習作した頃 #6

寸前のインタビュー

 

直前のインタビュー 

そこは小さな病院の待合室だった。彼の前には数人の患者がいる。あいにく時間潰しの自前の材料を用意してこなかった。マガジンラックから適当に一冊の小冊子を手に取る。なぜこんな小冊子がここにあるのか不思議に思った。適当にめくったページにインタビュー記事らしきものを見つけた。「生き残りについて」という見出しに次ぐ本文は、導入文もなくいきなり記者の質問から始まっている。

聞き手  「生き残ることの難しさに比べれば、死ぬくじを引き当てるのはとても簡単である」という説があります。 何ヵ月も死に喘ぎながら砂漠を横断し、ついに辿り着いたオアシスでサバイバルの喜びを噛みしめる。手にしたグラス一杯の水。口に含めば甘露の味わい。そのうまさを貪るように飲み干そうとした瞬間、水が勢い余って舌の上を一気に滑って誤嚥。生命力の強さと隣り合わせの関係にあるあっけない死。A教授、生と死について、いかがお考えですか?

A教授  たしかにそうだね。生き残ることは難しく死ぬことはやさしいというのは正しい説だと思うよ。わたし自身が数年前に加害者の立場でそれに近い経験をしたんだから。

聞き手  加害者? 興味津々です。その経験、よろしければぜひお聞かせいただきたいです。

A教授  いいとも。あれはたしか十月のことだったように思う。床に就く半時間ほど前までは心地よい気温だったんだが、布団にもぐると同時に秋風が止んだ。月も変わって夜気は冷たくなってはいたけれど、九月と十月は半世紀ぶりの異常気象とかでね。猛烈な熱気の余燼が部屋の隅々にまで充満していて、カーテンも本棚も、机も椅子も、枕元の電気スタンドも灰皿も、メモ帳も万年筆も、すべてが焼け跡から掘り出されたばかりのように余熱を発散していた。
わたしはね、翌日の大学院ゼミ用に講義のメモを取っていたんだ。『戦場における生死境界理論の実証的研究のための比較予備基礎論』というような講義内容でね。いや、うろ覚えで怪しいけれど、まあ、そんな感じの名前だった。 突然、一匹の蚊がメモに集中しているわたしを目がけて攻撃してきた。いや、大した奴じゃないがね、耳元でうるさくされるのには閉口したよ。布団に入ってうつむいていたが、さすがに耐えられなくなってね、身体をひねってあおむけになった。うつむいていたわたしをあおむけにしたんだから、そのテクニックは認めざるをえない。
「きみ、礼儀をわきまえたまえ」とその蚊に言ってやった。そして、礼儀さえわきまえれば、きみの言い分を聞いてやってもいいと付け足した。すると、その蚊はブーンと唸りながら語り始めたんだ。 ……八月の酷暑を無事乗り越えて、閉じたままの戸棚へ隙間から入り込み、奥のほうでじっと身を潜めていました。並大抵の辛抱ではありませんでした。戸棚の戸が夕方に開いたので出てきました。ある種の生き残り兵です……。 驚いたね。奴、胸を張っているんだからね。でも、わたしにとってはどうでもいいことでね。そうだろ、講義の準備で頭が一杯だったし、それにとても疲れていたから。
実を言うと、わたしは記憶力があまり良くないんだ。記憶が悪いというのがどんな感じかわかるかね。脳の襞が粗めの紙やすりみたいにざらついていて情報の引っ掛かりが悪いなどと世間では言われているが、そうではない。記憶の悪さというのは、ぷつんと糸が切れるような感触が断続的に生じるのだよ。 いま思い起こすと、その時も床に就いてからどこかの時点で記憶の糸が何本も切れていたに違いない。
蚊が語り始める何分か何十秒か前のわたしは、たぶん講義の準備に疲れていた上に秋風がふいに止んだので夢うつつとなっていた。 それで結論なんだが、蚊の言い分を聞いた後、わたしは両腕をこうして広げて、いや、このくらい (注1) かな、とにかく腕を広げて、顔面上を低空飛行する、並大抵でない苦労を背負ったその生き残り兵をぴしゃりと力一杯にやったんだ。墜落したかどうか定かじゃなかった。ただ、左手の中指の付け根あたりに昆虫の足のようなものがくっついていたから、おそらく、少なくとも負傷させることができたと思っている。それから……

聞き手  その蚊がどうなったのか、気にならなかったのですか?

