イタリア紀行31 「肩肘張らない世界遺産」

フェッラーラⅡ

「次回のイタリア紀行はどこですか?」 一ヵ月ほど前、この紀行が一週間とんでしまった時にある人に尋ねられた。「フェッラーラのつもりだけど……」と答えた。なぜ「だけど……」かと言うと、フェッラーラのネガフィルムがデジタル変換できておらず、間に合うかどうかわからなかったからだ。案の定、一週間空いてしまった。おまけに、取り上げたのはフェッラーラではなく、ピサのほうであった。

尋ねた彼はフェッラーラの場所をよく知らなかったが、「あ、『フェッラーラ物語』という映画がありましたよね」と、さもぼくがその映画を知っているかのようにことばをつないだ。イタリア紀行などというものを書いているものの、さほどのイタリア情報通ではない。まず映画そのものをあまり見ない。イタリア映画もよく見逃している。1987年の映画で彼自身がストーリーをほとんど覚えていない。調べてみた。『フェラーラ物語 / 金縁の眼鏡』というタイトルである。あらすじだけからの想像だが、この映画を観てからフェッラーラを訪ねていたら、だいぶ印象が変わっていたに違いない。観ていなくてよかったし、今から観たいという気分にもならない。いつも思うことだが、旅の予備知識はあるほうがいいのかなくてもいいのか、あるほうがいいのなら多いほうがいいのか少なくてもいいのか……実に悩ましい。

悩ましいと言えば、海外地名の表記だ。“Ferrara”を「フェラーラ」と表記するか、本ブログのように「フェラーラ」とするかの選択に悩む。上記の映画の邦題もウィキペディアでも「フェラーラ」だが、手元のガイドブックをはじめ専門書や紀行文では「フェッラーラ」が多いのでそれに従った。イタリア語では同じアルファベットが二つ連続するときは、直前の音に「小さなツ」をくっつけて拗音化すると現実の発音に近くなる。“Ferrara”“rr” なので、直前の “Fe” を「フェ」と発音する。“Cavallo” (馬)は「カヴァロ」、“Spaghetti” は「スパゲティ」になる。

この日は月曜日だった。カテドラーレや広場はまずまずの賑わいを見せていた。ここは自転車の街と聞いていたし、駅前でも溢れんばかりの台数を目撃していた通り、歩行と走行が入り混じる。しかし、中心からほんの少し離れてちょっと横道に入ると一気に閑静な趣に変わる。時折り颯爽と通り過ぎていく自転車。身のこなしがかっこよく見えるのは、舞台装置のせいか。

これまでの紀行で繰り返し「中世の面影」や「時代の香り」や「文化の名残り」をはじめ、これらに類する表現を多用してきた。そういうことばをこのフェッラーラに流用できないこともない。しかし、「ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯」が世界遺産登録されているフェッラーラに「古色蒼然」は感じられない。ここは古代色や中世色の濃厚な他のイタリア都市とは違って、近世的に洗練されている印象を受ける。そして、それが現代にも連なっていて、肩肘を張らない日常生活光景と上手に共生しているように思われる。いい街――それは“decente”という形容詞が近かった。「ほどよく抑制のきいた」というニュアンスである。 《フェッラーラ完》

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実に落ち着いた街路の遠近感ある構図が気に入った。
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通りごとに道の色合いが微妙に変わる。
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鉄道駅までの帰路で現れた豪邸。かつての貴族の館か。
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しゃれたバール、さりげなくしつらえられた路肩。
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エステンセ城から南へほんの100メートル歩くと、トレント・トリエステ広場に出る。
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市庁舎、大聖堂、ドゥオーモ美術館が建ち並ぶ。
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なんともゆったりした広場の石畳を人が歩き自転車が自由に走る。
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大聖堂のファサードはロマネスクとゴシック様式が混在するデザイン。教会の軒下を利用して商店が並んでいる。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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