インバウンド―狂騒後の競争?

大阪ミナミの台所だいどことして庶民と繁華街の飲食店に食材を供給してきた黒門市場。年末になると正月準備の客で溢れる。テレビ中継も恒例。しかし、戦前から続く食文化の担い手は凋落傾向を示し始めた。十数年前のことである。商人が玄人客や通を相手にするような伝統的商売の雰囲気が残り、現代の客層には合わなくなっていたのかもしれない。

ところが、凋落に歯止めをかける幸運に恵まれる。観光ブームである。大阪のインバウンドは2011年頃から増え始めていた。何とかせねばと、外国人観光客に目をつけた黒門が仕掛けた。店頭売りの食材をその場で客の好みに応じて調理し、イートインできる仕組みを売り出したところ、外国人――主にアジア系、特に中国人の――観光客が大挙押し寄せるようになったのである。

あっという間に観光客が日常の買物客を上回り、ここ23年で、外国人観光客と日本人の比率は91になった。何度か「視察」に行ったが、人混みで思うように歩けなかった。これまでは店頭で品定めして魚介類を買ったりしていたが、店員が相手にするのは観光客ばかり。魚屋が彼らに大トロの寿司やカニを売り、店内に誘導して食べさせる。魚貝もそうだが、神戸牛の串焼きステーキなど、日本人が手を出しづらい値段のご馳走が飛ぶように売れた。「ぼったくり」と言ってもいい価格設定だった。


2019年の黒門への観光客は毎日3万人ペースだったらしい。全国的、いや、世界的にもインバウンドでもっとも成功した事例の一つだったのは間違いない。この勢いが新型コロナで急転直下、今年の2月、観光客が消えた。7月に現場検証に行った。全長600メートル弱のアーケードを歩くのはわずかに十数名。こっちの端から一番向こうの端が筒抜けに見えた。観光客がいなくなってもかつての常連客は戻って来ない。常連客を捨てて観光客のほうを選んだツケは大きい。

先週の日曜日、数か月ぶりに再び足を運んでみた。半分以上の店でシャッターが下りている。何年か前までおせち料理とまぐろの刺身を買っていた店がひっそりと営業していた。観光客がたむろしていた人気店だ。大間のまぐろのカマが300円、寿司が一貫200円。激安である。しかし、客がいない。観光客を避けていた日本人は、今はコロナを避けてやって来ない。帰宅して日本酒のつまみにカマをつつき、にぎりに舌鼓を打ちながら考えた。

商売は時代とともに変化する。自力では生み出せそうにない変化――別の言い方をすれば、乗っかってみるほうが楽そうな外的変化――に適応することも正しい選択になることがある。しかし、インバウンド頼みの黒門市場は、商売の原点とすべき精神性をもかなぐり捨てた。次の手となる作戦を練っているとの話を聞いたが、元に戻るのは容易ではないだろう。元に戻れないのなら新たな変化を生み出すしかないが、数年間ずっと無思考に近かったはずだろうから、これもまた難しい。

市場には歴史に育まれてきたルールが必ずある。「見えざる手」などは抽象概念で、そんなものは誰の目にも見えなかった。しかし、なぜあの時、なりふり構わずインバウンド相手の商売に走ったのか。そんなことはこれまで微塵も考えたことがなかったはずのに……。目先の実利を追いかけさせようと、やっぱり見えざる手が動いていたのだろうか。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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