少考」がある。見出し語として収録していない辞書があり、聞いたり見たりする機会もあまりない。『新明解国語辞典』は載せていて、「ちょっと考えること」と書いてある。そのまんまだ。将棋や囲碁ではよく使う。仕事では長考しがちだが、仕事の合間や不要不急で出掛ける時には喫茶店での1分単位の少考タイムがいい


今年の秋は暖かかったので、11月でもカフェテラスに座れた。人がそこそこ入っていてもおかしくないカフェなのに、時間帯によっては誰もいないことがあった。自分以外に誰もいないとは、つまり「独り」。独りでいいのだ、独りもいいのだ、独りがいいのだ……。

「気がついたら自分は一人・・だった」というのと「気がついたら自分は独り・・だった」というのは違う。「一人・・になりたい」と「独り・・になりたい」も違う。「独り」には「一人」にないものがあり、「一」という数字以上の何かがある。

ランチタイムに喫茶店に入ると、トンカツ定食や鉄板ナポリタンの匂いにコーヒーの香りが負ける。コーヒーの存在をほとんどゼロにしてしまう最終兵器がランチメニューの中にある。ソース焼きそば定食がそれだ。自分がソース焼きそば定食側に立つこともあるので、寛容でありたいと思う。そして、なるべく昼前後にコーヒー目当てに喫茶店に入らないようにしている。

ところで、「へぇ、大阪の人はソース焼きそばとライスを食べるんだ」と驚く人少なからず。罪悪感があるのかどうか知らないが、大阪人も「炭水化物定食」などと自嘲気味に言う。炭水化物は上位概念。そんなものを知ってしまったから気になるのだろうが、目の前の麺と米を分相応に、腹相応にいただけばいいではないか。人は食に生きるのであって、栄養学的に生きてはいないのである。

カフェに立ち寄る時はたいてい本とノートを携行している。ノートにはいろいろ書いてきた。難しいことを小難しく書こうとした時があった。難しいことを、敢えてわかりやすく書こうとせずに、素直にそのまま書いたのは、「わかりやすさは人によって違うから」というのが理由。

雑多なテーマについて今も雑考して雑文を書いているけれど、自分なりに何らかの指向性はある(つもり)。これまでの短文形式の文章を集合してみると、その指向性が繰り返されてしたためやすくなる。音楽なら、過去曲を新しくカバーして振り返るような感じ。次から次へと目先を変えるだけが能ではない。かつて一考したことを反復的に少考する。自分の考えを口ずさむように“Reprise”ルプリーズしてみる、コーヒーを飲みながら、1分単位で

テレワーク考

今から35年か40年程前に、通勤せずに自宅で仕事をするという発想が生まれた。コンパクトなパーソナルコンピュータが普及し始めた時期と重なった。わが国で現在「テレワーク(teleworking」と呼ぶ仕事形態のコンセプトはアメリカで最初に生まれたが、当時は「テレコミュート(telecommuting)」と呼ばれることが多かったように記憶している。

テレワークでは「仕事」に焦点を当てられ、テレコミュートでは「通勤」を重視する。つまり、会社から離れた場所で仕事をするのが前者、通勤しないで自宅で仕事をするのが後者である。「(tele)」には「離れた」とか「遠くの」という意味があり、テレビもテレフォンもそういう機能を持つ。「リモート」も同じような意味だ。

当時のテレコミュートはほぼ在宅での仕事を指していたが、昨今のテレワークの場所は必ずしも自宅とは限らない。出張先のホテルの部屋で仕事をすれば、それもテレワーク。家の近所のカフェで仕事をしてもテレワーク。どこにいても仕事ができる人、わざわざ出社しなくてもいい人がおこなうのがテレワーク。

さて、テレワークいいのか、テレワークいいのか、テレワークいいのか、テレワークいいのか……。人それぞれの思いがあるはず。


長い歴史の中で、人は孤立しては何事もできず、人と人は共に働き生活し、直接出合っていろんなことをこなしてきた。このことを持ち出してテレワークに異議を唱えると、速攻で「感覚が古い」と言い放たれる。しかし、テレワークだけで仕事の任務をすべてこなせるのは、10人に一人もいないというデータがある。テレワークではいかんともしがたい仕事・職種が世の中の大半を動かしているのだ。

都会はコロナで危険だ、ローカルのプチ別荘でリモートすればいい……トレンドに敏感な連中はこのように考える。考えるだけでなく、すぐに行動する。少なからぬ人たちがそうしようとするから、地方の空き家や古い別荘が値上がりし始めたらしい。慌て者が束の間のバブリーな流れを作ってしまう。

