一品から一式へ

文具店でボールペンを何本か試し書きした。100円ちょっとの書き味のいい新製品があった。オフィスに戻り、革の手帳のペンホルダーに差し込もうとしたが、入らない。ボールペンが少し太いのか、いや、革製のペンホルダーが少し狭いのか。翌日、ミニクリップの付いたスプリングリング状のを500円で買った。ボールペンは手帳に収まった。

これまでの自分のやり方に「新しいものや価値」が加わると、それに合わせて何かが変わる。新しいボールペンが新しいペンホルダーを買わせた。勢いづいてボールペンに合ったリフィル用紙を求め、さらに高じると手帳そのものを買い替えるかもしれない。ものや価値は連鎖する。新しい筆記具から生活習慣の構図が一変する。決して冗談ではない。

18世紀フランスの哲学者で美術批評家だったドゥニ・ディドロ。ある日、知人から緋色のガウンを贈られ大いに気に入った。だが、そのガウンを着ると、書斎の調度品が貧相に見えてきた。ディドロはガウンにふさわしい品質の椅子や調度品や書棚をすべて新装した。ガウンが生活の支配的な存在になり、その他の要素を従えるようになったのである。

コンプリートへの欲望が極まった恰好だ。「ディドロ現象」として知られている。これまでとは違った価値水準、雰囲気、イメージ、ニュアンスのものがたった一つ日常生活に入り込むだけで、その一つに適合するように書斎の他の所有物をすべて統一したくなる。きっかけになった一品の文化的意味が、身の回りの一式に共有されていく。

所有物の文化共通性は書斎という一つの生活シーンだけにとどまらない。異種ジャンルを貫いて生活全体にまで及ぶ。たとえば長年憧れていたクルマを手に入れた。クルマという文化カテゴリーの満足だけで話は完結しない。クルマに対応するような時計、万年筆、読書、映画、服装、食事、観戦スポーツ、祝日の過ごし方が変わる。

クルマが生活全体の主役になり、その他の異種ジャンルが車に共鳴するように変えられ選ばれていく。クルマを中心としたライフスタイルが構築される。そしてその次には、住宅や職業が見直されるかもしれない。エスカレートし続けるにはある程度の資産が必要だろうが、誰もが生活許容範囲でディドロのように自己洗脳して行動するのは稀ではない。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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