習作した頃 #7

 そこにある顔

 

 ぼくの手元の辞書には、見出しとその語釈がこんなふうに書かれていた。

 げんそう【幻想】 非現実的なことをあたかも夢のように心に抱くこと。
 きのう【機能】 目的に応じてある働きを発揮すること。

 ¶

 「幻想的だ」と彼が言った。
 「やっぱりそう形容すべきなのかね」とぼくが応じた。
 平然とそう応じたけれど、アルファベットをZからAへと逆に辿るみたいに混乱していた。あるいは、不慣れな方程式の解をとっさにでっち上げるような感じだった。正直なところ、ぼくには彼の言う「幻想的」という意味がよく呑み込めなかったのである。
 「きみの言う幻想には機能が含まれているのかい?」
 ちょっと間の抜けた問いであることはわかっていた。瞬時に真意や本質を摑めないときによくやる、時間稼ぎの問いというやつだ。それを投げ掛けた。
 「機能は結果さ。幻想を感じる者の目の置き方次第というわけ。つまり、幻想の解釈の仕方で機能が決まるのだよ」
さすがだと思った。彼のこの説明は薄明りの中に焦点を結んでくれた。何となく彼の意味していることがわかりかけてきた。そんな気がしたのである。

☑顔

 ぼくたちの目の前にはガラスを隔てて顔がある。ずいぶん前から知る人ぞ知る、かなり有名な顔である。
 その顔は間違いなく生きている顔なのだが、当局の厳重な監視が行き届いていて、触れることはできない。触れるどころか、眺めるだけでも大変なことなのだ。ガラスの向こうのそこにある顔を見るには一年前から予約が必要だ。鑑賞するには――鑑賞と言うべきなんだろうか、観賞なんだろうか、拝観と呼んでいる人もいるようだが――世界一級のオペラ楽団の最上級席のチケットに相当する予約金を支払わねばならない。ぼくは二度目で、彼は今回が初めてだった。
 前回の鑑賞直後に、そこにある顔の印象を、ごく直感的ではあるけれど、できるかぎり詳細に彼に説明したのを覚えている。

 《顔はね、全体に乾いた土のような感じだよ。時折赤茶けた鼻と唇がぴくぴくと動くんだ。数えたらきりがないほどの皺が深くくっきりと刻まれている。古新聞をくしゃくしゃに丸め黄土色の絵の具を塗りたくり、何日も直射日光に晒したような形さ。髪は十種類くらいの色で毛染めされていて、今にも抜け落ちそうなんだけど、ぱさぱさと不揃いに両眼と両耳を覆っている。その眼はいつも光っていて、見る角度によっては、赤い三角形になったり、緑色の線になったり、青い円になったりする。耳は眼の位置よりも高い所にくっついていて、軽く押しつぶされたマッチ箱みたいなんだ》

 「おおよそきみの描いた通りだな。非常に幻想的だよ」と彼は言った。
 ぼくたちはもう十五分以上も顔をじっと見つめている。嫌と言うほど見つめているが、顔は大きな変化を示さないし、示す兆候も現わさない。部分的には皮膚が息をつくように膨れたり鼻が微かに動いたりするのだが、首は決して動かない。
 「幻想的だよ。まったく。でも機能的じゃないから、単純な幻想だ。それはそうと、後頭部も見たいものだね」とぼくは言った。
 ぼくの話が耳に入っていないのだろうか、彼はまるで絵を描く時によくやる、親指や人差し指で構図を取っている。
 「この顔は不精なんだろうね。ここに置いておくには適材じゃないね。したがって、ぼくらのいるここも適所じゃない」と独り言のようにぼくはつぶやいた。
 彼はまだ黙っていた。ぼくの言っていることをあまり聞いていないなと思った瞬間、
 「ぼくはきみと違って、こいつは幻想的かつ機能的だと思うんだ。なぜそう思うか、理由を聞きたいかい?」と彼は口を開いた。
 「ぜひ。鑑賞時間も余すところあと五分だし、早足でお願いするよ」とぼくは応じた。

 《きみの話を聞き、きみに誘われて、今日ぼくはきみに同伴したのだけれど、正直言って、期待以上の顔だった。内心、半端じゃないほど感動もしたよ。ところで、この顔は幻想的だ。なぜなら、強制的に配置されていてもなおかつ機能的だから。振り向くのが面倒だからと言って後頭部に顔を据え付けることができないように、一般的には機能と配置の関係においては配置が優先するもんなんだよ。きみは適材適所というふうに言ったけれど、適材を適所に配置するのは不可能だ。適材適所はもともと機能優先の考え方であり、実際のところ、配置がおこなわれた瞬間、機能は何らかの麻痺状態に陥ってしまうものだからね。それに……》

 彼はまだ喋り残しているようだったが、係員の時間切れの合図で話すのをやめた。若干残念そうな素振りを見せたが、ぼくはさほどでもなかった。むしろ少しうんざりし始めていた。
 出口に向かって動き始める直前に見納めの視線を顔に投げた。その時、そこにある顔がいきなり振り向いた。そう、確かに振り向いた。そこにある顔が、まったく変わりのないそこにある顔をこちらに向けた。
 「見たかい?」とぼくは彼に言った。興奮はしていたが、声は震えていなかった。
 「振り向いても振り向かなくても同じなんだ。あの顔は窮屈な状況を強制されているにもかかわらず、機能という点では完璧さ。幻想的だよ、まったく」と彼は静かにつぶやいた。
 係員がしかめっ面をして退出するように再び促した。ぼくたちはその場を去って出入り口に向かった。そこには入場を待つ次のグループが列をつくっていた。
 その後、顔はますます評判になった。しかし、なおも、彼が言うところの幻想的であり機能的であり続けたのだろう。ぼくたちはもう鑑賞予約をするつもりはなかったし、事実しなかった。その代わりに、ぼくと彼は会うたびに顔のことを話題にしてはあり余る時間を潰したのである。

 一つ付け加えておかなければならないことがある。ぼくはその後の彼との対話で調子よく話を合わせていたが、実は幻想についても機能についても実はあまりよくわからなくなっていた。それで、あの愛用の辞書の該当箇所に取り消し線を引いた。こんなふうに。

 げんそう【幻想】 非現実的なことをあたかも夢のように心に抱くこと。
 きのう【機能】 目的に応じてある働きを発揮すること。

 そして、別の見出しの語釈に取り消し線を引き、新たに書き加えた。

 かお【顔】 個を認識するための重要な役割を担う、目・口・鼻のある面(つら)。
        → 幻想的かつ機能的な一個の表象。


岡野勝志 作 〈1970年代の短編習作帖より〉

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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