緊急に対応すべきはリスクであって、ライフスタイルやワークスタイルではない。歴史上に生活や仕事の大転換期は何度もあったが、変革は可逆的であり、反省や改良を通じてある程度元に戻る。二、三カ月自宅で仕事をした人も、やがては会社に呼び出されて以前と同じワークスタイルを再開する。

テレワークに期待しない立場は保守的かもしれない。しかし、ファックスやメールが普及しても顧客先への訪問機会は減らなかった。メールで送ればいい文章なのに、打ち合わせをしたいと呼ばれてスタッフは先月上京した。会うことには儀式性があり信頼と安心がある。どんな仕事であれ、人と人はある程度会わねばならないのだ。人と人が居合わせてわざわざ執り行う仕事を――その機微やニュアンスまで――ITが感じ取って画面とメールでこなしてくれるなら、もちろん、それはそれで歓迎しないわけではない。

2020年の年賀状レビュー


「ぼくはずっと思っているんだ。きのうになればよくなるだろうって」

よく言ってくれた、チャーリー・ブラウン。その通り!

何の根拠もないのに、明日が今日よりもよくなると信じている人がいる。「今日はダメだった、でも明日があるさ」とつぶやいてリセットした気になれるとは、ノーテンキにも程がある。

チャーリーは覚めた目で昨日、今日、明日を見ている。今日の次にもう一度昨日が来たら、少しはましにやり直せるはず。但し、後悔と反省を織り込んだ上手な学びができればの話。


問題がうまく解決できない。問題がそもそも何であるのかを簡潔に言い表せないのが原因の一つである。課題と言い換えてもいいが、課題の表現が拙いと解決すべきことが明快にあぶり出されない。発明家としてよく知られたチャールズ・ケタリングのことばに耳を傾けたい。

「問題をそつなく表現できれば、問題は半ば解決されたも同然」


専門スキルやノウハウは生活習慣と無関係ではない。仕事と生活はほぼ写像関係にあって、この二つは決して切り離せない。それゆえ、プロフェッショナルとしての能力は、生活スタイル、癖、繰り返しによって培養される。

「習慣は第二の天性なり」(ギリシアのことば)

「成果をあげることは一つの習慣である。習慣的な能力の集積である。習慣的な能力は修得に努めることが必要である」   (ピーター・ドラッカー)

いずれも「習い性と成る」ことを教えている。身についた習慣は無意識のうちに身体に浸み込む。まるで生まれつきの性質のような暗黙知の才能になる。


「人間のあらゆる過ちは、すべて焦りから来ている。周到さを早々に放棄し、もっともらしい事柄をもっともらしく仕立ててみせる性急な焦り」

フランツ・カフカのこの指摘は、様々な場面に当てはまる。焦りから結論を急いで判断すると早とちりする。早とちりは先入観として刷り込まれる。いったん刷り込まれてしまうと判断を見直すチャンスを失うのである。


近世イタリアの哲学者ジャンバッティスタ・ヴィーコは言う。

「才能(インゲニウム)は言語によって形成されるのであって、言語が才能によって形成されるわけではない」

言語が才能に先立つと考えるのが自然である。何がしかの思考と人それぞれの才能、その他ありとあらゆる資質は言語を源泉とする。才能がなくても何とかなる場面はあるだろうが、言語を放棄しては人間関係も生きることも立ち行かなくなる。


あの柿の木が庵らしくする実のたわわ    (壱)

この柿の木が庵らしくするあるじとして   (弐)

最初壱の句が作られ、その後に弐の句に書き換えられた。この変化に心境の一端が読み取れそうな気がする。壱の句では種田山頭火はまだあるじだったのだろう。しかし、脇役のはずの柿の木が弐の句では主役になる。あるじの座は柿の木に取って代わられた。「あの柿の木」が「この柿の木」に変わっているのも見逃せない。主客は転倒する、望むと望まざるとにかかわらず、やがて変わる。


「始めなんてものはない。到着した所からやりたまえ。最初君の心を惹いた所に立ち止まりたまえ。そして勉強したまえ! 少しずつ統一がとれて来るであろう。方法は興味の増すにつれて生まれて来るであろう。最初見た時は、諸君の眼は諸々の要素を解剖しようとして分離させてしまうが、それらの要素はやがて統合し、全体を構成するであろう」(ロダン)

経験の程度に応じて、分析から統合、部分要素から全体へとシフトするのは、ほぼすべての学習において真である。企画という仕事は一言で表現しようと試みてもしっくりこない。あれこれ考えた挙句、〈ことばとアイデアで画を企む過程〉に落ち着く。成否には言及しない定義だが、これで仕事の過程は実感できる。


