殺し文句のダウンロード

「殺し文句」という言い回しは今ではほぼ一義的に使われるようになった。相手の心を引きつける巧みな表現という意味が主流である。殺しとは物騒だが、ほろりとさせたり「グッときた」と思わせたりすること。どちらかと言えばニュアンスは肯定的だ。「彼のその一言は彼女にとって殺し文句になった」と言えば、「彼女にアピールした」という意味になる。

しかし、殺し文句の本筋の意味は、英語の“killer”がそうであるように、「抹殺」に近い。行動や判断を束縛することば、固定観念を植え付けてしまうことばなのである。殺し文句は他人のみならず、自分自身にも良からぬ影響を及ぼす。つぶやき続けると、知らず知らずのうちに「参ってしまう」。ほろりと参ってしまうのではなく、にっちもさっちも行かなくなって参ってしまう。

只管朗読の効果をいくつかの外国語学習で経験してきたぼくである。ひたすら文章を音読すれば語彙も文章の構造も身につく。唇が、舌が、口腔内から咽喉にかけての筋肉が言語を覚え、ひいては全身に語感が響くようになる。だから、ことばが不思議な力として作用すると言われる念仏効果を単なる霊的なものであるとして退けることはできない。もし念仏に有効性があるのなら、自らに向かって日々ネガティブな殺し文句を繰り返し発していると、考え方や行動に好ましくない形で刷り込まれていくことは容易に想像できる。

殺し文句のダウンロードことばに真摯に向き合えばわかることだ。一方で、己を励ましてくれることばがあり、また嫌な気分を浄化してくれることばがある。それなら逆に、気分を滅入らせ行動を不活性にする殺し文句があって不思議はない。このことに気づいておけば、そんな危ないことばの出番を制限できる。しかし、常用が癖になると正常な精神作用が蝕まれていく。いったんダウンロードしてしまったら蔓延し続けるウィルスソフトのようなものだ。

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たとえば、「未熟ものです」とか「まだまだ学びが足りません」などと謙遜しているつもりなのに、これらの軽いことばが劣等感を徐々に強めていく。やがては熟練し学び遂げるまでは行動しないという習性が宿り始める。あるいは、「できるかぎりのことはしました」とか「時間と努力が足りませんでした」などの口癖は、開けても暮れても言い逃れする人間を仕立て上げてしまう。軽い気持ちから発していても、「別に急がなくても」や「もっとよく考えてから」などは先送り人間のパターンを形成する。ぼくの知り合いは「リスク、トラブル、批判」を怖れるあまり、それらを避ける防御線をいつも張り巡らしていた。その結果、すっかり引っ込み思案の臆病者になってしまった。

上記のようなことば遣いがまさか……と思うかもしれないが、実は、十分に殺し文句の資格を満たしている。負の念仏効果、恐るべし。気がついた時には取り返しがつかなくなっている。悪しき口癖が偏した考え方、非常識的な行動を招く。フランシス・ベーコンは、歪んだ判断や思い込みのことを〈イドラ〉と称し、人間誰しもが陥りやすい4つのイドラがあると指摘した。その一つが〈市場のイドラ〉である。市場とは人々が集まり交わる社会もしくは集団と考えればいい。そこではことばが飛び交い、検証不十分のまま文字面の表現が鵜呑みにされる。事実無根の噂が流れ、流れた噂に自分が流され惑わされる。やがて自らの内に偏見や先入観を培養することになる。

言語は知である。ベーコンも「知は力なり」と言った。つまり、言語は力なのであるが、他方、使い手次第では負の力となって思い込みを深めることがある。「口は災いのもと」などという意味ではなく、悪しきことばを繰り返し常套句として使っているうちに、自己暗示や洗脳が起こってしまうのである。ならば、良きことばを使えばいいということになるが、これは短絡的な発想である。うわべだけの「やればできる」も実力を伴わない「頑張ろう」も、その気にはなるだけで行動が空回りという結果になる。これらは「褒め殺し文句」になりかねない。なにげなくつぶやいている日々のことばが性格をかたどる。人に告げることば、自らに言い含めることばに責任を持たねばならないのである。

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岡野勝志(おかのかつし) 1951年大阪生まれ 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター 岡野塾主宰 ヒューマンスキルをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。 マーケティング、コミュニケーションにまつわる企業や人

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