覚えることと思い出すこと

「記憶することだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう」(小林秀雄『無常といふ事』)。


好きでないことを強制されても、得しそうであり有利になりそうであるなら、覚えるものだろう。学校時代には大勢がそうしてきた。記憶力には個人差はあるものの、いつまでに覚えろとかテストに出るぞと告げられたら、少々記憶力の悪い者でも何とかしようとしたものだ。しかし、目的が達成されると、やがて人は覚えたことを忘れる。利害がなくなると特にそうなってしまう。

脳には、一時的に預けるロッカーのような保管庫と、容易に揮発せずに覚えたことが刻印される保管庫がある。前者を「一次記憶域」、後者を「二次記憶域」と呼んだりする。何から何まで覚えることはできないし、ずっと覚えていても役に立たないことも多いから、忘れて記憶情報を減らすのは理に適っていると言えるだろう。

努力しても記憶できなければ諦めるしかない。たとえば、読書をして一冊丸ごと覚えることなど不可能である。忘れたら、必要に応じて読んだところを繰り返せばよい。読みもしなかったことを思い出すことはできない。思い出すためには、一度は読んでいなければならない。読むには読んだし一度は覚えたはず、しかし、思い出せない……これが悔しいのである。脳が衰えてきたのではないかと、不安に苛まれる場面である。


十数年前に、とある自治体で12日の「官民合同研修」があった。それはマーケティング研修で、地場のブランドを全国化する企画実習を5班に分かれておこなった。地酒のブランディングをテーマに選んだ男性4人のグループがあった(県と民間それぞれ2名)。机間巡視中、そのグループのブレインストーミングの様子を窺った。

ショットバーで飲む地酒はどう?……それはおもしろい……日本酒に詳しいバーテンダー……つまみにぴったりの珍味小皿が出る……客のイメージは? 男か女か、年齢は?……カウンターの端に座る中年かシニアの男性がいいのでは?……たとえばタレントや俳優なら誰?……ほら、テレビでよく出てるあの人? 声が低くて渋い……

こんなふうに話が進んで行ったのはいいが、顔が浮かんでいるはずの言い出した人が名前を思い出せない。彼はいろんな情報を並べ、ついには「首にストールをねじって巻いているあの人だよ」と言ったところで、他の3人にようやく伝わった。しかし、思い出したのは顔だけで、誰一人として「中尾彬」が出てこない。たまりかねて、ぼくが名前を教えてあげた。

半時間後にグループの進捗具合をチェックしたら、「中尾彬と地酒は当たり前っぽくてやめました。ホテルのショットバー、キムタクと地酒でまとめています」と路線変更していた。キムタクはさっと思い出せたのだろう。ともあれ、人は覚えたこと、確実に知っているはずのことを思い出せなくなる。覚えることはたやすくないが、思い出すことはそれ以上に大変だ。冒頭の小林秀雄のことばが沁みる。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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