人間の文化的抵抗

技術は何もかもお見通しではない。欠点を孕んでいるし弊害ももたらす。利便性と問題を抱えているから、これまた何もかもうまくいく保証のない〈弁証法〉的な手段によって改善を図ろうとする。

技術はどこに向かうのか? 〈どこ〉を確定することはできないが、陳腐化と刷新を繰り返しながら、これまでに通ったことのない道を突き進む。他方、人はどこに向かうのか? これまた〈どこ〉かわからないが、この道はいつか来た道に何度も戻ってきた過去がある。不可逆の技術と可逆の人間が対比される。

止揚しながら高度化する技術。ブレーキをかけて時々止まり、時々いつかの道に戻ってくる人間。人は戻って来て反省しようとするのだが、技術のことが気になってしかたがないから、戻ってきても技術の影を気にせずに反省するのは容易ではない。

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技術を〈文明〉として、人間を〈文化〉として眺めてみる。

文化は特定のコミュニティに固有の「生活の耕し」である。これに対して、文明は文化の構成員を包括的に束ねて集団を巨大化し、画一化しようとする。文化(culture)はコミュニティの農(agriculture)と不可分だった(だから「耕し」なのである)。文明(civilization)はコミュニティを超越する技(engineering)によって基盤を作ってきた。その基盤上に空間と時代を構築してきた。何もかもお見通しではないにもかかわらず。

文明は文化的な営みや地域社会を包括する。文明はつねに支配的である。文化的人間は市民として文明に組み込まれる。文明に包括されると、市民は“citizen”ではなく“civil”と化す。この“civil”はちゃんと文明の“civilization”に取り込まれている。

文化は時折り文明の対抗概念として、文明に支配されぬよう抵抗しなければならない。あるいは、文明に文化の価値を認めさせなければならない。文化にそれができた時代はあったが、巨大化した文明のもと、今日どんな方法があるのだろうか。

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岡野勝志(おかのかつし) 1951年大阪生まれ 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター 岡野塾主宰 ヒューマンスキルをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。 マーケティング、コミュニケーションにまつわる企業や人

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