牛乳への道と作法

先週書いた『簡単そうなのに、うまくいかない』の続編。続編なのに『牛乳への道と作法』と題名を変更したのは、牛乳の蓋や封を外す今昔の苦労話にテーマを絞ったからである。数ある本の中からたまたま劇作家の宮沢章夫のエッセイを思い出した。

宮沢章夫には『牛乳の作法』と題した著書がある。また『牛への道』というエッセイ集もある。ずいぶん前にどちらも読んだ。愉快な本である。両作品のタイトルを合体させた『牛乳への道と作法』を思いつき、今から書こうとしているエピソードにぴったりだと判断した。パクリではなく、ある種のオマージュである。


閑話休題。牛乳瓶には戦前から20数年前まで紙製の蓋が使われていた。今では牛乳瓶の蓋はポリキャップだ。なぜこうなったかと言うと、紙のキャップが「伝統的に誰にとっても開けにくかった」からである。蓋に小さなツメを付けて開けやすくした改良品も出たが、紙ゆえに牛乳がにじむとか一度開けたら保存しにくいという問題が残ったままだった。

牛乳瓶の口に寸分の隙間なくぴったりと嵌まっている紙の蓋を開けるのは一苦労だった。指先で蓋の端っこをつまめないから、小さい子らは押した。押すと蓋の半分が瓶の中に入り込み、反動で牛乳のしぶきが飛び出る。70年代、あの蓋は押すものだと思っていたと友人のアメリカ人は言った。彼には押してもダメなら引いてみよという知恵が湧かなかった。

一家にはあの蓋を取るためだけに爪を長く伸ばした婆ちゃんや母ちゃんがいたものだ。そんな時代がしばらく続いたあと、月極で配達してもらっていた家に、ある日、アイスピックの子分のような、蓋を針の先で突いて持ち上げる小道具が配られた。そう、蓋開けとか蓋外しとかピックなどと適当に呼ばれた「アレ」だ。アレは正式名称がないまま、誰にも気づかれずに姿を消した。牛乳にありつく道と作法が一気に変わったからである。

ポリキャップの牛乳瓶は残っているが、主流は紙パックになった。開ける所作が「針を刺して蓋を外す」から「接着された封を左右に引き離す」へと変わった。当初、便利になったと紙パックを歓迎した消費者がかなりいた。他方、面食らった消費者も少なくなかった。すっかりポピュラーになった今でも、ハードルの高さに困惑する消費者がいて、たとえば、あの〈開け口〉と反対側の封の違いを学習できずにいる。

彼らをわらうことができるだろうか。某乳業のホームページでは「牛乳パックの正しい開け方」を次のように指南している。

1.親指を開け口の奥まで差し込む。
2.開け口を手前にして両手で左右に十分広げる。
3.左右いっぱい屋根につく位置までしっかり押しつける。
4.親指と人差し指を両端にあてて注ぎ口が飛び出るまで徐々に手前に引く。

難解な文章である。特に、3.の「屋根」、4.の「注ぎ口が飛び出る」のイメージが湧きにくい。手順通り、文字通りに進めても無事に開け口が開けられない人が相変わらずいるのだ。同情を禁じ得ない。「牛乳パックの正しい開け方」が掲載されていること自体、紙パックを開けるのも難しいとメーカー側が確信している証拠である。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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