十二ヵ月の「和名」

一月から十二月は数字を順に数えれば言える。それに比べれば、それぞれの月の旧暦の和名――睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走――を順に辿っていくのは容易ではない。語呂合わせで覚えたことがあるが、その語呂合わせを忘れてしまう。

知ってしまえばそれまでだが、いざ覚えようとすると一筋縄ではいかない。何度覚えても二、三年もするとうろ覚えになっている。トイレに貼っていた昨年のカレンダーが月を和名で併記していたので、ようやく完璧に再現できるようになった。繰り返し漢字を見、たまに声に出しているうちに、いろいろなことに気づいた。

月の字が付かないのが弥生やよひ師走しはす
月を「つき」と読むのが睦月むつき皐月さつき霜月しもつき
月を「づき」と読むのが卯月うづき文月ふみづき(ふづき)神無月かんなづき
月を「つき/づき」の両方で読めるのが水無月みなづき(つき)葉月はづき(つき)長月ながつき(づき)
月が付くのに「月」と読まないのが如月きさらぎ

なぜ旧暦にこのような名が付いたのか。故事事典でちょっと調べてみた。どの月も由来は諸説あって、ここに書き切れないほどだ。ただ弥生だけが「(草木)いよいよおい茂る月・・・・・・・・・」という由来説で一致しているそうだ。弥生は今なら四月上旬、暖かくなり始めるいい時期である。本居宣長は「月づきの名、みなわるし。ただやよひ・・・のみよし」と弥生をえこひいきしていた。悪いと言うなら代案を示すべきではなかったか。


年の初めが「む」で始まる睦月。語感がよくないとかねがね思っていた。しかし、よく字を見れば、「仲睦まじい」の睦ではないか。めでたい年明けに親しい者どうしが睦まじく交誼こうぎを結ぶにふさわしい和名ではある。

昨日の朝、一月を睦月と言い換えてみたら、見上げた空がどんよりと曇っているのに、決して不快に思わなかった。いや、むしろ気分は晴れやかだった。どういうわけなのだろうかと詮索しても「わけ」などあるはずがない。気分は目に見えるものとだけ連動しているのではないのだから。

曇っていて、好天の一昨日よりも重苦しく感じてもよかったはずなのに、とてもよい気分だった。気分の変化に決まり切った法則はない。その時次第というのが気分の気分たる所以である。もしかすると、ことばのふるき由来をたずねてみたりことばを言い換えてみたりするだけで免疫力が上がって気分がよくなるのかもしれない。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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