足し算と引き算

煩雑ではないこと、わかりやすいこと。言うのは簡単だけど、そんな表現や形や手法をうまく編み出せそうにない。シンプルに考えよと言われても、シンプルな思考がシンプルな出来を約束するとは限らない。

あれもこれもと欲張り複雑に考え統合的に構想し、悩みに悩んでようやく満足のいくシンプリシティに近づける。その過程では足し算づくめの試行錯誤が繰り返された後に、引き算された姿が現れる。

足し算を続けていくと、オーバーフローしオーバースペックになる。そこから〈かなめ〉が抽出される。ある要素の抽出は別の要素の切り捨て、つまり引き算。引き算には取捨という決断が求められる。


森を見る、マクロに見る、中長期的に見る、じっくり見る……こういう見方は大局的で魅力的なのだが、いろいろ見えてしまって、つい「あれもこれも」と足し算しがち。そのままでは混沌とした状態のままだから、いずれ「あれかこれか」の決断を迫られる。

枝葉を見る、ミクロに見る、近視眼的に見る、瞬発的に見る……こういう見方が引き算につながる。あれかこれかの決断には潔さが欠かせないが、シンプリシティを求める思いがテコになる。

月見うどんはシンプルな一品か否か。微妙である。かけうどんに生卵を落としたのなら足し算である。かけうどんに比べるとシンプルではない。しかし、あれもこれもトッピングしたいとイメージした後に落ち着いた月見うどんは引き算の形にほかならない。同じ場所に到達するにしても、足し算発想で終わるか引き算発想で終わるかで、過程は全く違う。

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proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

「足し算と引き算」への2件のフィードバック

  1. 森の役目も時代とともに大きく変化をしようとしている。和辻哲郎「風土」では、日本人の特質を作っているは、モンスーンに特質される森の役目であり、木材はCO2を長年にわたり閉じ込める役目を負ってきた。今や、カーボンニュートラルなどと勝手な理論を振りかざし、バイオマス発電など称して、日本中で大量に燃料として焼却され、CO2を大量に排出している。環境大臣の小泉さんは知っているのだろうか。

    1. 和辻哲郎の風土論で一番気に入っており、また今も普遍的に意味を持つのは「人は好みで食性を決めたのではなく、環境がその土地の人たちの食性を決定づけた」という知見です。郷に入っては郷に従えではなく、従うしかすべがなかったということです。年末で店が閉まっているので、一番近い讃岐うどん(伊勢うどんではない!)の店で昼を取ってきました。これもそれしかないから、ぼくがうどんに食欲と食性を適応させたという次第です。ともあれ、良きお年をお迎えください。天国からのお迎えは断固拒否されますように。

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