ノートを綴らない日々

一週間ぶりにここ・・に戻ってきた。「ここ」とは、ブログの「クイックドラフト」という下書き専用の画面である。ルーティンとして、手書きでノートに綴って文章を推敲してからPCに向かうようにしているが、ここしばらくノートすら開けていない。コラムを書くという仕事が入ってきたからだが、ノートを綴らなかったのは仕事のせいばかりではない。

どんなに仕事を急かされている時でも、書ける時は書く。どんなに時間を持て余していても、書けない時は書かない。今は後者である。人的交流上の、情報交換上の、そして印象観察上の刺激が圧倒的に少なくなっているのが原因だろう。書けないなら書こうとしなければいいのだが、長年のノート習慣に背いているような気がして、心地よくない。

「書けない」か「書かない」か、どっちでもいいが、半月もノートに書き込みをしないのは感じることが少ないからである。いや、小さな気づきがないわけではないが、そこから先へ進むには探究心とマメさが必要だ。さもなければ、細くて軽い水性ペンですらずっしりと重そうに感じて、手に取ろうとしない。今日も机の横に置いてある背丈2メートルほどのアマゾンオリーブの幹に1センチほどの新芽を見つけたが、それをテーマにして綴ってみようという気は今のところ起こらない。


「出掛ける前にスプレーしておくと衣服に虫がつかずに帰ってこれます」という、消臭剤の説明書きを見つけたことがある。虫除けスプレーではなく、消臭剤! 以前なら、嬉々としてそのことについて書いてみようと思ったものである。そんな話をうまく展開しながら書けたとしても駄文の可能性が高いのだが、どんなネタからでも企画したり書いたりするのが本業の本能だと自覚していた。

しかし、「何々だから何々すべきだ、何々できて当たり前だ」というのも変な強迫観念である。それは「せっかくどこどこに来たのだから、やっぱりアレ・・を食べなきゃ!」という気分に似ている。たしかに、そういう時もあるけれど、別にそうでなくてもいいではないかと割り切ることもできる。讃岐に来たら「うどん」という定説に反したこと、一度や二度にあらず。ナポリでもピザを食べなかった。

今ふと讃岐うどんのあの地のある日を思い出した。混み合っているうどん店を諦めて、場末感の強い喫茶店でランチをしたことがある。外はやや強めの雨が止まず、どこでもいいから近くの店でいいという妥協策だった。床にじかに置かれた扇風機、開け放たれたテラスの扉、おびただしいアロエの鉢……。何を食べたかはっきりしないが、あの時の店の光景は鮮明によみがえる。

何かに気づき、その何かから考えを巡らすことはできなくても、記憶が動くなら、そして駄文でよければ、こんなふうにまずまず書くことができるようだ。

投稿者:

proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 1951年大阪生まれ 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター 岡野塾主宰 ヒューマンスキルをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。 マーケティング、コミュニケーションにまつわる企業や人

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