イタリア紀行11 「夜のそぞろ歩き」

フィレンツェⅤ

日が暮れて夕闇が迫りくる黄昏時。変な表現だが、「軽快な虚脱感」と「神妙な躍動感」がいっしょにやってくる。人の顔の見分けがつきにくくなり、「そ、彼は」とつぶやきたくなる時間帯を「たそがれ」と呼んだのは、ことばの魔術と言うほかない。英語の“twilight”(トワイライト)という語感もいい。

イタリア語の黄昏は“crepuscolo”(クレプースコロ)で、偶然にも「暮れ伏す頃」みたいに響く。この時間帯にホテルを出てそぞろ歩きを楽しむ。当てもなく街の灯りと陰影を楽しみながら、足のおもむくまま移ろってみる。気がつけば同じ道や広場を何度も行ったり来たりしている。そぞろ歩きという意味の“passeggiata”(パッセジャータ)にはまったく重苦しいニュアンスや深い意味はなく、「ぶらぶら一歩き」のような軽やかさがある。散歩まで義務や日課にしてしまってはつまらない。

フィレンツェは皮製品や銀細工にいいものが多く、黄昏時は地元の人々や観光客の品定めで賑わう。ミラノやローマの規模のブランド街は形成されていないが、フェラガモ発祥の地でもあり、他にも名立たるブランド店が随所に店を構える。ぼくの物欲はまったく旺盛ではない。だから、ショーケースを覗く程度で有名店の前を通り過ぎる。

これは国内にいても同じだ。ただ、物欲に歯止めがかからない例外が二つある。一つは、読みもしない本をせっせと買う癖。目を通しただけでおしまいという本が蔵書の半数を占める。二つ目は、酒飲みでもなく、せいぜい週に一日か二日ほどハイボールかワインをたしなむ程度だが、良さそうなワインをひらめきだけで買う癖がある。自宅にワインクーラーもないくせに、常時10本以上のワインが所狭しと立ったり寝たりしている。残念ながら、ワインは荷物がかさばるので旅行先ではめったに買わない。

ルネサンスの余燼が未だ冷めやらない街。いや、余燼という形容は正しくない。ルネサンス時代のキャンバスの上に現在が間借りしているのがフィレンツェだ。ここは至宝が溢れるアートの街である。ボッティチェッリの『ヴィーナスの誕生』など美術の教科書に出てきた作品は見逃したくないが、決して欲張ってはいけない。どの美術作品をどこの美術館で見るかを考え出すとノイローゼになるからだ。建造物やあちこちにむき出しのまま立っている彫刻、石畳、昔ながらの工房などを見ているだけでも十分にアートな心地になってくる。

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黄昏のシニョリーア広場。画面左のアーケードはランツィのロッジャ(開廊)。彫刻が無造作に展示されている野外ミュージアム。
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シニョリーア広場の噴水、颯爽としたネプチューン像。
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夜のジョットの鐘楼。時刻は午後7時頃でも空は明るい。
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日が暮れてもヴェッキオ橋は賑わう。
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名画を模写する「地面画」。美術学校に留学する日本人女性の作品。
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韓国からの留学生の作品。チョーク状のパステルで繊細なタッチまで描いている。正午から有料で場所を借りて描く。深夜12時に容赦なく消されてしまう。
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フィレンツェでの唯一の買物は小銭入れ。使い古した茶色は4年半愛用している。紺色の新品が次の出番を待つ。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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