滑稽極まる鼓舞

誰しも褒められたい。褒められて照れることはあっても、けなされるよりはいいだろう。ところが、褒められても決してうれしくない時がある。分相応ならいいのだが、「そこまで褒められるほどのことはない」と自覚しているのに、過剰に賞賛される場合だ。

実力や実質以上に人を褒めちぎることを「ほめごろし」という。褒めちぎれば、バカにしたり無能化したりするのと同じ効果がある。ちょっとした出来に対して、そのつどこまめに「すごい!」とか「わぁ~」とはしゃぐのがいるが、不自然であり不愉快である。こんなのにかぎって、冷蔵庫ネタ漫才のチュートリアル徳井みたいに、冷蔵庫の色が銀色という当たり前に対して異常なリアクションを示し、冷蔵庫のドアが両開きというユニークさに対して素知らぬ顔をするのだ。

お互い現実にそぐわない賞賛には気をつけよう。「感動したから賞賛している」などと言えば聞こえはいいが、小さな感動の大安売りはみっともない。安易に褒めあったり感動しあったりしていると、組織も人間も成長しない。レッドカーペットの「満点大笑い」のレベルの低いこと、開いた口がふさがらない。アマチュアが笑えない芸に対して同業のプロたちが大笑いしている。空しい賛辞、空しいリアクション、空しい爆笑が相手の値打ちを落とす。

褒め言葉とよく似た機能をもつのが「鼓舞」である。見ての通り、鼓を叩きそれに合わせて舞うこと。「士気を鼓舞する」と使うように、やる気や意気を奮い立たせることだ。

自分自身を鼓舞することばには「何が何でもやり遂げる」、「絶対勝つ」、「断固闘う」などがあるが、代表格は「頑張る」。これらに共通するのは、意気込みだけで何をどうするのかという策がまったくないことだ。何かにつけて頑張るを繰り返されると耳にタコができる。自分に向けようが他人に向けようが、空っぽの鼓舞というのは具合が悪い。反省を込めて告白すると、ぼく自身が誰かに「頑張ってください」というときは、だいたいにおいて相手が舞うことなど期待していない。そう、このことば、すでに虚礼化しているのだ。

☆     ☆     ☆

鼓舞の何がそんなに気に入らないのか? と言われそうだが、実際に置かれた状況があり、まったくふさわしくない鼓舞がその状況にかぶせられたとき、悲しくなるほど滑稽に見えてくるのである。

何度も会社を潰してきた知人が「死にものぐるいで必ず這い上がってみせます!」と真顔で語ったとき、つい「そんな決死の覚悟なんてしなくていいじゃないですか、ボチボチやれば」と言ってしまった。残酷な言い方で気の毒だけれど、現実と決意の落差が滑稽だった。「今年こそ頑張ります」という年賀状の決意表明にも飽き飽きしている。達成しえない決意をよくも二十年間公言し続けられるものだ。

次の文章を読んでいただきたい。

「情熱と誇りを懸けて・・・ 執念で勝利をもぎとれ 優勝候補の欧州王者と 意地と決意の最終決戦  このままで終われない 日本の威信を懸け激闘」(毎日新聞テレビ番組欄)

浮いた鼓舞だが、これから初戦が始まる状況ならばギリギリ許せる。しかし、すでにアメリカとナイジェリアに負けて一次予選敗退が決まったあとの対オランダ最終戦に向けての鼓舞なのだ。敗れた日本サッカー五輪代表の情けない姿をいっそう浮き彫りにするだけではないか。「ロスタイム3分! まだ2点は取れる!」という実況の空しさ同様、現実を正しく踏まえない鼓舞やガンバリズムがいかに滑稽か、わかっていただけるだろうか。 

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岡野勝志(おかのかつし) 1951年大阪生まれ 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター 岡野塾主宰 ヒューマンスキルをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。 マーケティング、コミュニケーションにまつわる企業や人

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