様々な食材に出合う

 

バルセロナはランブラス通りのボケリア市場。

今日はウサギの話。バルセロナのボケリア市場でそのまま吊るして売っていた。写真も撮っているが肉食観に劇的な影響を及ぼしかねないので、ここでは掲載しない。現地の子どもたちはその吊るしを見てもまったく平気だし、親が買って調理した肉をおいしく食べる。

スペインやフランスの市場に行くと、子豚も鴨もウサギも調理されずにそのままの形で売られている。ウサギは毛皮のまま後ろ足を結んで吊り下げられている。つまり、頭が下で耳が垂れた状態だ。処理された肉もあるが、ほとんど一羽売りだ。ペットとして飼われていたウサギではない。食用に飼育されたかなり大きなウサギで、「ラパン」と呼ばれている。ウシやブロイラーがそうであるように、ウサギもウマもハトも――食材になる動物はすべて――食用として肥育されているものだ。

小さい頃、「♪兎追いし彼の山 小鮒釣りし彼の川」というあの歌はまず耳で聞いた。意味もわからず、聞こえたまま「ウサギおいしい」と思った。食べたことがなかったが、おいしいと歌うのだからおいしいのだろうと思った。「こぶな」もまさか小鮒などとは想像がつかず、「昆布の何か」だろうと思っていた。


小学3年頃、ウサギを飼っていた。当時の大阪市内にはまだ田畑も残っており、その田畑を少しずつ埋め立てて新しい住宅が建ち始めていた。だから、家の前の畑のそばに小屋を作ってウサギを育てていた。首輪をつけて散歩もさせていた。ウサギの好物のオオバコはそこらじゅうに自生していた。

年末のある日、飼っていたウサギが消えた。親が「逃げた」とか「盗まれた」と言っていたので、いなくなったことはつらかったが受け入れた。数年後、今もウサギを常食している地方があることを知り、もしかして大人たちの胃袋に消えたのではないかと疑った。町内の誰かがさばいて、雑煮の具に使ったのではないかと。古来、ウサギをニワトリだと言って食べていた日本人だ、ぼくが可愛がっていたウサギが食材になっていたとしても不思議はない。

小学校の高学年ではウサギ狩りイベント付きの遠足があった。みんなで一斉にウサギを追って捕まえウサギ汁にしようというものだ。小山の下から上へ追いかけるので捕まらない。ウサギは前足が短く後ろ足が長いので、上るのは得意なのだ。結局一羽も獲れなかったが、ウサギ汁と称したそれらしきものが器に入って出てきた。事前に漁師が獲ったものという説明だった。ウサギ肉だったとすれば、あれが初めての実食になる。

スペインではウサギ肉はパエリアに使われる。パエリアは元々農家の料理なので、米と狩猟したウサギの肉をスープで炊き込むのは理にかなっている。想像以上に小骨が多い。東京のフランス料理店では野ウサギのソテーを食した。育てたラパンと違って、クセが強いのでニンニクやハーブが欠かせない。食感は地鶏などとさほど変わらない。

「ウサギを食べるなんて!」と言う人もいるが、そんなことを言い出せば、「ウシを、ブタを、ヒツジを、トリを食べるなんて!」と言わないといけないし、「回転寿司でサカナを食べるなんて!」とも言うべきだろう。魚を誰よりも深く愛するさかなクンは、魚の絵も上手に描くしおいしそうにきれいに食べる。食育の理想形だと思う。なお、好んでウサギを食べようとは思わない。せっかくこの地に来た、しかもたまたまメニューに載っている……これも何かの縁ではないかという感じで注文する。この時期ならイノシシもエゾシカもメニューにあればいただくことになる。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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