食卓ネタが最後の砦

「精も根も何もかも尽き果てた」と大仰なジェスチャーで知人が嘆く。同情を禁じ得ない。尽き果てるものは人によって違う。ぼくの場合、ずっと閉じこもって仕事をしているとアイデアが出づらくなる。文章がこなれない。特に「換気」が悪いとアイデアが出にくい。空気の換気ではない。気分の入れ換えのほうだ。

なるべく人が混む場に不要不急で出掛けないように努めているが、こういう状況に置かれても、飲食だけはパスするわけにはいかない。何事があろうと食卓には着くし、さて今日は何を食べようかと思案する。飲食は最重要関心事であり、身内での主たる話題であり、こうして雑文を記すにしても食に関することなら書きやすい。

「ささやかなご馳走でも、手厚くもてなすと宴会は楽しいものになる」(シェークスピア)

強く同意するが、残念なことに、現在その宴会が推奨されないから、ご馳走したりされたりの楽しみがない。

土日くらいはランチ外食したい。徒歩圏内で一、二度行った店を思い浮かべ、営業しているかどうかチェックして出掛ける。11時とか11時半の開店直後やピークを過ぎた13時半頃に店に入る。先週は40分歩いて串天うどんを目指した。別盛りの串6本に麺は大盛り。平日のランチは軽めなのに、休みの日になると食い意地が張る。料理も味わうが、ありがたみまで味わう今日この頃である。

オフィスには常時45種類のコーヒーを置いてある。勝手に「今日の日替わり」を決めて、一日に2杯ほど楽しんでいる。今朝はコスタリカジャガーハニー。生き方や仕事では自分の思うままにならないことが多いが、コーヒーだけは貴重な「自家薬籠中じかやくろうちゅうの嗜好品」になっている。

「で、どんな味だった?」
「キリマンジャロとコロンビアの中間かなあ」
「おいおい、キリマンジャロにもコロンビアにも味はあるけど、中間・・という味はないぞ」

その店では「こし餡入り蒸しパン」と呼んで売っている。目をつぶって口に入れたら「水分多めの饅頭」のように思う。あの一品はパンか饅頭か……論争して決着をつけるべきか。いや、老店主が「こし餡入り蒸しパン」と言っているのだから、逆らわずにそっとしておいてあげたい。

喫茶店の隣りの席に二人のシニア。コロナ談義の後は行きつけの店の話。聞き耳を立てるまでもなく、聞こえてくる。
Y町のあそこもコロナで休業か?」
「あそこて、どこや?」
「ローソンの手前、右に入ったとこ」
「キタガワかいな。長いこと行ってへん。あんなとこ、前から年中休業みたいなもんやろ」
「客はオレらくらいか」
「売上より給付金のほうが大きいやろな」
「ほんまやな。夫婦二人、細々とやってたら潰れへん」