読書のきっかけとつながり

二十代の一時期に手当たり次第に本を読んだことがある。一時期と言っても一年かそこらの短期間だった。狙いの定まらない読書をずっと続けるには、行き当たりばったりが許されるだけのあり余る時間が必要だ。暇があるのは貴族か無職だが、幸か不幸か、一年かそこらのうち半年ほど仕事に就いていなかった。だからいろいろ読めた。

ほとんどの人は何かのきっかけで本を手に取る。偶然がきっかけになることもあるが、そればかりになると手当たり次第と同じことになる。たいていの場合、かねてから興味があったとか誰かに勧められたとか仕事上の動機とかがきっかけになっているはずだ。

415日はレオナルド・ダ・ヴィンチの誕生日だった。ひょんなことからそのことを思い出した。お釈迦様の誕生日が48日、その一週間後がレオナルド・ダ・ヴィンチの誕生日だということを思い出したのである。


お釈迦様とレオナルド・ダ・ヴィンチがつながり、本棚に数あるダ・ヴィンチ関連書のうちこの一冊、ポール・ヴァレリーの『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法』を手に取った。そして、また別のことを思い出したのである。この本はほとんどダ・ヴィンチのことについて書いていない。以前読みかけたものの思惑が外れて、つまらなくなってやめたのを思い出した。

きっかけからつながりが生まれたにもかかわらず、この本は途中で挫折した。読書にはよくあることだ。読書は愉しみであると同時に、本の中身次第では苦痛にもなりうる。何かのきっかけでもなければ、一生涯読むことのない本がある。読んでよかった、読まなきゃよかった、どうでもよかった……読後感もいろいろである。

ぼくを読書家と勘違いしている人から「何かおすすめの本はないですか?」とよく聞かれる。当たり前のことだが、自分が読んで満足した本を他人が気に入る確率はかなり低い。ミリオンセラーの本であっても、その数字は全読書人口を1億とした場合、わずかに1パーセントにすぎない。したがって、ぼくは本をどなたにも推薦しない。すすめた本が苦痛と退屈のきっかけになる可能性が大きいからである。