嘘つき考アゲイン

夏風邪のようにしつこいが、引き続き嘘と嘘つきの話。

手元にある辞書で嘘の定義を調べてみたら、「有利な立場に立ったり話を面白くするために、事実に反することをあたかも事実であるかのように言うこと」と書いてある。話を面白くするための事実歪曲も嘘ということだ。

そうならば、ぼくの知り合いの大阪人はほぼ全員嘘つきということになる。笑わせるためには手段を選ばない。他人の身の上に起こったことをあたかも自分のことのように話したり、実際は自分のことなのに「オレの知り合いでこんなヤツいてますねん」と切り出すのに何のためらいも感じない。

嘘や嘘つきにまつわる諺はいくらでもある。「嘘から出たまこと」や「嘘も方便」などは、嘘を堂々と正当化する。「実」と「方便」のほうを強調することによって嘘の責任を軽減しており、「えっ、嘘って結果オーライでいいの?」という安心感と誤解を与えてくれる。

これに対して、「嘘つきは泥棒の始まり」というのもあって、こちらは批判的である。泥棒の始まりって何だろう? 不自然な表現である。プロ野球選手の始まり、タクシー運転手の始まり、学校の先生の始まり……何をすれば、それぞれの専門の始まりになるのだろうか。嘘つきは泥棒の初心者? 開業直後の泥棒? もうすでに泥棒をしてしまっているのか? 「嘘つきは前科一犯」と言わないところを見ると、正真正銘の犯罪者ではないのだろう。


嘘つきと泥棒以上に密接な関係にあるのが、嘘つきと博識である。もしかすると、「嘘つきは博識の始まり」のほうが的を射ているかもしれない。道徳論者なら怒り心頭に発するだろうが、嘘つきには物知りが多いのも事実だ。なにしろ「嘘八百を並べる」のだ。知識が豊富でないと、なかなかできることではない。

学生時代、当時流行していたダンスパーティーで、これまた当時もてはやされていた医学生を装った男がいた。「大阪大学医学部です」と偽ったものの、「ご専攻は?」と女子大生に聞かれてしばし沈黙。慌てて「ネズミの解剖しています」と答えてあえなく沈没。もちろん、その彼女との二曲目のダンスはなかった。

プロの嘘つき、すなわち詐欺師にも浅学な者と博識な者がいる。当然後者が一流のプロである。一流どころは、知識が豊富で想像力もたくましい。医者になりきったり政治家になりきったり弁護士になりきったりする。医学、政治、法律などの専門知識を蓄えておかなければならない。加えて話力も必須だ。浅学非才や話し下手では嘘をつけないし、ついたとしてもすぐにばれてしまう。

嘘つきを賞賛はしない。しかし、その道の博識を備えた「徹底したなりきり」を学ぶべきだ。事実の歪曲を肯定しているのでもない。しかし、事実の誇張やアレンジ、あるいは一部事実の隠蔽をやみくもに否定できるだろうか。広告、プレゼンテーション、経営理念、約束……。機能と構造はかぎりなく嘘に似ている。騙すのか、訴求するのか――違いはたったこの一点。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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