様々なコミュニケーション

📔 コミュニケーションとは「共有的人間関係」の別の言い方であり、他人に向き合って生きることである。したがって、すべを磨こうとか上手に振舞おうとかという魂胆でどうにかなるものではない。

📓 帰属先が定まらない情報のほとんどは、ひとまず〈コミュニケーション〉という索引のファイルに挟み綴じできるはずである。

📒 語彙はコミュニケーションの要。国語辞典に収録した語を覚えても語彙は増えない。むしろ外国語の翻訳をするほうが日本語の活用語彙は増えるだろう。だから英語の勉強をしている時は日本語の勉強もしているのである。

📔 「イエスかノーでお答えください」と二者択一の制限をかけたら、「いつ? どこで? 誰が? 何を? どのように? なぜ?」という形式の問いはできない。「あなたの名前は? イエスかノーでお答えください」は成り立たない。

イエスかノーを求める問いは〈命題〉を含まねばならない。命題とは、たとえば「今日のランチはサンドイッチです」という類。これを問いの形にすると「今日のランチはサンドイッチですか?」になる。この問いならイエスかノーで答えることができる。

📓 「心から出ることばは心に響く。でしょ?」と同意を求められても困る。「心から出ることばは心に響く」などは呪文のようなもので、その一文だけにおいそれとは頷けないのである。「心から出る」も「心に響く」もよくわからない。心を含む文章はたいてい心に逃げているか、心を隠れ蓑にしている。

📒 話にはユーモアがあるほうがいい。ところが、ユーモアの表現をパフォーマンスと取り違えるむきがある。パフォーマンスは話を誇張したがるが、ユーモアは逆で、派手になりがちな話を抑制する。

📔 コミュニケーションには大胆と精細が同棲している。思い切って「だいたい」を伝えることと、慎重に正確無比に伝えること。どちらがよく伝わるかはやってみないとわからない。

📓 相手を傷つけまいと、遠回しに、ソフトに、婉曲的に話しても、関係が浅い場合はなかなか通じ合えないもの。通じ合えたかどうかを確認するためには、いつか腹を割って踏み込んで話さねばならない。ソフトからハードへの転換が起こることになるが、人間関係はそこからさらに強くなるか、そこで終わるかのどちらかである。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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