イタリア紀行26 「遊歩が似合う小高い丘」

ベルガモⅠ

ミラノの次にどの都市を取り上げるか思案しているうちに二週間が過ぎた。いや、正確に言うと、だいたい決めていたのだが、候補の街に出掛けた当時、ぼくはまだデジカメを使っていなかった。その街について書いて写真を添えるには、まずカラーネガフィルムをスキャナで読み込まねばならない。だが、写真の取り込みに想像以上の時間がかかってしまった。簡単だろうと思っていたが、上下左右反転になったりで手間取った。

ようやく画像変換でき、いざ書き始めようと思ったら気が変わり、ミラノ滞在中に訪れたベルガモを取り上げることにした。ベルガモは2006年に旅したのでデジカメで収めている。実は、この紀行をシリーズで書き始める前に、スローフードというテーマで一度ベルガモを取り上げた。名所の固有名詞も知らず、しかも半日観光しただけなのに、帰国してから妙にイメージが育ち始め、思い出すたびにゆったりした気分になる。写真とメモと現地版のガイドブックを照合させながら回顧しているとつい最近旅したような錯覚に陥ってしまう。

ベルガモはミラノから北東へ列車で約1時間。列車はベルガモ・バッサのエリアに着く。バッサ(Bassa)は「低い」という意味。この丘の麓は近代の風情である。そこからバスとケーブルカーを乗り継げば小高い丘のベルガモ・アルタへ(Altaは「高い」)。ここが中世からルネサンス期にかけて繁栄したエリアだ。時間があれば、バッサとアルタの両方を比較しながら徘徊すれば楽しいに違いない。「多忙な旅人」ゆえ、一目散にアルタへ。着いてしばらくの間はたしかに早足気味だったが、ゆっくりランチの後は刻まれる時間のスピードが減速した。

ベルガモ・アルタは城壁に囲まれているが、南北1キロメートル、東西2キロメートルとこじんまりしていて迷うことはない。ローマ時代にできたと伝えられるゴンビト通りをまっすぐ行けばヴェッキア広場。建物一つをはさんでドゥオーモ広場。二つの広場を囲むようにラジョーネ宮、市の塔、図書館、コッレオーニ礼拝堂、サンタ・マリア・マッジョーレ教会が建つ。軽度の高所恐怖症ながら塔を見れば必ず登るのがぼくの習性。塔の入口でチケットを買う。窓口のやさしい老人曰く「セット券になっているから、いろいろ見学できる」と言う。その「いろいろ」がうろ覚えだし、いくら払ったのかも覚えていない。

塔からの景観を眺めたあとは、もうガイドブックには目もくれず足の向くまま遊歩した。オペラの作曲家ガエターノ・ドニゼッティの生まれ故郷であることくらいは知っていたが、それ以外はほとんど知識も持ち合わせず、迷う心配のない城壁沿いを歩き城塞を見たり歴史博物館に入ったり。知名度の高い街に行くと、知識に基づいて名所を追体験的に巡ってしまう。もちろんそれも旅に欠かせないが、知識不十分の状態で視覚的体験から入ると自分なりの「名所」が見えてくるものだ。それらの名所を後日調べてみる。その名所がマイナーであれば追跡調査は不可能であるが、写真の光景と、そこに居合わせた事実はほとんど記憶に残っている。

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ベルガモ・バッサの鉄道駅からバスに乗る。雨上がりのベルガモ・アルタの丘は霞んでいる。バッサの市街地はこのように道幅も広く交通量も多い。
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ケーブルカーでアルタへ。『フニクリ・フニクラ』〈Funiculi funicula〉は19世紀のイタリアで生まれたケーブルカーで山を登るときの歌。
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ゴンビト通りを歩く人はみんなゆっくり。全長300メートル、急ぐこともない。決して賑やかではないが、風情のある店が立ち並ぶ。
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ヴェッキア広場のアンジェロ・マイ図書館。
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塔に登るときにセットで購入した歴史博物館の入場チケット。
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ラジョーネ宮に隣接する塔。耐震性的にはきわめて不安な構造のように思いつつ階段を登った。
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晴れ間が出てきた街の景観。
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ロマネスク様式のサンタ・マリア・マジョーレ教会は12世紀の建築。手前のドームの建物はコッレオーニ礼拝堂。
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礼拝堂の全体像。大理石の嵌め込み模様や彫刻がしっかりと施されている。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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