「類は友を呼ぶ」でいいのか!?

早朝からムクドリがうるさい。ムクドリはスズメ科で、スズメ同様に落ち着きがなくせわしげに四方八方に飛ぶ。わが家の窓辺に止まっては糞を残す。群れてはいるが、つぶさに観察すると、スズメには見られぬ激しい縄張り争いを繰り広げているのがわかる。わが町内ではスズメがムクドリによって淘汰されたかのようである。

Ogni simile ama il suo simile.

類は類を呼ぶ

イタリア語では類が類を愛するという言い方をするが、「類は友を呼ぶ」に相当する。類が集合している姿は群れを形成する動物に特徴的である。単独や孤立を嫌う人間もこの部類に属する。人間は他の動物に対しては霊長などと威張って優位に立っているが、大いなる自然の中にあっては弱者である。弱者のリスクマネジメント、あるいは一部犠牲の上に成り立つ種の保存という趣がある。


弱々しく群れているよりは、一匹狼のほうが、リスクが大きいものの、頼もしく見える。個体の区別ができない似た者どうしが「烏合うごうの衆」状態にあるよりも、清濁併せ呑むか玉石混淆の状態にあるほうが創造力が漲るし、社会的には健全なのである。

人は依然として類が友を呼ぶ構造から脱することができず、徒党を作り集団間で争いの種を蒔いている。マンネリズムや偏見や破滅もこの「同類同友」に起因する。同類同友であることの想像の欠如や退屈になぜ気づかないのだろう。リスクがないように見えるが、実はリスクだらけの構造なのである。

いきなり異類異友などという極論を唱えるつもりはない。だが、異類同友に一歩踏み出せないものだろうか。同類ならば、せめてどこかに一線を引く「時々異友関係」を築けないものだろうか。異種情報を組み合わせるほうが新しい気づきが生まれる。人間関係も同じである。同じ職場で同じ仕事をしていても異能や異脳であることはできるはずだ。類は友を呼ばないくらいの覚悟をしないと、人の個性などどこにも求めることはできない。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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