地の背景に図が浮き上がる

〈図(figure)〉が〈地(ground)〉を背景にした瞬間、その図が浮き上がって見えてくることがある。〈地図〉というのはそのように成り立っている。よく知られたものに「ルビンの杯と顔」がある。じっと見ていると杯と顔が交互に地になったり図になったりする。

イメージだけではなく、思考やことばにも同じことが起こる。

考えるとは頭の中で思い巡らすことだが、必ず何らかの対象について思い巡らしている。対象をよく認識し、その対象とやりとりをしている。そうこうしているうちに、やがて不足しているものに気づく。考えるとは「不足探し」でもあるのだ。認識している地の上に見えなかった図が現れてくるのである。

あることばが他の言語群を地として浮き彫りになったり炙り出されたりして知覚されることがある。

アサヒビールを主題とした縦書きの地の歌(七五七五七七七五)を読む。主題を綴ることばの群れの中に仕込んだ図に誰もが気づくとはかぎらないが、よく目を凝らせば横書きの「三ツ矢サイダー」という図に気づく。

掛詞かけことば」や「ぎなた読み」、駄洒落の類も、ことばの地と図の関係と無縁ではなさそうだ。「アメリカン・・・・からメリケン・・・・が生まれ、それが米利堅・・・と表記され、この頭文字からアメリカを国と呼ぶようになった」という経緯を知って、いろいろことばを巡らせているうちに「アメリカにこめがあって、日本にジャパン・・がある」ことに気づいてニヤリとする。

古代や中世の和歌には、現代人が気づきにくい図が地に仕掛けられている。もっとも、地と図の読み方は人それぞれなので、たとえ隠れた図に気づかなくても特に困るわけではない。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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