仕事の合間の読み物

ここ一、二年、仕事がよく途切れる。コロナのせいで得意先がテレワークにシフトし、当初の段取り通りに仕事が進みにくくなった。予定していた作業ができず、チェックを待つ日が長くなり、手持ちぶさたの時間が増えた。しかたがないから、普段できない整理をしたり、ブログを書いたり本を読んだりする。

小説は、たとえ短編でも、仕事の合間の読書には向かない。間断なく読んでストーリーを追えてこその小説だ。途切れ途切れでは読んだ気がしない。もっとも、小説は30代半ばを最後にあまり読まなくなったので、自宅にいてもめったに手に取らない。1960年代から80年代までは、近代と現代の小説は、日本と欧米を中心に、中南米まで守備範囲を広げてよく読んだ。あらすじはほとんど覚えていない。

よく読んでいるのは随筆のほうである。一つの断片が数ページ程度なので拾い読みにちょうどよい。古典小説とはあまり相性がよくないが、『枕草子』『方丈記』『徒然草』の三大古典随筆は一応読んだ。あらすじなどというものはない。しかし、断片的に一節を記憶していたりする。


西洋にはパスカルの『パンセ』のような思想・哲学のエッセイもあるが、おおむね平易な文体で書かれるのが随筆だ。題材は風物の観察や身近な体験や見聞であり、著者が感じるまま、時に筆任せにしたためる。何か学んでやろうなどと意気込まなくてもよく、忘れて元々の気分で気楽に流し読みできる。

意到筆随いとうひつずい」という四字熟語がある。「意到いいたって筆随ふでしたがう」と読み下す。あまり知られていないし、普通の辞書には収録されていない。詩文を作る時にあまり小難しく考えずに筆を運ぶという意味だ。著者は腕組みして時間をかけていない。心のおもむくままにすらすらと書いている。だから読み手もそんな波長に合わせて読めばいい。

以前、池波正太郎の『男の作法』と『男のリズム』をたまたま読み、その後、プロ並みの腕前の絵を添えた随筆がいろいろあるのを知った。池波の本はBOOK-OFF100円コーナーによく出るので、見つけるたびに買い求めた。仕事の合間の読み物としては理想の本で、気づけば十数冊読んでいる。「随筆が気に入ったから小説も読もう」とは思わない。池波の小説は一冊も読んでいない。『雲霧仁左衛門』は知っている。NHKで観ているから。

今日は机の上に『東海林さだおアンソロジー  人間は哀れである』を置いている。時間が空く予定だったが、今しがた仕事が動き出した。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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