ヒューマンスキルの核

「ノリヒビ」ということばを聞いたり読んだりしたことがあるだろうか。「海苔ひび」。海中に立てる竹や粗朶そだという木の棒のことである。この棒に胞子を付着させて海苔を養殖する。最初は遅々として目立たないが、やがてしっかり定着すればみるみるうちに海苔が繁殖していく。

何かが大きく成長するためには、この棒のような核が必要で、学んだことがどんどんまつわりついていかなければならない。ノリヒビはそんなたとえにも使われることがある。では、ヒューマンスキルにとって、ひびや胞子に相当するのは一体何だろうか。


学び手と学習メニューの関係は、身体とサプリメントの関係に似ている。毎日の食事さえバランスよくきちんと摂り、ほどよく運動して筋肉を鍛えていればおおむね問題無しとは、良識ある専門家が異口同音に唱えている。しかし、栄養に過多や偏りがあると体力に不安を覚え体調異変を感じる。そうなると、中高年には手っ取り早くサプリメントに依存する傾向がある。

ぼくも例に漏れなかった。ウコンに卵黄ニンニク、納豆キナーゼにノコギリヤシ、マルチビタミンや各種ミネラルを試してみた。通販で買ったためにしつこくフォローの電話攻めにも遭った。やがて主客転倒していることに気がついたのである。栄養源は水で流し込むのではなく、よく噛まねばならないのではないか。きちんと食事をして年齢相応に身体を動かし、歩き、ストレッチをする。そういうふうに生活スタイルをシフトして現在に到っている。


ヒューマンスキルのサプリメントには何がいいのか。世の中には学習メニューが目白押し。摂取しても摂取しても効き目を実感していない人たちも多い。摂取後は何らかの効果を実感できたとしても、効き目は持続しない。何日かすれば元の木阿弥状態になってしまう。学習メニュー提供側のぼくとしても、大いに反省しなければならないと思っている。

食事同様、学習サプリメントはあくまでも副である。サプリメントとはもともと「補足」という意味だ。不足を補うものであって、主たる存在ではない。毎日の食事が主であるように、もっともよく使うスキルこそが主ではないか。そう、ヒューマンスキルの主食はことばというリテラシーなのだ。リテラシーこそがノリヒビであり、ぼくたちは幼少の頃から「ことばの胞子」をずっと養殖してきた。

日々振り返れば、生活も仕事も読み・聴き・話し・書くで成り立っている。言語の四技能というリテラシーを駆使して一日を過ごしている。いかなる専門スキルも言語の核にまつわりつく。肝心要の言語力が乏しければ、知識や情報を大量に取り込んでも定着しないのだ。そして、レベルアップするにつれて、とりわけ読むことと書くことの重要性が高まってくるのである。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

「ヒューマンスキルの核」への2件のフィードバック

  1. 「双手を挙げて賛成」というのは実は何の意見表明でもないと思いますが,同様のことを考えていて,私も本日のブログを更新しました。「言葉がなくてもコミュニケーションは可能だ」とよく言いますが,仲良くなったり,一緒にご飯を食べたり,ひょっとしてセックスもできるかもしれませんが,それだけです。「仲良く」も相互にペットを飼っているぐらいの「仲良さ」でしかないように思います。
    先日,教師養成講座で用いる「文法」のテキストに取り上げている外国人の「誤文」について,勘違いを訂正されました。「から9時欲しい見るテレビ」を英語話者の誤用と思っていたのですが,「から9時」の位置から中国語話者の誤文だったようです。中国語では,この場合に主語の「我」は言わなくてもいいそうです。我が身の浅薄さにあきれ果てて,「学び」に再度取り組む新たな覚悟をしました。

  2. いましがた『論理的コミュニケーション』を終えてホテルに戻ったところ。講義中、論理の力とは言語力に他ならないとあらためて思いを強くしていました。発言量も語彙も少なければ、論理の出番すらないのですね。宮さん、期待しておいてください。来年度から私塾のメニューは「ことば」と「コミュニケーション」を核として、その核に個々のテーマを突き刺していきます。コメントに勇気づけられましたよ。

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