A教授  気にならなかったかって? べつに……。むしろ、なぜ気にしなきゃいけないか聞きたいくらいだね。いいかい、生き抜いてきた事実を誇った奴の現在が、死んだ状態であろうと生きている状態であろうとあまり関係ないんじゃないかな。気になるなら、それこそきみが冒頭で引用した説に救いを求めるしかない。曰く、「生き残ることの難しさに比べれば、死ぬくじを引き当てるのはとても簡単である」。(注2) 

(注1) A教授は最初広げた幅よりも20センチくらい狭めた。
(注2) このインタビューはA教授がドラッグストアで殺虫剤スプレーを購入する直前におこなわれたものである。

唐突な終わり方だなあと彼は気になった。マガジンラックにこの一冊を戻すついでに、続く号数を探してみた。そして、それが見つかった時、彼は口元が緩むのを自覚した。まったく同じ体裁のインタビュー記事があり、そこには「無作為抽出」という見出しがあった。

聞き手  蚊は生き残ろうとし、生き残ったことで存在を全うした、しかし、その行末が生の延長であろうと死という帰結であろうと大した問題ではない、というのがA教授の見解でした。さて、評論家のBさんにお伺いしたいのは、A教授に語りかけた蚊の辿った道についてどう考察されるかということです。いかがでしょうか?

評論家B まず、ぼくから問題提起をしたいと思います。電灯に群がる蚊を両手でやる時に人が選ぶだろうか? ということです。これはあくまでも推測ですが、A教授の一件が起こった時には枕元の電気スタンドが点いていたはずです。蚊にとっては何がしかの動機があったというよりも、一種の本性的行動だったはずです。
ところで、蚊は一般的には血生臭さを連想させる害虫とされていますね。ごく少数の一部の人たちを除いて、蚊を愛玩昆虫として飼うことはないわけです。蚊は害虫であるがゆえに、両手や殺虫剤でやる時に、やる順番はあまり関係ないでしょう。蚊であればやられるに足る資格を有しているんですから。やられた蚊からすれば選ばれたということになりますが、やった人間側――この場合はA教授――からすれば、選ぶなどという気も余裕もなく、作為もなく任意に抽出したというしかありません。
だってそうでしょう。このインタビューにしてもね、ぼくは今から選挙キャンペーンの街頭インタビューに出掛けるところだったのですが、あなたが突然マイクを突き出してきて、ぼくが逆にインタビューされている。あなたの疑問文らしき発言があって、立ち止めを食ったぼくは驚いた表情も見せずに、まるでこっそりと用意していた文章があるかのように答えています。もっとも、ぼくは選ばれるということに慣れっこですから平然と受け答えできているのでしょう。一般の方ならとてもこういう具合にはいかないはずです。 自分の身の上にいつ降りかかるかもしれない無作為抽出のことを考えると、不安に襲われてうかうかと街に出れなくなったりする。哲学的に言えばですね、生も死も――俯瞰している側からすればね――どっちに転ぼうと無作為抽出にほかならないわけなのです。

インタビュー記事はここで終わっているわけではない。しかし、診療窓口で名前が呼ばれた。彼は小冊子を閉じてマガジンラックに戻した。別につまらないともおもしろいとも思って読んでいたわけではない。それでも、彼はほんのわずかな未練を残しながら、診療室のドアをノックした。 待合室に戻った彼は、小冊子の続きを読むどころか、小冊子を読んでいたことすらすっかり忘れていた。病状の経過を医師に告げられて落ち込んでいたのだった。

岡野勝志 作 〈1970年代の短編習作帖より〉

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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