その時々の心の状態や感じている様子を気分という。気分が良いとか悪いとか、気分が快いとか不快とか。つまらないことだが、なぜ「分」を付けるのか、気になっていた。
「○分」という二字熟語は書きだせばキリがないほどいくらでも思い起こせる。
一分、五分(五分五分というふうに使う)、八分(村八分の意)。親分と子分で取分が違う。自分の本分、身分や職分、それに性分。季節の区切りの春分と秋分。そうそう明日は節分。成分は水分、糖分、塩分。多分、当分はこのまま。大分に半分に幾分。細分しても寸分狂わない。微分に積分。昨年の今時分は何していた? 断捨離という処分。
気分のように程度を表現する「分」がある。全体ではなくて一部を示す「分」がある。割り当てられるとか見合うという意味の「分」もある。分は「分ける」だし「分かる」でもある。捉えどころのない大きなものは小さく分ける。分けると分かりやすくなる。それ以上分けられなくなると、その先のことは分からなくなる。
一年をどのように区切るかで感じ方が一変するように、全体は同じなのに、分節のしかたが変われば違ったものに見えてくる。一本のダイコンやレンコンも一杯のタコやイカも、切り分け方で違ったものになる。
「ピザ1枚ください」
「切り分けは8ピースでよろしいですか?」
「8ピースだと多すぎて一人で食べ切れないから6ピースで」
お気に入りの小話だ。油断して聞き流すと納得してしまう。分けるとはナイフを入れてカットして食べやすいサイズにすること。何ピースにカットしようが、焼きあがったピザ1枚の大きさが変わるわけではない。しかし、「分」のマジックで全体が違って見える。
こんな話を書いているうちに、4種類のチーズで焼き上げるクワトロフォルマッジが食べたくなってきた。6ピースにカットしてもらい、各ピースを三口で品よく食べるとワインがうまくなる。