ジュエリー工房のベテラン彫金師が言った。

「こんなものが欲しいのだけれど、作ってもらえますか? こう言われる時が一番幸せな時だ。自分にしかできない仕事を頼まれているのだからね」

固有名詞で指名される職人にはめったにお目にかかれないし、「あなたでなければいけない」と言われる存在に誰もがなれるわけではない。しかし、かけがえのない存在を目指すのはすべての仕事人にとって最大のテーマである。もちろん、そうだとしても、不特定多数に指名されようと欲を出しては幸せが逃げていく。


できるとかできないとかの結果にこだわることをやめた瞬間、「やれば」が意味を持ち始める。

「星に手を差し伸べても、一つだって首尾よく手に入れることなどできそうもない。だが、一握りの泥にまみれることもないだろう」

レオ・バーネットのこの至言を励みとしたい。

親しみを覚える地名

名付けられたものには固有性がある。固有とは「他のものにはなく、そのものだけに特徴があること」や「他から付与されたものではなく、もとからそのものにあること」と辞書に書かれている。

ところが、他の類似したものと区別したり差異を明らかにするために、人や土地や商品名に名を付与したのが固有名詞ではないか。固有と言いながら、同姓同名は決して珍しくないし、地名も、たとえば日本橋なら東京にも大阪にもある(前者が「にほんばし」、後者が「にっぽんばし」と読みは違うが……)。

大手町や本町(ほんまち/ほんちょう)などの地名は全国に数えきれないほど存在する。しかし、そうであっても、大手町や本町の地名に人々は各地なりの固有性を感じているはずだ。長年暮らしたり働いたり、また何度か訪れたりしていれば固有の度合が強くなる。同じ町名でも、自分の街のそれには親しみを覚え、他の街のそれへの感覚は疎遠である。


数年前にNHKの『ブラタモリ』が職場と自宅の付近をロケした。職場と自宅の距離は1キロメートルほど。いつも往復する通勤路の町名が次から次へと出てきたし、タモリが自宅マンションの裏手の路地を歩いて太閤秀吉の地下水道を紹介した。聞いたことはあるが未だ見ぬ土地の名とは程遠い、生活の場の名として強く再認識した次第だ。

『書斎の宇宙』という本に収められた里見弴さとみとんの「あかき机の思出おもいで」に、大正二年十月に放浪の旅に出て大阪に落ち着くくだりがある。

大阪も道頓堀に近い繁華の地、――笠屋町三ツ寺筋みってらすじをちょっと北へ行った西側のとある路次の奥の(……)

固有名詞をつないでみると、著者がどのあたりにねぐらを定めたのか、ある程度想像できる。他にもよく知る場所が出てくる。安道具屋の多い橘通り、玉造橋南詰の店、堂島裏町、心斎橋筋の賑いから諏訪町……。最後の諏訪町すわまちになじみがないので調べてみたが、昔も今もない。周防町すおうまちの漢字間違いか著者の勘違いではないかと思われる。

同じエッセイの中に、赤坂檜町、四谷坂町、下六番町、麹町五丁目の裏通り、半蔵門の変圧所の裏手、山元町一丁目、四谷右京町などの東京の地名もいろいろ出てくる。赤坂も四谷も麹町もまったく知らないわけではないが、どうもピンとこない。地名の固有性とは、親しみを覚え、土地勘が働いて地図が浮かび、そして風情の記憶がよみがえることなのだろう。

「わからない」と「わかる」

起業してから今日で33年。「節目ですね」と言われた。何が節目なのかわからない

「創業33周年おめでとうございます。心ばかりの品です」。メッセージも行為もよくわかる

どんな材料でできているのかまったくわからない北欧のグミ。

五七五に七七を足しても俳句が短歌にならないことくらいわかる


タイ料理店にて。何と何と何を注文したのかはわかるが、何も告げられずにこれが出てきたら、わからない。豚皮のカリカリ揚げ。

わかる? ほんとうに? きみの言う『わかる』が、ぼくにはわからないなあ」
わからない? なるほど。きみの言う『わからない』が、ぼくにはわかるよ」

「アメリカには、米国の名の通りこめがあって、日本には、その英語名ジャパンにパンがあるんだ」。なぜ急にそんなことを言い出したのか、わからない。


コロナの時代にありそうな注意書き、わかる
▪共用スペースにつき、マスク着用のない会話はお控えいただきますよう、ご理解とご協力をお願いします。
▪こちら〈禁席〉です。ご協力ありがとうございます。
▪当店は非接触セルフサービス式の無声レストランです。

ホルモンの噛めども切れない歯ごたえにいつ飲み込めばいいのかわからない

「明後日までに完了のこと」というメモの、明後日がわからない、そもそも何をするのかがわからない

アイヌをテーマにした映画を観た後に、岩波文庫の『アイヌ神謡集』を読んだ。見開きの左頁にローマ字表記したアイヌ語、右頁に翻訳された日本語。どの行どうしを照合すればいいのかほとんどわからない