知らないことだらけ

知らないことだらけ? ちょっと待てよ、以前こんな題で書いた記憶があるぞ。「知らないこと」で検索。遡ること11年。似ているが違っていた。前に書いた題は『知らないことばかり』だった。

「これ、知らなかったなあ」と嘆息するのはいつものこと。あちこちに出掛けたりあれこれ読んだりした時ほど、一週間や半月のうちに何度も「知らなかったなあ」とひとり述懐する。この歳になればいろいろ知っているはずなのに、痛感するのは知らないことの圧倒的な多さである。


❓ コーヒーの粉をこぼした。箒でく。箒という漢字、文中で出くわせば苦もなく読めるが、書けないことに気づいた。書こうとしても、たけかんむり・・・・・・の後が続かない。たぶん箒という字は一度も書いたことがなく、今こうしてじっと見ているうちに初見のような感覚に襲われてきた。箒のあし・・のほうは「掃」のつくり・・・かと思ったが、微妙に違っている。

❓ 今月に入って、「換骨奪胎」と「汗牛充棟」という、初見の四字熟語に出くわした。前後からおおよその感じがつかめたらわざわざ調べないが、いずれもまったく見当がつかない。ことわざ辞典を引いた。ちゃんと載っている。
換骨奪胎かんこつだったいとは「古人の作った詩文について、あるいはその発想法を借用し、あるいはその表現をうまく踏襲して、自分独特の新しい詩文を作る技法」。焼き直しの意に用いるのは誤用とある。どうやらパロディでもパクリでもなさそうだ。守破離の「守」と「離」の併せっぽいが未だ明快ではない。もう一度出てきてもまた調べることになりそうだ。
汗牛充棟かんぎゅうじゅうとうは蔵書の多いことのたとえ。蔵書が増えてきて積もうとすればむねにつかえる。かと言って、運び出そうとすれば荷役に使う牛が汗をかくほど重い。文字から意味が連想できるので、これは思い出せそう。

❓ 芝居や舞台は縁が薄いので知らないことばが多い。以前「見巧者みごうしゃ」を知った時、表現の絶妙に感心した。上手に観劇する力のある観客のことをいう。同時に、舞台は演じる者の技量と観客が持つ観劇眼によって成り立つことを教えてくれる。上手と上手はお互いに呼応する。見巧者についてやっとわかるようになったが、見巧者になるのは難しい。
「半畳を入れる」という熟語は先週出てきた。敷いている
座布団を下手な役者に投げる? 座布団ではなく、半畳の大きさの「ござ」のことだった。
テレビや映画はセリフや演技を見聞きするだけ。ライブでもなく双方向でもない。しかし、演芸や演劇にはそのつどの、演者と観客の間の打てば響くような暗黙のやりとりがある。時に期待が裏切られると客席からヤジが飛ぶ。ヤジでは気が済まぬ客が尻に敷いたゴザを投げ込む。これが半畳を入れる動作だ。普段の会話でからかったり揚げ足を取ったりすることにも使える。

❓ 知らないことだらけでも何とかやっていけるのは、それまで知らなかった対象のほとんどが、別に知らなくても仕事や生活に支障がないからである。しかし、支障がないからと言って、「知らなくてもいいのだ」と居直るのもちょっと残念な生き方のように思える。