その値段とその欲望

今から約40年前のポーランド。食肉事情が激変した。肉の供給は難しくなり、食料品店の前では肉を求めて何時間も長蛇の列ができる日々。実際に食肉は大幅に値上がりした。しかし、ジョーク的にはそうではなかった。

ある婦人が店から出てきた。取材班がインタビューした。「奥さん、肉の値段はどうでしたか? かなり値上がりしていましたか?」 婦人が答えた。「値上がりなんかしてないわ。だってもの・・がないんだから」。

以上のような話が『食と文化の謎』(マーヴィン・ハリス著)で紹介されていた。なるほど、「もの」があるから値段がつく。それでこその物価だ。ものがないのなら、たしかに値段はつかない。つけようがない。

需要に供給が追いつかないと物価は上昇する。欲しい欲しいと言う人が増えているのに、品薄なのだ。逆に、いつでも手に入るようになると欲望が抑えられ、ものが過剰になり売れにくくなる。すると、物価は下落する。一般論ではこういうことになる。価格が上がると買う気も萎えるものだが、肉食文化にとって肉は必需品であるから、品薄であろうが高かろうが買いに行って並ばねばならない。


6月に鹿児島か宮崎かの国産鰻を買って冷凍しておいた。721日の丑の日はその鰻を家で食べた。ちなみに、丑の日に鰻の売り買いの現場をチェックするべくスーパーを覗いてみた。昨年から稚魚の養殖がうまくいったので、今年は昨年比で12割値下がりして買い求めやすいという。供給が増えれば値段は下がる。少々値が張っても丑の日には食べたい人が多いから、下がればなおさらのこと。売れる。

しかし、ちょっと待てよ。それならば、たまに行く近所の鰻屋も今年は値下げするべきではないか。ところが、値下げどころか、あの鰻屋は上うな丼2,800円を3,200円に「値上げ」したのだ。需要と供給の一般的なセオリーでは説明がつかない荒技をかけたのである。

鰻という市場をスーパーマーケット的なマクロでとらえれば、需給の法則はある程度成り立つ。けれども、件の鰻屋の主人と客であるぼくの一対一の関係においては、そんな法則は当てはまらない。値上がりしても通いたい消費者がおり、値上げしなければやっていけない商売人がいる。それぞれに事情がある。コロナで席数削減の折り、400円の値上げはある種のテーブルチャージなのだろう。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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