最良だったり最悪だったり

「今がサイコー」とご機嫌よくても、そこがピークでその先はくだるのみかもしれないし、サイコーの気分は上方修正されるかもしれない。同様に「サイアク!」と落ち込んでも、この先上向きになるかさらなるサイアクが待ち受けているのかはわからない。

最良/最高(best)とか最悪/最低(worst)だとか言えるのは、ある一定期間を振り返るからだ。最良とか最悪と感じる本人による過去の述懐にほかならない。期間限定であっても、数字で表せるのならともかく、気分や感覚をベストとワーストで評価するのはむずかしい。

昨年の土用の丑の日に食べた鰻を生涯最高だったと言うことはできる。この一年を振り返って「あの仕事は最悪で散々だった」と嘆くことはできる。他の誰でもない、本人がそう感じそう思ったのだからとやかく言うことはできない。最悪だと嘆く自分に「そんなに落ち込まなくても、ここが底だから」と言う友人の場合はどうか。決して励まされてはいけない。友人は預言者ではないし、底という主張の責任を負ってくれないのだから。


控えめなベターではなく、ベストなどと最上級で断定できるのは将棋や囲碁のAIソフトを除いて他にない。一般的には、最上級表現は現在形とは相性が悪いのである。だから、今が最悪、これからは良くなるという保証などありうるはずがない。

ピンチに陥ったにもかかわらず、どれだけの素直な人たちが、根拠のない「ピンチの後にチャンスあり」で励まされ、ノーテンキに生きたことか。常識的に考えればわかるはず。ピンチがチャンスに変わる可能性よりも、ピンチがさらなるピンチを招く可能性のほうが大きいのである。

もっとも、「人生最高!」と歓喜した次の日に、それを凌ぐ最高もありうるだろう。しかし、最良だ最悪だと言って一喜一憂してもしかたがない。最上級に出番を与えすぎてはいけないのだ。用いるべき評価としては比較級のほうが現実的である。英語の比較級“better/worse”に対して、日本語の表現は「より良い/よりひどい」などと少々ぎこちない。だから、安易に最上級の「サイコー/サイアク」を使ってしまう。取り扱い要注意である。

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proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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