味の表し方・伝え方

料理の話をした時に「どんな味だった?」と聞かれるのが一番困る。味を思い出しながらことばを選んでいるうちに、相手が焦れて「おいしかった?」と聞き直す。おいしかったら「おいしかった」と答える。情けない返事だがしかたがない。ところが、この返事に相手が納得顔することがある。儀礼で聞いているのだから、答えなんかどうだってよかったのだ。

「おいしい」で味が伝わるか。では、もっと具体的に「塩味が効いていた」とか「甘酸っぱい」とか言えば、相手が疑似体験できるのか。味や食感を事細かに説明することはできる(実際、ソムリエのワインの説明はかなり饒舌だ)。しかし、伝わるかどうかは別問題。個々の断片情報を統合して首尾よくイメージをつかんでくれる人はめったにいない。

食事処でドラマが展開する『孤独のグルメ』では、松重豊演じる主人公の井之頭五郎が一口食べるごとに〈内言語〉でつぶやく。「ほう、こう来たか……」とか「おー、スパイスが口の中で広がっていく……」というコメントの類が、食べる表情と相まって味のニュアンスをよく伝えてくれる。「おいしい」で済ましているのが恥ずかしくなる。


「パスタは3種類からお選びいただけます」とメニューに書いてあった。「シェフのおまかせショートパスタ」を選んだ。出てくるまでどんなパスタかわからない。出てきた。食料品店で見たことはあるが名前は知らない。もちろん初実食である。どんな味でどんな口当たりか……後日これを誰かに伝えるのは簡単ではない。

こういう時、味ではなく、似たものを持ち出すのがよい。「マカロニを縦に半分に切ったショートパスタ。ソースがよくからみ、マカロニよりももちっとしてやわらかい」。マカロニを持ち出すだけで伝えやすくなる。ちなみに、「マカロニを縦に半分に切ったパスタ」と入力して検索したら、Googleもピンときたようで、「スパッカテッレ」だと教えてくれた。

類似を持ち出すのは本居宣長おすすめの表現話法である。『玉かつま』の一節を引く。

すべて物の色、形、また事の心を言ひさとすに、いかに詳しく言ひても、なほ定かにさとりがたきこと、常にあるわざなり。そは、その同じ類ひの物をあげて、その色に同じきぞ、何の形のごとくなるぞ、と言へば、言多からで、よくわかるるものなり。

「色や形や特徴をことごとく細々と説明するよりも、類似のものを挙げて色、形を見せればことば少なくしてよく伝わる」というようなことを書いている。写真で見せれば済むことが多いこの時代、対比できるものを一言添えるだけで写真以上のプラスアルファが伝わる。もちろん、類似のものを知っていることが前提。食の知もないよりはあるほうがいい。