スローフードの2月

コロナで明け暮れた2月。コロナの2月ではつまらないから、足早の2月をちょっと足早に振り返ってみる。


節分の恵方巻は罪作り。どこかの方角に向かって巻き寿司を食らう。言われるまま、丸かぶりすると喉を詰めかねない。噛み切った断面は美しくなく、みつばだけがずるっと抜けて口元から垂れる。縁起がよくても美しくない。だからカットして上品にゆっくり食べる。

そんなふうに味わっても、売れ残った恵方巻は大量廃棄される。儲けようとして多めに作っては捨てる。早食いも過剰もよくない。不足気味のほうが健全である。何でも欲張らないのが本来の〈人間の格〉ではなかったか。

一人一本が恵方巻に贅沢感を付与する。そう言えば、板チョコは兄弟で分け合った。いつか一人で一枚を食べたいと思っていた。独り占めという願望と罪悪感。もし幼い頃に一本や一枚丸ごと手にしたら、黙々と、しかしガツガツと平らげた違いない。


まったく話にならないのもあるが、一部のコンビニの100円コーヒーは侮れない。一部のビストロが提供するディナー後のコーヒーでは太刀打ちできない。コーヒー味のぬるいお湯なら一気飲みするしかない。前菜もメインも台無し。コンビニコーヒーのほうがゆっくり味わえる。

とは言え、うまいコンビニコーヒーにしても、紙の容器にプラスチックの蓋をするうちに喫茶店のスローな時間に及ばないことを感じる。古めかしい喫茶店の隅に座り、その店自慢のブレンドを注文する。「すする」とは言い得て妙である。ゆっくりの時間に浸ると、タイルの壁が古代ギリシア・ローマ色に見えてきたりする。しめて金450圓也。

コーヒー好きは蘊蓄する。蘊蓄などせずに一杯を堪能すればいいのに……。しかし、蘊蓄の語りは実は自分に向けられている。蘊蓄は蘊蓄者自身に気づきをもたらし、記憶を整理してくれる。聞かされる方は犠牲者かもしれないが、コーヒーをおごってもらえるという見返りのために耳を傾ける。


イタリアで始まった〈スローフード〉。ドリンクも含む。「偽りがない、栄養がある、本物」が基本理念。早食いではこれが実感できないから、ゆっくり食べる。いろんな解釈が可能だが、好き嫌いをつべこべ言わず、なるべく旬のものをふつうに食べ、作り過ぎず残さずというふうにぼくは捉えている。そんな食事ができたスローフードの2月に感謝する。

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岡野勝志(おかのかつし) 1951年大阪生まれ 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター 岡野塾主宰 ヒューマンスキルをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。 マーケティング、コミュニケーションにまつわる企業や人

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