この世界、別の世界

「この世界とは別の世界があることは確かだ」(サルバトール・ダリ)

現世と前世または現世と後世のことか、もしかしてこの世とあの世のことだろうかと類推した。しかし、それなら「確かだ」などと言い切らないはず。ここで言う世界とは、たぶん、見える世界のことで、ひいては世界観に近いのではないか。こんな見当を付けて、今さらながらだが、「世界」ということばについて少し考えてみた。

地球上のありとあらゆるものが一つになった総体を一般的に世界と呼んでいる。英語の“world”を訳して世界を造語したのではなく、前々からあった仏教のことばである世界を借用した。それによると、世界の世は前世と現世と後世の「三世さんぜ」から成り、世界の界は「すべてにまたがる様子」を表わしている。すなわち、世界はあらゆる時、あらゆる場を包括する概念である。

それでは大きすぎるので、世界は分化して多義語になった。とは言え、ダリのことばを「此岸とは別の彼岸があることは確かだ」というようにスピリチュアルに読み替えることはなさそうだ。世界とは住んでいる所、行く所、想像する所。また、世界とは同種や類似のものが集まっている所。そして、世界とは見える範囲のこと、つまり視野や視界。漠然としているが、何となくわかるので、何となくよく使う。


この世界とは、自分がいる所であり、ゆえに何となく知っている所。別の世界とは、自分がいない所であり、ゆえにあまりよく知らない所。いまこの時、この世界とは違う別の世界を別の誰かが見ている。根拠はないが、「見ていない」よりも「見ている」と考えるほうが自然に思える。ダリも確かさの根拠は示していない。

人それぞれの知覚の枠で世界が認識され、人それぞれが自分流の世界観を構築している。いまあなたが「この世界」と呼ぶ世界を誰かが「別の世界」と呼ぶことは不思議ではなく、他方、誰かが「この世界」と呼んでいる世界をあなたが「別の世界」と呼んでも何ら不思議ではない。呼び方と見え方が違うだけで、それらは同じ世界なのだ。

複数の世界があるのではなく、たった一つの世界が複数の人々によって複数の解釈によって認識されているのである。「この世界とは別の世界があることは確かだ」とは、公園の同じベンチに腰掛けるあなたと隣りに座る親しい人が違う世界を見ているということにほかならない。

投稿者:

proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 1951年大阪生まれ 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター 岡野塾主宰 ヒューマンスキルをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。 マーケティング、コミュニケーションにまつわる企業や人

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