地名と書名と人名めぐり

オフィスの近くを旧淀川の上流、「大川」が流れている。大川は、大阪湾に向かって出世魚のように堂島川、安治川と名前を変える。大川の左岸に八軒家浜の船着場がある。かつて京都から船で織物や海産物が運ばれてきた。熊野街道はここを起点として南へ走る。八軒屋浜は現在観光用の船着場になっている。船着場の東に天満橋、西に天神橋が架かっている。二つの橋の間は約500メートル。右岸にも左岸にも遊歩道がある。

八軒屋浜の対岸風景。右下に天満橋の一部、左端手前に天神橋が見える。川岸の緑のゾーンは南天満公園を含む遊歩道。

地名は全国区になると固有性を失って一般名詞化してしまう。つまり、場と名が一致する。一方、当該地域以外ではあまり知られていないローカルな地名は依然として固有性を保つ。土地に馴染みがないとローカル地名は文章の中で煩わしく、冒頭の段落で書いたように頻繁に出てくると退屈このうえない。たとえばフランスの片田舎の町や村の名、登場人物がおびただしい西洋小説を読むには覚悟がいる。

不案内な人は天橋と天橋を間違う。橋が現存しているから橋の名ではあるが、いずれも橋周辺に広がる街の呼び名になっている。天神橋は天神橋と変化して一丁目から六丁目まで南北におよそ2キロメートルの地域を形成しているから、行き場所の住所を勘違いすると厄介である。一方、メトロの天満橋駅はJRの天満駅と間違われる。JR天満駅はややこしいことに天神橋筋四丁目に近く、天満橋から歩くと半時間近くもかかってしまう。


仕事が一段落した昨日の昼前、オフィスのある天満橋から(橋を渡らずに)天神橋へ向かい、その橋を渡った。天神橋 渡てんじんばしわたる? まるで演歌歌手のようだ。橋を渡り終えて天神橋筋の商店街に入る。三丁目あたりにひいきにしている天牛書店がある。戦前は日本橋にっぽんばし、戦後はしばらく道頓堀にあった古書店で、当時は織田作之助、折口信夫しのぶ、藤沢桓夫たけおらが足繁く通った。織田作之助の『夫婦善哉』にも登場する老舗だ。

オフィスから歩けば約20分。本の過剰買いをしないように最近は一、二カ月に一度しか来ない。しかし、来れば数冊買ってしまう。店頭に五木寛之と塩野七生の対談本を見つける。何度か読んだガルシア・マルケスの『百年の孤独』の新版を最近買っていたので、その縁で関連書を一冊。さらに一冊、ついでにもう一冊……という具合で、気がつけば諸々もろもろ。書名は本を選ぶ重要な条件の一つ。ところで、初めて塩野の本を手に取った時、七生を「ななみ」と読めなかった。

オフィスへの帰途、大川の北側の右岸を歩いた。桜の名所の散歩道が、季節が変わって葉が色づき始めている。ちらほら落ちている枯葉を見ると「♪枯葉よ~」のあのメロディが自動再生される。日本語の歌詞はうろ覚え、当然フランス語の歌詞も覚えていない。それでも、イブ・モンタンのあの声が聞こえてくるから不思議である。